【学校創り日誌21】心新たに進みだす&そのきっかけ:「それってインターナショナルスクールじゃないんじゃない?」
1か月ほど前、私の恩師である方と久しぶりにお話をさせていただきました。
近況の報告や相談ごとと共に、学校創りについても話をしました。
その時に言われた一言が
「それって、インターナショナルスクールじゃないんじゃない?」
でした。
くすぶりから復活した直後の記事で、急な展開ですが、記していこうと思います。
私の恩師
その恩師は院生時代の指導教官で、アカデミックライティングをご専門とされている、リテラシーの専門家です。
複言語の人たちを対象にしたマルチリンガル・マルチリテラシーのご研究やご講演も数知れず。
私がどっぷり日本語教育というよりも、バイリンガル・バイリテラシーという切り口から批判的思考を研究したり、その知見をもとに教育活動を行うきっかけとなった、いわば「インターナショナルスクール日本語教師」としての私を育ててくれた人です。
相談
昨年ごろから、彼女がリーダーをつとめるコースの講師の1人としてお仕事をさせてもらっています。
11月に入ってから仕事のことで相談があり、学校創りについても進めていきたいことを話しました。
彼女にインターナショナルスクールを創りたいと思っている旨を初めて話したのは2年ほどでした。
当時、「予想の斜め上!」という感じでかなり驚いていらっしゃったのを覚えています。
「この子は…何を言い出すのかしら……」と。
その際、理由や学校のイメージなど色々質問されましたが、かなりやんわりと(いや、結構はっきりだったかもしれないが)「あなたのやりたいことがなんなのかはっきりしない」と言われていました。
事実、そうだったように思います。
私も話しながら伝えたいことが伝えられなかったような気がして不完全燃焼だったのですが、そうは言っても私が師事したいと思った先生。
教育観や言語観については意見が合うことが多く、ぼんやりとですが「いや、大丈夫。私のこの考え方は間違っていない」と理由のない自信を得たのも事実でした。
そこからまた細々と取り組みを進めていきましたが、結局それ以来彼女には学校創りについて話す機会がなく、今回が久しぶりの近況報告となりました。
「あれからどうしたのかしらと思っていたけど、あなた、お子さんが三人になっても進めていたのね」
半ば呆れながら、という気もしなくもありませんでしたが、細かく色々と聞いてもらうことになりました。
見抜かれた迷い
そもそも、学校を創りたい、インターナショナルスクールを創りたい、とは言ってきてはいるものの、この「インターナショナルスクール」という考え方にはかねてから私自身にも迷いがありました。
私が想定している学校のイメージは必ずしも日本で浸透している「インターナショナルスクール」というイメージとは異なっています。
「インターナショナルスクール」と言えば、今は大まかに下記のようイメージが強いのではと思います。
①駐在員の子女向けのスクール。いわゆる伝統的なインターナショナルスクール。子どもたちやその家族が英語を共通語として世界を移動することを前提にカリキュラムが組まれている。
②アメリカンスクールやブリティッシュスクール、カナディアンスクールなどの英語圏の教育機関が母体となるスクール。分類としては民族学校(※)の性質をもっていると考えられるが、英語が学校言語という点で「インターナショナルスクール」という認識に当てはめられていることが多い。
③バイリンガルスクールやイマージョンスクール。日本語を母語とする子どもたちの入学が念頭に置かれており、幼い頃から英語で学ぶことができるだけでなく、日本語とのバランスも計算されたカリキュラムで、新しい学校に多くみられる。
※日本国内には、中国、韓国(朝鮮)、ドイツ、フランス、ブラジルなど各国の教育機関によって運営、あるいは認定されている、その国の国籍をもつ子どもたち(あるいはその国とつながる子どもたち)のための学校がある。学校言語はその国の公用語なので、中華学校なら中国語、ドイツ学園ならドイツ語となる。
「多文化」「多言語」「国際的」こうしたキーワードから、一般的なわかりやすさを第一に「インターナショナルスクール」という言葉を選んで使ってきた私ですが、必ずしも「幼い頃から英語で勉強させて英語が話せるようになる」ことを目的としていないことは、先ほどの記事でも書かせていただきました。
ということは、果たして「インターナショナルスクール」という形ではじめることが正しいのだろうか。
すると、彼女から次のように問われました。
「なぜあなたはそうまでして学校を創ろうと頑張っているのか。」
私の答えは、
①自分の子どもを含め、秦野市や近隣に学校の選択肢が少ないと感じ、もっと教育の多様性があってもいいのではと思ったから。
②外国につながりのある子どもたちが「自分らしく」いれる学びの場を作りたかったから。
③思えば、私自身が幼い頃にアイデンティティや自分のルーツについて悩んだことがあったから。
すると、続く質問でこう問われました。
「なるほどね。継承語だけをやるってこと?」
私の答えは、いいえ。
日本語は現地語として大事。英語は世界の共通語として大事。そして、同じくらいコミュニティランゲージも大事。という考え方でカリキュラムを作りたいです。
「なるほどね。それならやりたいことがわかったわ。やっぱり幼い頃は母語での教育、保護者が日常使う言語での教育って大事なのよ。それが思考力につながり、ひいてはリテラシーに直結しているから。」
そこで冒頭の言葉。
「私が聞いている限り、Eriちゃんの考えていることや言っていることは、いわゆる『インターナショナルスクール』として運営している人たちやそれに期待している人たちとは違う気がするの。あなたのは、継承語をやっている先生方と同じなのよ。」
「あなたがしたいことは、インターナショナルスクールではない。だから、そこをまず見直した方がいい。」
目指す形の再考
私は、確かに便利な言葉として「インターナショナルスクール」という言葉と使ってきていました。
でも、巷で認識されている「インターナショナルスクール」という言葉が想起させるイメージは、私がしようとしていることと全然違う方向であることもわかっていました。
これはずっと、頭のどこかで自覚していたこと。
そのことを恩師にズバリと言い当てられて、より明確に、頭と心に痛く突き刺さりました。
私は、確かに「学校を創りたい」と思っていました。
学びの場の重要性は、これまでの経験でしっかり認識していたつもり。
でも、自分がそこに行きつくまでにいくつものステップを踏めていないことも感じていました。
焦っていたのではないか。
自分の子どもたちも通わせたいと思える学校でなければ意味がない。
そう思うあまりに、学校のターゲットととして想定される子どもたちよりも、世間一般のニーズに焦点を合わせようということに縛られていたんじゃないか。
「あなたは、そういうニーズのある子どもたちの「居場所」を作りたいのね。子どもたちっていうか、その保護者も含めてだけれども。」
そう言われて、はっとした。
私は、誰かの居場所を作りたかったのか?
その居場所は「学校」という形であるべきなのか?
外国籍市民の親子の居場所を作りながら、自分が理想とする教育を提供したい。
いや。今、答えや形を急ぎすぎるのは無理だ。
「居場所」×「教育」?
そういった前例は山ほどある。
フリースクールやオルタナティブスクールが一般的となった令和の時代、特にコロナ禍を経た2022年以降は、多様な子どもたちのための多様な居場所となる学校があちこちにできている。
それならやることが山ほどある。
知らなければならないこともたくさんある。
データの収集先も変えて集め直さなければ。
新たな覚悟
というわけで、私のnoteを始めとするSNSのプロフィール名や自己紹介の欄から「インターナショナルスクール」という言葉を消すことにしました。
「継承語の道は険しいと言わざるを得ません」
恩師からの重い一言。
数々の現場を見てきた先生の言葉の重みは、これまでその道で必死に活動をされてきた方々の苦労の重みでした。
理想の教育の形を追い求める以上、自らもそれを背負う覚悟がいる。
でも、「インターナショナルスクールを創る」という時に必要だった覚悟とは、まったく性質の違う覚悟だ。むしろ背負いたい。
言語を学んだ先にある社会の形や、その社会でたくましく生きていく子どもたちの姿が私にとっては重要。
「インターナショナルスクールを創る」という目標は変わることにはなるけれど、進む道の理解が変わったのであって信念も方向性も変わっていない。
引き続き、noteに記録を残しながら、歩んでいきたいです。