#40 ジョン・チーヴァー「泳ぐ人」〜アメリカという若者、あるいは老いについて の感想

※これはポッドキャスト番組「翻訳文学試食会」の感想です

感想

「ぼくはこの土地を泳いで横断しているんです」

「泳ぐ人」

「近所のプールを泳ぎついで自宅に帰る話」
先に配信を聞き、何を言ってるのかと思い、図書館で借りてみた。

のっけから「彼は自宅の階段を滑り降りて」
ここ干場さんも触れていたけど、もう嫌な予感がする。大人になってこんなことやるやつはあぶない。

知り合いのプールでにこやかに次々と調子良く泳がせてもらうネディーが水着姿で路肩に立っているあたりで、ちょっと徘徊老人のことを想起してしまった。

ビスワンガーさんのところでもシャーリーのところでも邪険にされるシーンを読むと、あーこのひとずーっとこんな感じで生きてきたんだろうなぁと感じた。健康でお金があって外見も良い陽キャで「どこでも歓迎される自分」を疑ったことがない人生というか。

自分が思いついたらたとえ疎ましがられても他所の家のプールで泳いでしまう。かつての愛人に「もうお金は一銭も出せないわよ」と言われてしまう。
奥さんも娘さんもネディーの元を去ってしまったようだけど、たぶんこのネディーの「ひとりよがり」なところに愛想をつかしたんだと思う。

それなのに妻の名前をとって「ルシンダ水脈」って名付けるセンス。私はここが怖かった。熟年離婚されるおじさんぽくて。相手がどれくらい自分に対して愛想をつかしているかに気づいていない鈍感さ。

「一日の中で季節が移動している」と大東さんが触れていたけど、こういうのフリオ・コルタサルの「南部高速道路」に似てる。

ここの舞台が西海岸か東海岸か問題。大東さん:東海岸、干場さん:西海岸説。私は西海岸かと思ったな。自宅にプールある=ハリウッドっていうイメージで。パーティーピープルっていうのも西海岸ぽいなーと思ったけどどうなんだろ?

他の収録作品

表題作の「巨大なラジオ」が面白かった。ネット社会っぽい。
他の作品も一部除いて読んだけど、私はどうも村上春樹翻訳と相性悪いみたいなんだよなぁ・・・。翻訳小説を読んでいてもどうしても訳者がちらつくというか、村上春樹の小説を読んでいる気分になってしまう。この作品だけかと思ったけど、チャンドラー読んだ時もそう感じた。
もしくは村上春樹が翻訳に選ぶ作品の作者と相性が悪いんだろうか。

今回の本


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