高齢になるということ④
noteをやっている人は、介護とは無縁の若い世代が多いのだろうか?
「お題」(←ハッシュタグを付けるやつ)を探してみても、育児とかはいろいろあるけど介護はないのよね。だけど昨今では「ヤングケアラー」という言葉があるくらいで、10~20代でもうすでに在宅介護のキーパーソンになっている子も世の中には存在する。
今は子育てが忙しい人々も、あっという間に時は過ぎて、子どもが巣立てば次は介護がやってくる。だから「介護」のお題があってもいいのになぁ…と思うんだけど、note公式さん、いかがでしょうか?(…と催促してみる笑)
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この夏から、義母は近くの小規模多機能ホームのお世話になり、一週間のうち施設で5泊、自宅で2泊している。
最初の頃は、義母は新しい環境に、私たちは新しいリズムに慣れるまでがいろいろ大変だったけど、あれから5か月目に突入し、すっかり慣れきってしまった。
慣れてくると、それまでは見えてこなかった周囲の状況がよく見えて、あれこれ気づくようになる。
義母は、だんだん施設の環境に馴染んでいくに従って、自分の周りには認知症の人しかいない…ってことに気付いたらしい。一見しっかりしている人に見えたので、仲良くしようとコンタクトをとったら、相手は重い認知症で、話が全然かみ合わなかった…とか、急に怒り出したり人の物を黙って持っていく人がいるとか、新しく入所した人もやっぱり認知症で迷惑行為をしてくる…とか、云々。義母以外はみんな認知症だったようで、唯一話が通じるのはスタッフさんだという。
ならば、自分の部屋があるのだから、自室でのんびり過ごすのも良いと思うんだけど、昭和一桁生まれの義母は一人で単独行動をするのが苦手で、いつも誰か知人とつるんでいるか、集団の中にいないと落ち着かないらしい。そのため、みんながいるデイルームで過ごすことが多いらしい。
私は逆に集団生活が苦手で、自室で一人籠っているほうが好きだから、部屋にWi-Fiを入れてもらって、パソコン仕事しているのになぁ…と思いつつ、でも、義母なりにいろいろ苦労していることがわかった。
でも、これは未来の自分の悩みにもなりうることだなぁ…とも感じた。
身体が不自由になって自立した生活が困難になれば、施設のお世話にならざるを得ない。だけど、その時、同じ施設で暮らす他の皆さんが認知症の人ばかりで、そのなかで唯一、自分だけが非認知症だったら、対等な人間関係が構築できないからつらいだろうな…と。
義母は昔から常々「わたしは絶対に認知症になりたくない!」と言っていた。そして実際にその夢は叶っている。しかし首から下は老化でガタガタ状態だ。頭だけしっかりしていても、身体が自由に動かせないのならば、決して良いとは思えないのだけど。
ちなみに、人間は80歳になれば皆、認知症になりうるらしい。脳も老化するのだから、これは仕方がないことである。
それならば、自然の摂理に従って、少しずつ認知機能が衰えていくもありじゃないかな…と思ったりもする。
数年前に亡くなった義父は短期記憶が消失していくタイプの認知症だった。どんどん忘れっぽくなっていき、最後は1分前のことも忘れてしまい、さらに進むと意識は「長期記憶」の海に深く潜るようになり、遠い昔の出来事を、まるで今目の前で起きていることのように生々しくて語って聞かせてくれた。
でも、そのおかげで救われたことも多々あった。末期の癌が見つかったとき、認知症ですぐに忘れてしまう状況が幸いして、義父は病への恐怖心で心が強張ることなく、静かに天命を全うした。また家族も、義父が認知症だったおかげで、選択肢は「緩和ケア」一本に絞れたし、無理に治療を頑張らせることなく穏やかに見送ることができた。
だから私は、ある程度、歳をとったら、ゆるやかに認知機能が衰えたほうが幸せではないか…と思っている。
義母のように頭がしっかりしていて、どんなこともクリアに理解できてしまうと、自分の老衰を現実のこととして突きつけられるし、否が応でも受け入れなくてはいけない。これってかなりつらいことではないか。
どんどん歳を重ねて90代に入り、老化で身体機能がみるみる落ちるなか、足が動かない手指が動かない…とできないことが増えていき、肉体も衰えて見すぼらしくなり、自力では自由に活動できない状態の中で、ここから先の未来がよくなっていくことはなく、いつか近いうちに必ず訪れるであろう「自分の死」を常に意識しながら生き続けなくてはいけない。これをもしも自分が体験しなくてはならなくなったら、精神的に耐えきれず気が狂いそうだ。せめて軽く認知症になっていれば、ぼんやりと遠い昔のことばかり思い出し、意識は夢の世界と現実をふわふわと行き来していて、今この瞬間の現実の
ことは訳がわからなくなっていき、自分が何者か?さえも曖昧になっていく。こんな感じ過ごせるなら、目前に迫っている死への恐怖や絶望的な孤独感から免れるのではないか。この方が精神的にも穏やかに気楽に過ごせそうな気がする。そう考えると、認知症は決して「悪」ではなくて、本人の為にもなる…と思うのだ。
義母は毎日毎日を自分が決めたルーティン通りにキチンと生きたいらしい。だから認知症になっている暇はなく、老化が原因で不自由になった体でもせっせと自分が決めたルーティンをこなそうとがんばっている。
私はむしろ90代を過ぎたら、ここから先は「無礼講」だと思って、何でもありで自分をゆるめて人生を楽しむくらいがちょうどいい…と思うんだけどなぁ。
老人の姿を通して、自分の老後について考えている。
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今日は義母の月1回の診察日だったので、義母と共に近くのかかりつけ医へ行く。
到着して受付に行くと、早速「マイナ保険証ありますか?」と聞かれた。
義母のマイナカードは、以前ポイントキャンペーンの時に申し込んで作ったからバッチリある。
受付横にある読み取り機に置き、本人確認をして、これにて受付完了。あっという間で簡単だった。
車椅子の義母にマイナ保険証で受付したことを伝えたら、最近ニュースでやっとったなぁ…と言いつつ、自分の顔写真がついたマイナカードを不思議そうに見ていた。そして「こんなの、いつ作ったの?」「写真はどこで撮ったの?」と言う。
えっ?これは家で私のスマホで撮ったじゃないですか。役所に行って本人確認してもらったり大変でしたよね…云々。いろいろ説明したけど、ケロッと忘れているみたいだった。義母は覚えていないことを私に悟られまいとするのか?うやむやな返事を私によこして、この話は無理やり終わった。
その後、診察の順番が来るまでの間&診察後から会計までの間、最近の体調のことや薬のことなど義母といろいろ話したけど、今まで通り、細かいところまでよく気がついてキレッキレの返答をする場面もあれば、ボーとしていて意味がよく飲み込めてなさそうな場面があったり、混乱してパニックを起こしてる?と感じる場面など、いろいろあった。
とにかく今日は話してて「あれ?」と感じることが多く、これは単に義母の耳が遠くなりすぎて話が聞き取れていないだけ…なのか、今日はたまたま調子が悪かったのか、それとも、いよいよ始まったのか…汗。ちょっと焦ってしまった。でも、95歳という年齢を考えたら、いつ脳の老化が始まってもおかしくない。
どんなに「あんな風にはなりたくない!」と言っていても、高齢で生きている以上、老化は避けられない。
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診察が無事に終わり、施設の車に迎えに来てもらって義母は施設に戻った。
私はその後、病院の会計を済ませ、次回の予約を入れて、処方箋をもって薬局に行き、義母の1ヶ月分のお薬(たっぷり多め)を受け取った。毎日飲む量の多いこと…。
昔、私が子どもの頃(昭和40〜50年代)のお年寄りは、もう60代くらいで今の80代くらいの風情だった。昔はだいたい60代〜70代くらいで亡くなっていて、80代は長寿だった。脳卒中が多かったなぁ…。あの頃と比べると今は平均寿命が20〜30年くらい伸びているのではないか。
よく「薬漬け」と言われるけど、昔のことを思えば、医学の進歩と投薬のおかげで、今は80歳でも若々しく元気でいられる…ってことがあるのでは?と私は思っている。
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老人達のワガママにつきあわされる度に、気丈だけど体はヨボヨボガタガタの彼らの姿を見て、ふと「私は一体いつまで生きるんだろう?」と考える。
できれば早々にぽっくり逝きたい。もしも万が一長生きできるとしても、90歳目前の80代で死ぬのが理想だ。私の周りでご存命の90代を見ていると、皆さん高齢がゆえの大変さを抱えていて、決して幸せそうには見えない。ご自身だけでなく一緒に暮らしている家族も大変そうだ。長生きし過ぎるのって、そんなにめでたいことではなく、老体を維持させるのにいろいろと大変なのだ。
ならば、私は「カッコいい去り際」を考えて、80代のうちに人生を閉じれたらベストかなぁ…と思っている。
なるべく元気なうちにサッパリと去っていきたい。