【写真日記】雪が降る前に福井へ➂・幻の聖地、白山平泉寺をゆく
道の駅「越前おおの荒島の郷」を出発した私たちは、そのまま道なりに進み、勝山市へと向かいました。
さっきまでの山道とは打って変わって、この辺りの土地は広大ですね。
ずっと奥の山裾まで、田んぼが広がっていました。勝山盆地というそうです。
~前回のお話~
恐竜の町・勝山市へ
国道を走っていると、すぐに勝山市内に入りました。
赤信号で車を停めると、道路の左脇に恐竜がいました。先ほど休憩で立ち寄った「道の駅・九頭竜」にも恐竜がいましたが、九頭竜川に沿って続くこの道(国道158号線)は、別名「恐竜街道」というそうです。
実はここ勝山市も、恐竜で有名な町なんですよ。
昔、まだ、私の子供が小さかった頃、実家の両親や親戚と一緒に、勝山市内にある恐竜博物館に行ったことがあります。
そこで、ふと「恐竜博物館に行こうかな?」と思いつき、カーナビに「恐竜博物館」を入力してルートを検索。
とりあえず現地に行ってみることにしました。
恐竜博物館に行くつもりだったのに…進路変更
こうして恐竜博物館に向かって出発したのですが…。
走行中、沿道の「平泉寺白山神社」の看板標識がふと目に留まりました。
白山神社と言えば、私たちは2ケ月前に、石川県の白山白山比咩神社を参拝してます。
この時、石川県だけでなく岐阜県と福井県にも、白山を真ん中に置く形で「白山神社」があることを知りました。
歴史を紐解くと、白山は717年(養老元年)に 泰澄上人によって開山されました。
その後、832年(天長9年)に越前・美濃・加賀の三方から白山に登る登拝道(禅定道)が開かれ、以降、白山は白山修験の霊山として栄えていったのです。また、登拝口には道場が作られ、白山信仰が全国に広がるきっかけにもなりました。
その三つの登山道と聖地が、以下のものです。
越前(福井県)からの登拝口にあたる越前禅定道には、「平泉寺白山神社」
美濃(岐阜県)からの登拝口にあたる美濃禅定道には「長滝白山神社」
加賀(石川県)からの登拝口にあたる加賀禅常道には「白山白山比咩神社」
ただし、今は神社になっていますが、どれも、もともとはお寺でした。白山権現を祀る「神仏習合」の聖地だったのです。
こうした歴史を知り、私たちは「いつか岐阜県と福井県の白山神社にも参拝してみたい…」と思っていたのです。
そんな越前の白山神社が、まさかここ「勝山市」にあったとは…。
しかも、偶然目にした看板に、その名があったので、もうビックリでした。
この看板を見た時、「平泉白山神社だって…」と私がつぶやくと、夫も「えっ?ホント?」とビックリした様子。
結果、「そっちに行ってみるか!」という話になり、即決で進路を変更しました。
こうして導かれるようにして、私たちは「平泉寺白山神社」がある方向へとハンドルを切ったのでした。
いざ!平泉寺白山神社へ
国道157号線から右折して入った先は、山の方へと続く一車線の道路でした。
この急展開にカーナビが追いつかず、私のスマホで進路を検索。
集落を通り、山の方へと続く道路をまっすぐ走っていきました。
この辺りは、紅葉は終わり、あとは雪の季節を待つのみ…といった風情でした。どこか懐かしい里山の風景を楽しみながら、私たちは坂道を登っていきました。
平泉寺白山神社へ。正式名は「白山平泉寺」?
無事に目的に到着した私たち。駐車場に車を停めました。
鳥居の方に向かって歩きます。
古い歴史を感じさせる神社です。
この看板地図を見ると、かなり広い境内なのですね。
…と、ここで看板の名称が「白山平泉寺」になっているのを発見。
道路の案内標識は「平泉寺白山神社」だったと思うのですが、ここでは「白山平泉寺」になっています。
実は、この場所は、神社庁では「白山神社」になっていますが、
正式サイトは「白山平泉寺」なんですよね。
これは、神社でもお寺でもどっちでも良い…ってことなのかな?
ちなみに、ここは、もともとは霊応山平泉寺というお寺で、天台宗の有力な寺院でした。
最盛期の戦国時代には、この平泉寺は、東西約1.2キロメートル、南北約1.0キロメートルの範囲に広がっていたと推定されていて、当時の日本では最大規模の宗教都市だったようです。かなり絶大な力を持ち、非常に繁栄していたのです。
この雪深い越前の地に、巨大な宗教都市があったとは…!
初めて知る歴史に、私は驚いてしまいました。
でも、明治時代の神仏分離で、無理やり寺院から神社に変更された…ようです。こうして今に至っているという訳なのですね。
(本記事では、ここから先は「白山平泉寺」と表記していきます)
境内を歩く
ここから聖地に入ります。
今まで訪れた聖地と異なり、ヘビーな雰囲気です。
鳥居をくぐると、更に奥へと参道が続いています。ここから、もう緑色の苔が参道脇に広がっていました。
御手洗池と御神木
参道を歩いていると、左手に池が見えてきました。「御手洗池」というそうです。
池の方に行ってみましょう。
白山を開山した泰澄大師が、池の中にある岩に向かってお参りしていたところ、一人の女神が現れ「神明遊止の地なり」とのお告げがあったことから、泰澄大師は、この地に社を建てて白山の神をお祀りしたそうです。
こうして、この場所は「神仏習合」の聖地となりました。
そして、この池は昔は「平清水」と呼ばれいたため、それが「平泉寺」の名前の由来になったそうです。
ふむふむ、なるほど。勉強になります。
この池の前には、泰澄大師が植えられたという御神木が立っていました。
二の鳥居と苔の世界
参道に戻って、また歩き始めます。すると、二の鳥居が見えてきました。
この鳥居の先は、若緑色の苔が一面に広がっていました。
これが、あの司馬遼太郎が「街道をゆく」で絶賛したという苔なのですね。
確かに、とても美しく見事な風景です。
積まれた石にも、苔がむしています。
◇
どんな情景か体験していただくために、苔が広がる境内の様子を動画に撮ってみました。(1分20秒)
横道を進み、坂を登り切ったところで、苔の境内が目の前に広がる…という動画です。良かったら覗いてみてください。
◇
拝殿の裏にある本社もお参りしました。社を覆う白い幕は「雪囲い」でしょうか。
三宮と白山禅定道口
本社から更に上へと進みます。一番奥にある三宮に向かいました。
石と土の道をひたすら登ります。スニーカーで行って正解でした。
◇
長い上り坂の参道を歩き続け、無事、三宮に到着しました。
三宮には、安産の神様が祀られているそうです。
この三宮の建物の横には、越前側の白山禅定道の入口がありました。
泰澄大師が開いたと言われる、越前側の白山禅定道です。
クマ除けのフェンスらしき柵が、周囲をぐるりと囲っていました。
首を斬られた仏様・廃仏毀釈の爪痕
しかし、この白山平泉寺。境内をぐるりと歩いてみて感じたのですが、全体的に、どこかもの淋しい雰囲気なんですよね。
紅葉もとうに終わってしまった初冬だからでしょうか?
夫とも「どこか淋しいよね。今まで尋ねた神社仏閣とは、何か違うものを感じるよね」と話しました。
どうしてこんなに悲しくて淋しい雰囲気なんでしょう。
不思議だよなぁ…。
…と、そう言いながら歩いていたら、途中の脇道でこんな仏様を見つけました。
首を斬られた仏像です。
納経堂へと続く道の脇に、たくさんの仏様が無残にも転がっていました。
割られた仏様。
お顔を削られた仏様もいらっしゃいます。
これは「廃仏毀釈」の痕だとピンときました。
明治政府の「神仏分離令」により、当時、日本各地で沸き起こった「廃仏毀釈」運動。10年も満たない短期間の間でしたが、それでも多くの仏様や寺院が被害を受けました。
ここ、白山の聖地でも「神仏習合」から「神仏分離」へ…。無理やり神と仏が切り離されて、違う形にさせられていったのです。
その時、傷つけられ捨てられた仏様が、ここに集められていました。
明治の時から、ずっとこの状態で放置されているのでしょうか。
だとしたら、本当に悲しく胸が痛みます。
だから、どこか物悲しくて淋しい雰囲気を感じたのですね…。
夫と二人並び、傷つけられた仏様に手を合わせ、お参りしました。
もしかしたら、私たちは、この仏様に呼ばれたのかもしれないな…と思いました。
泰澄大師を祀る社
最後に、泰澄大師をお祀りする社をお参りしました。
白山の聖地に呼んでいただいたことに感謝し、御礼を申し上げました。
◇
この時は、雪が降る直前の12月。新緑や紅葉の季節なら、今よりうんと美しい風景が楽しめたかもしれません。
九頭竜川と白山権現
こうして私たちは、白山平泉寺を後にしました。
もと来た道をまた戻り、勝山市から大野市へと走ります。
途中、九頭竜ダムの発電所を見てきました。
九頭竜ダムの長野発電所。とてもおおきな施設です。
このロックフィルの向こう側にある巨大な湖の下に、この流域にかつてあった集落がたくさん沈んでいます。
◇
そういえば、泰澄大師は「九頭竜」とご縁がありました。
泰澄が、白山山頂にて厳しい修行をしていた時、十一面観音の化身である九頭龍がお出ましになり、そこで悟りを得たのだそうです。
その後、(泰澄が開いた)白山平泉寺の白山権現が人々の前に姿を現し、自身の像(尊像)を川に浮かべると九つの頭を持った龍が現れ、尊像をいただくようにして川を流れ下ったため、この川を九頭竜川と呼ぶようになったのだそうです。
九頭竜の神様がいらっしゃる川。
白山の神様ともつながりがある龍神様の川。
たくさんの伝説が残るこの地も、電力供給の名目のもと、深い水の中に封印されていったのです。
◇
そんな九頭竜川沿いの道を下っていき、私たちは(偶然にも)白山平泉寺に導かれていきました。
とても不思議な旅でした。
おわり