古典と新刊.古典は面白いし読むだけで価値があるからと言う人に私が言いたいこと.
よく,大学で専門分野の勉強をしているときにありがちな風潮として,○○(という偉い人の)の△△(という昔からある教科書)を読んでおけば間違いない.というものがあります.比較的新しい,読みやすい教科書ではなく,旧字体になっていたり言葉遣いが古めかしくて読みにくい,しかしその分野で先駆的な業績を残した,いわゆる大御所と呼ばれるような人が書いた本を読んで勉強するのです.
この選択のメリットとして,理論が未完成の時代に完成に近づいていく過程をいきいきと感じることができる,戦後間もないころに出版されたにもかかわらず今も教科書として現役であるのだから本の内容の価値は疑いようがない,現在も第一線で活躍する大御所の研究者もその本を読んで勉強したのだから,読むべきというものがあります.それは否定のしようがない事実だと私も思います.
一方で,古典重視派の中には,「新刊は古典的な教科書の内容を分かりやすくかみ砕いただけの,いわゆる離乳食みたいなものだ.それだったら一次情報が書いてある原典に当たるべきだ.」といい新刊や比較的新しい(2000年代以降の)本を否定する意見もよく耳にします.一次情報に当たるべきというのは同意できます.このインターネットが発達して様々なデマや,事実ではあるけれども真実ではない情報が多く飛び交うようになりました.(まあこのおかげで新聞やテレビも嘘は言わないけど事実を都合よく切り取ったり解釈を捻じ曲げて主義主張を押し付けるということもよくわかるようになったと私は思います.)
私もどちらかというと古典を意識して読むようにしてきましたが,最近とある文庫本を読んで,新刊の存在意義について考えさせられることがありました.それによると,
「時代が進むにつれて理論が発達し,それに伴ってものごとの価値基準も変化している.したがって学ぶべき内容も変化させるべきであり,何を学ぶべきか,何を学ばないべきかの取捨選択をするべきである.」
「新しい本で勉強することは非常に重要で,それは学ぶべき内容というのは時代とともに変化しているからである.」
「昔自分が教わったことがよくて,それを次の世代にも当てはめる」という傾向はいつの時代にもある.
という趣旨の意見が書いてありました.私がもともと古典推進派だったのはとある分野の大御所の先生の本でそれを聞いたからで,この主張は同じ年代の同じような分野のやはり大御所の先生の本にあったため,非常に驚きました.相反する意見を聞いてしまったような気がしました.
最先端の研究をするためには,それまでに何が行われてきたのか,何が既知で何が未知であるかの区別をつけなければなりません.ですが,時代が流れるにつれて既知の事実はどんどん山積みになっていき,最先端はどんどん遠くなっていく,新規参入が非常に難しくなっていきます.
したがって,古典理論を要領よく勉強することと,勉強する内容の取捨選択が今後ますます大事になってきます.特に凡人はキャパシティが限られていますから,内容の取捨選択は特に大事です.
この役割を果たしてくれる新刊が書店や図書館に並ぶことを私は期待したいと思います.
研究の息抜きにコンビニの100円コーヒーを買いたいと思います.サポートいただけると幸いです.