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【帰りの電車で展覧会寸評!】♯14 東京国立近代美術館「重要文化財の秘密 問題作が傑作になるまで」

近代美術の粋を集めた入門編

さて、この展覧会、並べられている作品がすべて重要文化財というスゴいもの。これは出品までに、なかなか苦労されたのではないかと推察いたします。その甲斐あってか、なかなかの反響のようです。
 後述するように、国宝や重要文化財という、いわゆる「国の指定文化財」が全てではありません。しかし展覧会でも示されているように、それは時代を代表する作品として評価されてきたもので、近代美術史の軸となるものたちです。これらの作品を抑えておくことで、近代美術史のおおよその枠組みを知ることができます。入門に最適の展覧会でしょう。

重要文化財だからといってありがたがるのはやめましょう。

 重要文化財が重要なのは間違いありません。
 では、重要文化財ではないものは、重要ではないのでしょうか?そんなことは決してありませんね。
 どんなものでも、過去の人々の生活と価値観を伝えるかけがえのない文化財です。そういった意味で、まずこの「重要文化財」というネーミングには大いに問題があります。
 そしてこの重要文化財ばかりを集めた展示においても「功罪」が潜んでいることを忘れてはいけません。箔をつけられてきた作品に、さらに権威の光を当てる。その裏には、影に追いやられた作品があり、そうした作品があたかも重要でないかのような枠組みを生み出す可能性があります。
 これをご覧になった方には、どうか、これら素晴らしい作品の土壌となったあまたの無名の作品や人々に思いを馳せていただきたいものです。


重要文化財という恣意的な枠組み

 賞賛の声が多いと思いますので、あえて批判を書いてますよ。作品が素晴らしいことは述べるまでもないこととして割愛してますので、ご容赦ください。
 そもそも重要文化財の指定の基準というのはあってないようなもので、現行で言いますと文化庁の「調査官」が「指定したいかどうか」で決めています。もちろん、そこに事前の戦略はあると思いますが、最終的には個人の価値観や研究上の興味に引き付けられがちです。
 近代や、あるいは近世においては、よほどのビッグネームでもない限り「一作家一指定」という不文律すら存在しています。つまり、絶対的な「モノサシ」があるのではなく、バランスの中で、なんとなく決められている程度のものなのです。なんでこんなものが指定に?!とか、なんでこれが指定じゃないの?!とかは、ザラにあるのです。ですから、「国宝級のお宝」とか言われると、ただの行政用語になのになぁ、という気持ちになります。

 ともあれ、見ていて損はないでしょう。ここまで述べたことも含め、様々な意味で近現代の日本史が詰め込まれています。

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