#4 ラッタウット・ラープチャルーンサップ「ガイジン」 クリエイティブ・ライティングを考える の感想
※これはポッドキャスト番組「翻訳文学試食会」の感想です
今回の本
今回のキーワード
タイ人という感じがしない。アメリカ人の視点
『クリエイティブ・ライティング』の手法、情報を小出しにしていく
誰が読んでも面白いし、誰が読んでも理解できる、全部わかる
別にタイが舞台じゃなくてもいいよね(タイは小道具)
ウェルメイドの何が問題なのか?
チャレンジがない、小さく完成されている物足りなさ
「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」
感想
「翻訳文学試食会」を聞いていくには外せないこの作品をようやく読めた……んだけど、なんだろう。あまりピンと来なかった。象に乗るデートでリジーがビキニのままで乗ろうとして、象乗りを管理しているおじさんに「何か着るように彼女に言え。象を冒涜するな」みたいなことを言われるんだけど、この少年、なんだかんだのらりくらり交わそうとするんだよね。そこがどうしても無理。なんでそんなことするの?きちんと規則とおりに服を着るように伝えてそれから象に乗ればいいじゃん。
リジーというアメリカ娘も、ハンターとかいう彼とどっこいというか、いったい何がしたいんだ?って感じであまり感情移入できない。なんで象に乗りながらビキニ脱いだりするの?象に乗る意味考えて!と思ってしまう。それともアジアの文化を無意識に軽視するアメリカ人を描いているんだろうか。いずれにせよどうにもここで引っかかってしまった。
他の作品も2作品読んだけどそこでギブアップ。完読できなかった。『徴兵の日』と『カフェ・ラブリーで』は『ガイジン』よりは楽しく読めた。
なぜこの小説がピンと来ないか考えて思い至ったのは「タイに興味がない」からだと思う。舞台に興味がないと翻訳小説は厳しい。
とはいえ、インドに観光に来たアメリカ人夫妻と現地の通訳を描いたジュンパ・ラヒリの『病気の通訳』とちょっとシチュエーションが似ていると思ったが、あちらはインドに興味がなくても切なくなるし忘れがたい。何が違うんだろう。やっぱり登場人物がある程度大人でないと乗り切れない、ということなんだろうか。