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猫たちのインタープレイ

ねえ、これは誰の格言なの?と聞いたら、
『さあ。夜は静かだからね。』
と返ってきた言葉。

『性的な交わりを避けることはできるけれど、目を逸らすことだけは絶対にできない。例えば、すぐれた音楽とはそういうものである。』

『どんな真意があるの?』
『音楽を耳で聴かなければわかるよ。』

彼は繊細な猫みたいに誰にもなつかない孤高の作曲家で、いつも真夜中に曲を創っている。そして時々、こんなふわりとしたメッセージを送ってきては答えを与えず、また音の世界へ帰っていく。私たちは過去に一度だけ、キスをしたことがある。唇を重ねたその瞬間に、なんの感覚もなかったただ一人の人。心は確かに惹かれ合っていたはずなのに、感情を流し込んでしまわないようとても注意深く何かを確かめあった、きっと、お互いにそんな感じだったのだろう。流し込まずにいられることの確認に成功した私たちの恋の予感は、そこであっけなく消えた。

大人になればなるほど、恋は幻となる。特に、確かな感触と共に血が通い、熱を帯びるような恋は。そして、おそらく、温度や質感のない小さな愛は存在するが故に、交わることを避ける。絶対に失ってはならないものを、壊してしまわないように。

そういう距離感を保ち続けていく猫たちは、時折、概念的に重なり合う。心で見つめ、高まり合い、刺激し合い、お互いを感じて、意識の中の耳元でそっとささやく。彼らが奏でる音楽は、真夜中を過ぎる頃、美しいインタープレイへと昇華していく。誰もいない深い葦の森の中で、互いの顔すら見えないままに。

その音楽を聴いているのは月だけで、生まれたものの全ては、夜の空が残らず吸い込んでしまう。

『インタープレイってなあに?』
『調べてみなよ』
『相互作用、交錯、だけどジャズでは訳せないって書いてあるよ。耳で聴かなければわかる?』
『わからないと思う』

誰もが永遠に猫のふりをして、まやかしの音楽を奏で続けている。そして、いつの日かそっとひとり、コーダのページへと譜をめくる。苦衷の顔も恍惚の顔も、誰にも見せない、最期まで、猫のままで。

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