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同じ景色を見て同じ気持ちになるということ。

人間、同じ景色を見て同じ気持ちになる経験って必要だと思う。
私は両親とことごとく価値観、趣味、思考、好きなことが違った。

リビングでTVをつけていても好きな番組が全然違うから一緒に観ることもなかった。「これ面白いね」って家族みんなで同じものを見て同じ気持ちになって笑い合うなんて経験をしたことがなかった。

外にも家族みんなで出かけるとか基本ないので、「綺麗な景色だね」「楽しいね」「美味しいね」って感情を共有した経験がない。

思考も違うので私が何か言っても「そうだね」とか「良いね」とか肯定されることもない。辛いことや悲しいことがあっても「辛いね」とかそんな共感はなかったので自分で生きていくしかなかった。

みんな我が強いというか、個性が強くて共感性も協調性もない家族だった。
パクチー、ミント、シナモン、クミンそれぞれのスパイスが共に生活してる感じ。この調味料を全部入れたらカオスな味になるのと同じようにカオスな家族だった。気の合わない人との生活は本当に心によろしくない。
でも子供のうちはそこが居場所で逃げられない。

きっと、あの人達は私がこの3年間の海外生活がどれだけ大変だったかも、帰国したら暫く心身休ませたいって気持ちも分かってくれないだろう。
どうせ帰国して疲れてずっと泥のように眠っていたら「いつまで寝てるんだ」って叩き起こすだろう。
「海外生活今まで頑張ったもんね、寝かしてあげよう」とかそんな気遣いはあの人達にはできない。

海外生活1年目の冬に旦那さんの父が癌で余命宣告をされ2週間だけ日本に帰国した。もう末期で余命宣告されてたので私たちが帰ってくるタイミングで退院し家で私たちと共に過ごした。
一緒に過ごした後に私の実家にもみんなで帰った。
私たちは慣れない海外生活して長時間のフライトで日本に帰国して、余命宣告されたお父さんと過ごし心身の疲労がすごかった。
気晴らしに娘を両親に預けて夜ご飯を食べに行った帰りに「子供置いてこんな時間まで」と言ってきた。こんな時間って言っても夜の9時くらいだ。

私はそういうの昔から慣れているからいい。
これを聞いた旦那さんの気持ちを考えてブチギレた。
本当に想像力のカケラもないサイコパス野郎だ。

このように実家は私にとって心の安全基地ではないので、海外で鬱になっても途中で帰国はしなかった。
このように心の安全基地がない、逃げ場がないってだけで人生ハードモードになる。
頑張るしか、耐えるしかない人生だった。
今回も耐え切った。死ぬかと思ったけど。

自己受容8割9割できて両親に対しても「どうでもいいや」って感情になってたが帰国まで2週間きった今、最後の膿みを出し切るかのようにまたドロドロとした膿みがでた。

私はこれから同じ景色を見れて同じ気持ちになれる人達と共に生きる。
一緒にいて楽しい、幸せと感じられる人と共に生きる。
辛い時、悲しい時に寄り添ってくれる人と共に生きる。




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