#42 フラナリー・オコナー「田舎の善人」〜天国に持って行けるものは の感想

「善良な田舎の人たちは地の塩です!」
「地の塩なんか追っぱらってよ」

田舎の善人

配信を聞いて、絶対読みたい!と思った作品。紹介されているちくま文庫がすぐに見つからなかったので、こちらを読了。


今回のキーワード

  • Vulnerability (ヴァルネラビリティ):脆弱性。自分の不完全さを認めることで強くなる

  • オコナーはアメリカ南部の親鸞

  • ファンダメンタリスト(原理主義者)は善意の人

  • (作中の)セールスマンは自分を善人だと信じている?

  • 民放を見ている人がNHKを見たときの感覚

  • オコナーはNHK説

  • ジョージア州怖すぎるやろ

  • 同じ南部文学でも、フォークナーやマッカラーズに比べると、オコナーは末法の世が来た感じ ※マッカラーズについては#64で配信されています

ハルガにシンパシーを感じるか?

面白かったー!大東先生は「読み返すにはちょっと」と仰っていたが、私は3回くらい読み返した。
ハルガにシンパシーを感じる大東先生 VS シンパシーを感じない干場さん、というのがこの回の大きなポイントかもしれない。

知に信を置いている人と何も信じない本当のニヒリストの対決。 ひっくり返してハルガがもし信じるものを持っている人間だったらこんなに動揺しなかったのではないか?こんなことでしてやられることはなかっただろう

干場さん

ハルガという名前

「ハルガ」という名前はホープウェル夫人によると「戦艦の幅の広い、なんの飾りもない船体のことを思った」だそう。つまり可愛げがないんだろう。「ジョイ」って名前、本人いたたまれないのもわかる。なんかこう憂いもなにもない感じで、鬱屈したインテリのハルガには耐え難かったのでは?自分が置かれている状況に対してあまりにも皮肉ですらあるもの。「ジョイ」って。

「ねんね」のハルガ

これはねぇ・・・同じ女性だからか、なんかこう痛々しかった。桐野夏生「グロテスク」で描かれたチア部、ブランドソックスのエピソードを思い出させる。頭はいいけど世間ずれしていて、特定分野には知識があるのにどこかがぽかっと欠如している女性。その危なっかしさをオコナーはハルガの服装でずばりと描いている。なんかかわいそうになってくるな・・・

六歳の子どもに似合うようなスカートをはき、色のあせた騎馬のカウボーイが浮出し模様になっている黄色いセーターを着て歩きまわっていた(中略)頭はいいのだが、美的感覚が少しもないのだ。

本文より

以前、専門職についている割とインテリと思われる女性が国際ロマンス詐欺の被害にあったニュースを聞いたことがあるが、何かそれに通じるものを感じたな。
聖書のセールスマンと「わたしは三十歳なの。いくつも学位を持っているのよ」「かまわないさ」っていうやりとりがあって、義足奪われる前から既に決定的に噛み合ってなくて、もう見ていられない・・・。

「善意の人」とはなにか?

善意の人、で私が思いつくのは駅前で布教している某宗教団体の方々かな。あの人達、身なりもきれいだし、声かけてくるわけでもないし、ルポなんかも読んだことあるけど本当に真剣に人々を救いたい、と思ってるらしい。けどどこかしら「独善的」な印象があるんだよなぁ。「自分にとって良いものは皆にとって良いものだ」みたいな。
ただし信じるものがある人は強い。何言われても意に介さないでいられるでしょう。「ファンダメンタリスト(原理主義者)は善意の人」(大東先生)とこの配信でも触れている。

その人の本質とは何か?

「その人の本質を引き出すためには極端な状況に置く必要がある。極端な状況は死、そして死に近いものは暴力」というのがオコナーの作風らしいんだけど、そもそも本質を暴く必要があるのかどうか?っていうのが疑問だった。これってやっぱりオコナーがキリスト教徒であることが大きいのだろうか。Wikipediaに興味深い記載を発見。

フランスの哲学者ジャック・マリタンに影響を受けた。芸術家であることとキリスト教徒であることに断絶があってはならないというマリタンの考えは、若き日のオコナーの心を強くとらえ、生涯の課題となった。

ウィキペディア「フラナリー・オコナー」

あの絵を思い出す

アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」

このあと、納屋に取り残されたハルガはどうなるのか。これからの人生をどうやって生きていくのか、といろいろと考えてしまった。

今回の本

その他紹介された本


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