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「問題」は自分で作っている【阿頼耶識】

今目に映る世界は、何か問題がありますか?

それとも、自分が思い描く理想の世界ですか?


実は私たちは、自分が望む通りの現状を自分によって作り出しています。
「問題ある」と思う場合、もしかしたら自分自身で「問題のある現実」を作り出しているのかもしれません。


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【阿頼耶識(アーラヤ識)】

仏教における「識」のひとつで
人の意識の更に奥にある
「一切を生み出す可能力を有した根本の心」

目には見えない心と口と身体の行いが、決して消えることのない業(カルマ)なって阿頼耶識におさまり、一人一人まったく違う世界を生み出す

すなわち
今目の前で起こっていることは、全て自分自身が原因を作り生み出している、という解釈になります。


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「問題意識」って、私たちが生きる上で必要であり、持つことが推奨されるような風潮でありました。確かにそれぞれの知恵や経験を持ち寄って変革していくことは、より良い世界を作ることに繋がります。

が、実はより良い世界を作るのに「問題提起」をしない方法もあるのです。


例えば
「この環境や状況を良いものにする!」という場合に

【「問題」があるという前提で「正さなければならない!」という意識で臨む】

【「問題ない」という前提で「もっと良くしちゃおう!」という意識で臨む】


これ、いずれの意識を選んでも、目的や目指す場所や理想とするゴールは同じです。
ただ感情的には全く違う。


問題あり→「欠乏感・責任感・努力・解決への焦り・現状を変えなくてはという危機感・変わっていない事への怒りや恐れ・現状への不満足・不足を埋める」なんかが原動力です。

一方

問題なし→「満足感・脱力・現況への感謝・大丈夫という安心・未来への希望や期待・変容へのワクワク・現状の満足を高める・更に足す」なんかが基になる。


どちらも同じ場所を目指しているとしたら、どちらのアプローチでゴールに辿り着きたいですか?

良い悪い、ではありません。

今の自分が、どちらの感情や現実を望んで叶えていきたいかという「選択」をしていくだけです。


今までは「勝つために」「幸せになるために」「自他をより良くするために」「豊かになるために」…
足りないから頑張れ!という世界だった。


これからは「勝ち負けなんてない」「もう幸せ」「みんな元々素晴らしい」「すでに満ちてる」…
足りてるから与え合おう!という世界になれる。


この先どちらを選ぶかは、個々にお任せなのです。
そして自分が選んだ世界線と、同じ人が集まりその環境や現実が作られていくのです。
(私はアーラヤ識と量子力学は同じと思います)


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はじめは「足りない」から「足りてる」に意識を変えるのは難しいと思うかもしれません。

コツはね、少しずつ

今あるものに意識を向ける

です。


今ごはんが毎日食べられる

今通帳がプラスになっている

今寝る時間が得られている

今会話ができる人が周りにいる

今自分を守る家が部屋がある

今健康に日々を過ごせている

今生きるのに充分な物がある

今息ができる環境にある


こんな「当たり前」を、それでも日々自分に教えてあげるのです。

全部持ってるよ、安心していいよ、生きられているよ、と。


そのうち「今ここ」の満ち足りた状態に意識が留められるようになってきます。

そしたら、日々安心をベースとした「問題なく」変化していく現実を、ただ体験できるようになっていきます。

「ただ在る」です。



けどね

それを「そんなのつまんねー!」っていう人もきっと多いですね。実はまだ私もそうです。

だからこそ私たちは刺激を求めて「問題」を自分に課すのです。だってそれを味わうために生まれているからね。


陰があって陽がある

苦しみがあって楽がある

恐れがあって安心がある


両方を知って、体験して、味わって
そののち自分にとって居心地の良い「真ん中(仏教では中道といいます)」を知っていくのです。


だからこれは「問題意識」が悪い、という話じゃない。

こんな安心と幸福の世界がこの先に待っているから、自分の感じたいことやり切っちゃおうぜ!


というオチですw



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