変わりゆく自分と変わらない友人〜後編〜
こんにちは!えみうです。
今回は前回の記事の続きです。
前回の記事はこちら。
最初の記事の自己紹介にも書いた通り、私は発達障害と精神疾患を持っています。
自己紹介の記事はこちら。
その障害の部分と元々の性格もあり、人間関係を築くことが健常者の方と比べて難しく、今までも人付き合いで沢山失敗をしてきました。
そういう経験から、自分と関わってくれる人を大切にしよう。いや、大切にしなければ!と思っていました。しかしいつからかこの思いを拗らせてしまいまして、
「こんな私と仲良くしてもらってるのだから、一緒にいてくれるだけで感謝しないと!」
「もしこの人に嫌われたら、もう自分と一緒にいてくれる人はいないかもしれない。」
「私は障害者なんだから、理不尽なことがあっても我慢しなくちゃ。私の意見なんて、障害者の考えることなんて大体間違ってるんだから。他人の方が正しいんだから…。」
そんな風にいつの間にか自分のことを他人よりも下の人間だと思うようになり、人と一緒に居て嫌な気持ちになることがあっても、仮にひどい態度をとられたりしても、嫌われないように我慢して、なんとかして付き合ってもらえるようにしてきました。
だって私は人より劣っているから。
仲良くしてもらってるんだから。
しかし最近になって年の功もあってか、自分の意見を大切にするようになってきました。
例えばの話ですが、もし障害者と言うだけで私のことをバカにしたり対話しようとしない人がいるのなら、それはその人の意見なのでそれでも良いけど、逆にそんな人とは無理して仲良くしたくないと思うようになりました。
自分の変化に自分で驚いていたところに、今回の友人に対するモヤモヤ事件が起こったのです。
そして気が付きました。
長年の友人関係にも我慢してきたことに。
「仲良くして も ら っ て る んだから。」
そう思ってきました。しかしそれは結局のところ人として対等な関係では無かったのです。
なんとかして「長年の友人」という存在を手に入れたかったために、言いたいことを我慢して、相手に嫌われないように理想の自分を演じてきたことにようやく気が付きました。
もちろん友人の方だって、私にモヤモヤしたり気を遣ってくれたことだって沢山あると思います。
自分だけが我慢していたとは思っていませんが、お互いの気持ちや意見を言いあえる関係を築いてこられなかったこと、そして合わない部分まで友人に合わせようと無理をしてきたことを反省しました。
これからはもっと自分のダメな部分を見せれたり、お互いの考えや思いを言い合えたり、楽に自分らしくいられるような、そんな人間関係を築いていけたらと思います。
それが私にとってはなかなか難しいのですが…笑
今回の友人とは今までとはちょっと一歩引いて、懐かしい同級生という関係でいられたらと思います。
もしかしたらこれからお互いいろんな経験をして、これまでとはまた違った形で仲良く話せる日が来るかもしれません。
もしかしたら、このまま疎遠になっていくかもしれません。
先のことはわかりませんが、そこは自然の流れに任せてみようかなと思っています。
若い頃は人間関係で何かあると、すぐに「縁を切る!」なんて思っていたときがありましたが、自分も他人も少しずつ変わっていくことに気が付いてからは、人との関係も長い目で見れるようになれました。
そこも年の功かもしれませんね。😊
でもまだまだ自分は未熟です。
障害者でもあり、どうしても他の人より成長は遅いですが、それでも少しずつ私も変化しています。
きっと友人も、これからいろんなことがあるでしょう。今は変わっていないように見えても、いつか何かのきっかけで変わるかもしれませんし、今のままずっと変わらないかもしれません。
この一件でモヤモヤしたり、自分の心の狭さに落ち込んだり、寂しさを感じたりもしましたが、これも経験の一つですね。
障害者であっても健常者であっても、深みのある人間になりたいな…ふとそう思いました。
前編と後編に分かれて長くなりましたが、読んでくださった方がいらっしゃいましたら心からありがとうございます。
それではまたここでお会いしましょう!