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何もできないことを学びなさい。
深みのある人っているじゃないですか。
その深みって人生経験から来ていると思っています。
そして一見、明るいけどどことなく陰もあるってところが特徴です。
楽しい幸せな経験だけではなく挫折や悔しさ苦しみ悲しみなども経験して陰と陽の経験を元に自分の人生や他者の人生を良い方向に導ける人が深みのある人だと思います。
結構人生経験あるように見えても他者に対して思いやりや想像力が欠落している人は深みがある人とは思えません。なんの為の「人生経験だよ」って。
そういう人は「自分の為」って言うでしょうが私利私欲のための人生経験って深みを感じません。
仮に世界が肩書きやお金がない世界になったとしましょう。
それらがなくなった時、その人の本質が見えます。
人格や思いやりや想像力や人生経験の豊富さ、知識など。
それを持ってる人が深みのある人間なのでは?と思います。
約30年くらいしか生きていないのでまだまだ人間としての深みはないかもしれませんが、今までの人生経験で学んだことを箇条書きに簡単にご紹介しようと思います。
【これまでの人生経験で悟ったこと】
・人を助ける前に自分の人生を生きること、自分を大切に
・何もできないことを学びなさい
・人を助けるのは時として傲慢である
・自己肯定感とか言ってる前に自己受容
・ドーパミンよりセロトニンとオキシトシン
・自分と人をある程度許せれば生きやすい
・人生の流れは最初から決まっている
・できなくても良い
・日本人は物事に関しても人や自分に対しても完璧求めすぎ
・日本は色んな人の欲求を叶えようとしすぎ
ざっとこれくらいでしょうか。
これら悟ったことに関しては既にnoteで詳しく解説しているので気になった方は是非読んでみてください。
【何もできないことを学んできなさい】
この中の「何もできないことを学んできなさい」に関しては東日本大震災が起こって数週間後に被災地に向かった岩手県の僧侶に住職が言った言葉です。
この僧侶は故人や残された遺族を思って被災地へ出向いたのですが、現場の酷い状況に言葉を失い、お経を唱えることができず頭を下げることしか最初はできなかったとのこと。そんな中で被災者の女性から「あんた何してんの?その服脱いでボランティアでもすれば?」と言われたそうだ。
「助けを呼ぶ声をお経でかき消してしまうのでは。ご遺体を探しているご家族に死を突きつけてしまうのでは」と色んな考えが巡って思い悩んでしまい住職に相談して返ってきた言葉が「何もできないことを学んできなさい」だったそう。
人を助ける、人を救うって本当に難しくて何が正解なのか分からないし、私達は何もできない場面がたくさんあると思うんですよね。
自分の無力さも思い知ったり。手を差し伸べるべきではない時もありますし。人を助けるって時として傲慢だなと感じる時もありますし。
突然の出来事で大勢の人が亡くなって火葬すら追いつかず土葬された人々にせめてでもお経を唱えたり手を合わせたいというこの僧侶の気持ちも分かるし、被災者の女性も鎮魂とかそういうのより現実的に今生きてる人のために瓦礫の除去や炊き出ししてくれた方が良いって気持ちも分かるし。住職の「何もできないことを学んできなさい」は究極の教えだろうなと思います。
人は無力でも力及ばずでも自分に何ができるのか考えて行動するのも必要ですし、何もしないで見守るという選択も必要な時があります。
人を助けたり救うって正解がないですし、誰かに「何してるの?」「そんなことしても無駄だよ」って言われるかもしれない。
その上で人それぞれ強みや得意なことは違うので、自分のできる範囲で自分の信念を持ってやるのが道理なのかな、と。
この僧侶は「あの時人の為になったのか役に立ったのか今でも分からない」と振り返っていますが、そもそも人助けする気が全くない人も多くいるのだから「自分にできることはないか」と実際に行動できる人は貴重だと思います。
【教えや決まりごとがない】
住職の言葉は「物事や人生に教えや決まりごとはない。自分で考えて行動しなさい。自分と向き合いなさい。」という意味で私は捉えました。
「何もできないことを学ぶ」って意識の元で自分で考え行動できる人は深いな〜と私は思います。