蝉を食うOB
蝉が命を謳っている
土曜出勤の朝、週6勤務の重い身体を引き摺って玄関のドアを肩で押し開けた時のことだ。あれ腕だったかな。
単純に元気が出る。この声ひとつで季節は動きはじめるし、決まりきっていることが今年も順調にやってきたことに安心感を覚えるのは私だけではないはずだ。人は、少なくとも日本人は不変を好むと言われるのもよくわかる。
そんな声のなかに思い出すのはいつも、金属バットの快音と白球の行方、蝉を食うOBのことだ
土日の練習に必ずやってくるOBがいた。年齢は50〜60代くらいの太めの男性。10代前半の当時、大人はもれなくエライ存在だったものだから疑いもしなかったが、どの角度から見ても不審者であった。死角のない不審者ともいえる。他の追随を許さない不審者ともいえる。伝説の…
そのOBがバットを握っている姿は記憶にない。今思えばずっと日陰にいながら野次を飛ばしていた気がする。そして機嫌が良い時は頼んでもいないのに蝉を食って見せた。
悪い夢?
当時の我々は阿鼻叫喚、中には目を輝かせるものもいたが。今ではこんなことは口が裂けても言えないがその事自体に興味があったと思う。そのOBのことを「自分達にはできないことができる大人」として、部員全員が敬う気持ちがあったかは別として、慣れない敬語を使う対象ではあった。
今思い出してきてあったまきた。腹が立つ。あのOBは学校という隔たれた世界のなかにOBというセキュリティカードをいいことに侵入してきたのだ。そして多感な時期の我々に蝉を食べて見せた。猫を撫でるように蝉を食べて見せた。日常のなかの一瞬を通り過ぎるエロを見逃さないことに全神経を集中させている我々には思わぬ衝撃だった。
当時少しでもエロを感じることができる言葉を国語辞典の中にみつけてマーカーを引くことに明け暮れる日々だった。今でも覚えているのはマンマンデーとマントルピース。エロに切羽詰まっている人間のみ可能な選択である。一番積極的にマーカーを引いていたアイツは慶応大学文学部を卒業し、去年結婚した。功を奏している。
そんな淡くも粘ついた記憶がOBという言葉にトラウマを植えつけた。こんなことを言っては全国のOBに悪いが、OBはオールドボーイである。新しい時代をつくっていくのはいつだってNB(ニューバランス)なんだ。
あ〜ふざけちゃった。
新しい時代とか歯の浮くようなセリフが出てきてふざけちゃった。だが放っておいても今の世代が今の感性でつくっていくのは確かだ。私のなかのOBへの秒針はすでに進んでいて私が完全にOBになってしまった時この文章は私を救ってくれるだろうか。7日間という己より遥かに短い寿命を食べて奇を衒うような悲しい大人にはなっていないだろうか。
玄関を開き、このいのちの声を聴くたびに思い出す。
蝉と過ごした中学生活が1年のなかで2カ月と計算して3年間で186日。
OBと過ごした中学生活が1年のなかで土日のみと計算して3年間で288日。
そしていつも、この取り返しのつかない膨大な時間を前にして空蝉のようになってしまうのだった。