日常のとなりに 『枯れ葉』を振り返る
【2024/10/11 日本経済新聞 朝刊1面春秋より引用】
フィンランド映画「枯れ葉」は深い余韻を残す作品である。
名匠アキ・カウリスマキ監督が引退宣言を撤回して撮った、孤独な男と女の小さなラブストーリーだ。暮れなずむヘルシンキの街角、カラオケバー、人々のひそやかな会話……。そこかしこに「昭和」が薫る。
▼設定は現代だが、スマホに没頭する若者もSNSの喧噪(けんそう)も描かれない。男は女の渡してくれた電話番号のメモを紛失し、すれ違いの関係が続くといった具合だ。興味深いのはラジオの存在である。音楽もニュースもこの旧式メディアからもたらされる。監督はあえて、社会からデジタルを
切り離して物語を構成してみせた。
▼米起業家のイーロン・マスク氏とブラジル最高裁判事の対立により、
同国内でX(旧ツイッター)が使えなくなっていた状態がやっと解消された。
不便な1カ月だったろうが、Xの停止で3割以上の利用者のメンタルヘルスが改善したという報道もある。フェイクやヘイトの渦のなか、心がむしばまれていく現実が浮かぶ。
▼わたしたちの生活は、ほんの少し前まで「枯れ葉」の情景と同じだったことを思い出してもいい。ちなみにカウリスマキ監督は、淡々とそんな世界を描出しながら、日常の隣にある悲惨を忘れていない。ラジオからいつも流れているのは、ロシアによるウクライナ侵略のニュースだ。ハッピーエンドなのに、苦い味がする。
【2023年12月28日の“枯れ葉”鑑賞後の感想】BERG新宿で
「映画館に足を運ぶのは、今年はこれが最後だなぁ アキ・カウリスマキ監督の新作“枯れ葉” 混沌とした世界情勢の中で、淡々と日々の生活が過ぎていく アンサとホラッパが互いを思う姿を通して、日常のすぐ裏側で 起こっている非日常を浮き彫りにしている それにしても酒を手放せないホラッパの姿は、リービング・ラスベガス のニコラス・ケイジを思い出したよ」
【アキ・カウリスマキのスタイル】
そこに現実としてある日常
日々を暮らしていくことに汲々としている市井の人々
その日常のすぐ後ろにある世界情勢
よくわからないところで大勢の人が死んでいる
それを伝えるニュースが各シーンで挿入されている
『枯れ葉』では “ウクライナ侵攻” が
『マッチ工場の少女』では “天安門事件” が
時代は違えども不安定な世界
そこで暮らしている人々は決して裕福とは言えない
食べているものも着ているものも粗末なもので
その生き方は笑えるほど不格好で不器用だ
彼らはほんのわずかな温もりを感じることのできる
“愛”だけを信じて、それを求めて生きているのだろう
アキ・カウリスマキはそんな彼らの中にある小さな希望を
淡々と描いているのではないだろうか
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