感情の昂り陰りを言語という型に流して固める。
河の流れが分岐するように感情を言語化しパッケージングすることで頭の中で起きている嵐に対応する。すごく人間的で理知的だと自画自賛する。外界は自分1人で対応しきれないことが多すぎる。情報量が多すぎる。考え過ぎて頭が痛くなる苦しくなる。そんな時は感情と言葉を繋いであげる。本を読む。自分の中の漠然としていて抽象的なものが形状を帯びる。目視できたら怖くない。不安や昂りの怖いところは目に見えないところ、形を捉えられていないところだと思います。であれば、形を与えればいい、目視できるようにすればいいのです。驚くことに本を読むと言葉と頭の中の抽象物が結びついてくれます。人間はこのように言葉と現象を繋げて言語を獲得していくのかもしれません。洗濯物を畳む感覚にも近いかもしれません。洗濯物って溜めすぎると山みたいになって畳むことすら億劫で憂鬱になりますよね。でも、畳みきって収納するとすごくスッキリしませんか?こんな感じで自分の頭の中のモヤモヤしたものや強すぎる興奮はレッテルを与えてあげて包装し出荷してあげればいいんです。伝わりますかね?ニュアンスだけでも伝わってください。普段は慣習や偏見などの決まりきったものって自分を拘束するみたいでクソうざいですけど、考え方を変えると一種の救いにもなると思えるようになりました。どうしても物事をカテゴライズすることを止めることができないので逆に自分から型の方に向かっていく。そう言った考え方もありなのではないかと最近思います。
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