【写真日記】ディープな岐阜旅②金神社~柳ケ瀬商店街を歩く
前回のお話はこちら
昭和の名残を残す「繊維問屋街」を抜けたところで、道に迷ってしまった私。
でも、すぐにスマホでGoogleマップを開き、位置を確認しました。
文明の利器に助けられ、目的地までスマホにナビゲーションしてもらいながら、大通りの歩道を歩きます。
こうして横断歩道を渡って、更に進むと、前方に朱塗りの立派な塀が見えてきました。
金神社を参拝
ここが次の訪問地。金神社です。
歴史を見ると、かなり古い神社なのですね。
さて、大通りから少し横に入ったところに、金神社の鳥居があります。
そうそう、これが見たかったのです。じゃーん!黄金の鳥居です。
噂には聞いていましたが、こうして実物を見ると圧倒されます。
なかなかスゴイですよ、これ。
鳥居の前で帽子を脱ぎ、一礼してから聖地へと足を踏み入れました。
大通りとビルの狭間に突然ポンと現れた、このオープンな空間。
とても清々しくて爽やか。良い気が流れていました。
この感じ、どこかに似ているなぁ…と思い、ちょっと記憶を辿ってみると…。あっ!思い出しました。そうそう、東京の神田明神ですよ。
CORONA前、私はよく東京に出かけていたのですが、一時期、御茶ノ水周辺がすごく気に入って、あの辺りに宿をとっていたんですよね。
それで、近くの神田明神にもよくお参りに行っていたのです。
金神社の前に立っていたら、神田明神のことが思い出されて、とても懐かしくなりました。
本殿の横には、金祥稲荷神社の社があるのですが、その更に横へ行くと、細い参道があります。
その参道の先に、賀夫良城神社(小さな祠)がありました。
「神社」と名付けられていますが、どうも古墳のようです。この辺りを治めていた物部賀夫良(臣賀夫良命)の墓と言い伝えられているそうです。
ちなみに、この賀夫良城について、「史跡」になっている割には、いろいろ調べても詳しい情報がほとんど出てこないんですよね。
物部氏と関係があるからかな?…物部氏が絡むと、とたんに謎めいてしまうという…。古代史の闇は深い…。
この後、社務所でお守りを購入し、金神社を後にしました。
柳ケ瀬商店街を歩く
柳ケ瀬とは?
次に向かうのは、岐阜市の繁華街・柳ヶ瀬です。
柳ケ瀬といえば、やっぱり美川憲一さんの『柳瀬ブルース』ですよね。
柳ケ瀬の歴史は古く、明治時代に盛り場として始まり、その後、大正時代に商業地として発展します。
戦中、空襲で焼失したものの、戦後の復興によって新しく建て直され、現在の巨大アーケード街が誕生しました。昭和40~50年代に繁華街としてのピークを迎えたものの、その後は、時代の流れ&人の流れの変化と共に、少しずつ淋しくなってきました。
しかし今、柳ケ瀬商店街は、かつてのように街に活気を呼び起こそうと、新しい視点と発想から様々な試みがなされています。
◇
そんな柳ケ瀬商店街。実はこちらも、私は(県民なのに)今まで訪れたことが全然無くて、今回が初潜入なんですよね!
とてもワクワクしてきました。
おっ、見えてきましたよ…。
早速入ってみましょう。
柳ケ瀬アーケード街を散策
アーケードの中へ入ってみます。
この柳ケ瀬商店街は、京都の新京極や名古屋の大須にどこか似ています。
だけど、他のアーケード街と圧倒的に違うところは、「規模が大きい」ところです。そう、かなり広いんですよね。
しかも、興味を惹かれるもの&面白そうなものが、あちこちにたくさんあります。
丁寧に回っていたら、半日以上…下手したら一日済んでしまいそうです。
アーケード街を出て、大通りに面したところも歩いてみました。
こちらも柳ケ瀬商店街
ここにも屋根(アーケード)がついていました。日差しが強い日の散策には、こうした屋根があると本当にありがたいです。
今日のお散歩はここまで。
次回は、柳ケ瀬のことをもっと下調べして、しっかり歩きたいなぁ…と思いました。
それにしても、この昭和感&カオス感は癖になりますね~。
③へ続く