「もう食べられないよムニャムニャ」って寝言で呟きてェ〜 という願望を持ちはじめてからもうすぐ三度目の春を迎えてしまう。私が寝言で「もう食べられないよムニャムニャ」と言えずダラダラと日々を垂れ流している間にたくさんのいのちが芽生え、やがて絶えていってしまった。外はもうまったく知らない世界だ。ありとあらゆるものの細胞は全て生まれ変わり、そこにあるものは単なる私の記憶でしかない。 季節が変わるたびにそんな鳴かず飛ばずの不甲斐ない自分自身に辟易している。どこまでも続くような快晴の
と頭を悩ませながらの残業終わり、フラフラと二郎系ラーメン屋に吸い込まれるように入ると、外国人店員2名が丁寧な接客で迎え入れてくれて一気に気合いが入った。疲労とは関係なく、そもそもの語学力が欠如しているので、海の向こうではマシマシのことはモアモアなのだろうかと、モヤモヤしながら注文を済ませた。 その後入店してきたサラリーマンが「野菜マシ!ニンニク無し!ニンニク、無し!ね!」と強調しているのを見た。 過去に、伝達不足で望んでもいない大量のニンニクを盛られた者だけが見せる神妙な面持
今年こそはもうこのままずっと終わらないんじゃないかと不安になっていた夏も呆気なく終わりを迎えてしまって、まるで誰かが片切スイッチを叩いたかのようにある日突然季節が切り替わってしまった。頭上では電球のような月が、誰のものでもなさそうに煌々としている。 季節は四季ではなかっただろうか。年に四回ほどの季節の変わり目に、心が敏感になる所謂四季ニキであったが、二季ニキとしての生活を余儀なくされている。と思ったらやっぱり秋でないと説明がつかないことにも直面し、せめて三季ニキの今日である
なんてこった と両手で頭を抑える反応のことをオーバーリアクションと言う人がいれば、それはまだこの絶望を味わったことがないということになる。 今日も鏡の前でひとり、ふとその言葉が溢れてしまう。軽くなっていく頭に反して心は重くなる一方、そんな毎日を過ごしている。 最近はいつか来ると思っていたことに、思い描いていたよりもずっとはやく対面している。身近な友人の結婚、免許更新、賃貸物件の更新期限。鏡の中の自分の頭髪。 今年の春から夏にかけて、急に目立ってきた髭が鬱陶しくなり脱毛サ
髭は濃くなり頭が薄くなるという、未来。 ドルは高くなり円が安くなるという、現在。 ため息の出るような未来を思うとき、最早吐く息さえ無いような現在が馬乗りになってくる。そんなことを考えている暇があれば1円でも多く貯金をして、1枚でも多く海藻類を摂るべきということはとうに理解しているのだ。我々はできることはやっておくことが、できる。 高騰した物価とともに生きていかなければならない。その為に試行錯誤して様々な方法を試さなければならない。例えば将来のための投資をしなければならない
なんだかシャンプーアンドリンスみたいですね。 と吐き捨てることができればこの詰まりそうな呼吸が少しは楽になる気がしていた。渡された名刺の【CEO 兼COO】という重苦しい肩書を眺めていたあの新人時代から数年が経った。あの頃はただ、セオサイクル出身の自転車が脳内を走り回っていただけだった。 何もかもありふれすぎたこの時代のなかで縮小しようとする動きも目立ち【シャンプーアンドリンス】はその筆頭を担っている。頼んでもいないのにスーパー銭湯などで備え付けがあると「頼んでもいないの
猫が家に来る幸せな夢を見ては、起床後すぐにそれが夢であったことを自覚し絶望をすることが往々にしてある。 ペット禁止の実家を「ノーキャットノーライフ!」と泣き叫びながら飛び出して久しいが、猫が私の自宅の門を叩く(カリカリと)ことはいまだに無い。 近いうちには招き入れようと考えていたが、そんな甘い考えの私を叩き(バチコリと)直すような出来事があった。 先日、発送元が中国の小袋包が自宅に届いた。怪しげな灰色の袋には小さな文字が羅列されており、心なしか配達員も怪訝そうな顔をしている
誰にも頷かなくていい。誰にも頷かなくていいのにね。 連日、悪天候の予報が続いていてこれでこそ二月だと思う。 特に気も晴れることがなく、足元も悪く、やがて春を迎えれば消えていくぼんやりとした倦怠感を抱えたままの重い足取り。 イヤホンから流れるその言葉を初めて耳にした学生時代、衝撃で尻餅をつきながら「あいわかった」と爆速で頷いたと同時にこの曲を人生のバイブルにしていく決意をした。 そうして何年もの月日が流れた今の私の姿がこちら。 会津伝統工芸・赤べこと遜色ないほど私は頷い
相も変わらず 実家はなぜこんなにも重力が大きいのだろうと感心しながらも、リビングのカーペットから右半身が全く剥がれないことに失望している。 つい数日前までずっとせわしなくしていて「昔は季節を追っていたはずなのに、今じゃその季節に追いかけられてるのなんでや!つらいねん!はやいねん!」とどうしようもないことにピィピィ喚いていた自分が、今では可愛いまである。たった1週間も経たない内にお前は実家に蔓延した重力に感心し、活動も思考も止めて腐っている。 挙げ句の果てには四度寝をして
新入社員「ウィーン(手で開くジェスチャー)ここが予約した居酒屋か〜幹事は緊張するな〜」 店員「あー、いらっしゃいませ」※気怠そうに 新入社員「〇〇株式会社45名で予約した△△と申します。絶対頑張ります!」 店員「(…やけに張り切ってるな)こちらの部屋へどうぞ」※暗転、宴会場へ 新入社員「恩に着ます!ところで下座はどちらでしょうか!」 店員「こちらの席だとおもいますが…(?)」 新入社員「ありがとうございます!ハンガーありますか?さきほど着た恩が暑いので一旦脱ぎたい
遥か昔から我々の周りを飽きもせずにぐるぐると月は回っているわけだが、頭上にくる度に毎度「月が綺麗だおね」と愛する人に伝えている我々もまた滑稽な生き物である。 綺麗な月を見ると思わずスマホを向けてしまって、それを無性に伝えたくなることがある。 何百年前の日本人が月を眺めていたら急にエモくなって歌なんて詠み始めてしまったものだから、現代人のDNAに刻まれてしまっているのだ。 それでも写真も動画もない時代「月、エモけり」の言葉だけで口説き歩いていた先祖達を逞しく思う。我々は恵まれ
寝汗でTシャツを濡らし不快なまま起きる毎日。微熱がずっと続いていたことが分かったのはついこの間のことだった。 連日のように「ゲリラ豪雨」を警告するニュースに辟易する。もっと違う言い方はないのだろうか。 それを彷彿とさせる言葉を目にするだけで、腹痛に苦しむ人間の気持ちを考えたことはあるのだろうか。 下腹部が忘れていた痛みを思い出すことのないように、目を瞑り静かに「九段下」の駅を過ぎるのを待っている社会人男性のことを少しでも想像したことはあるのだろうか。 とかなんとか言ってい
遠くの方で花火の音がしていた。 昔は地を這ってでも行きたかった祭りが、今は本当に遠い。窓を開けるとおそらく遅れてこちらに届いているであろう花火がひらく音が聞こえてきて、それだけで世間から疎外されているような気分になった。 やはり行けばよかったなと思いつつ、駅前でぎゅうぎゅうに詰められ帰宅難民になっている人々の動画をSNS越しに眺めていると今綺麗な状態で干したばかりのシーツに寝っ転がっていることがどんなに幸せかを実感する。 私は平常時のこの場所をよく知っている。会場は自宅から
七月七日夜、日本の伝統行事「七夕」がやってくる。 織姫と彦星が天の川を渡り年に一度だけ会うことが許される彼らのタイミングに合わせて、各々短冊に願い事を書き記すイベントだ。なぜお前たちが?願いを?と彦星たちは思うのだろうが、なんか本当にそうですよね。すみません。 そういえば七夕といえば七(ナナ)ばかりですが女優・森七菜さんってモリナナナさんだと普通最初は思いますよね、ねぇ彦星さん。織姫さんにもよろしく。 七夕を楽しむ機会はほぼ無くなってしまったが、駅の改札だったりスーパーのレ
梅雨、今週こそは家でゆっくりネトフリをと気合を入れていた週末に限っての快晴。さすれば外に出ざるを得ないこの病的な性格をどうにかしようと是正を試みて久しいが、結局どうにもならずただため息をつきながら玄関を後にする六月が続いている。 そもそも気合無しではネトフリで半日すら潰すことのできないほど落ち着きの無い体である。もうすっかり成人した大人として非常に情けなく思う。 あとゆっくりネットフリックスという語呂が絶妙に気持ち悪い。ゆっくりねっとりみたいな。キメ、二度と使わんでくれ。
祖父の似顔絵を描く時はいつも、タイ米みたいな楕円形から長い毛が一本生えているだけのものだった。 あまりにも辛辣であるが大層喜んでいる祖父を前になんの疑いもなくすくすくと育ち、彼らの世代はもれなく全ての人間の見た目が同じだと思うようになった。父方の祖父も、母方の祖父ももれなくハゲていたので偏見はやがて確信へと変わっていく。 そんな少年は先日また一つ歳を重ね、いよいよ将来のことに頭を悩ませる時期へと突入する。誕生日を迎える数日前の話。亡くなったはずの祖父に夢の中で出会う。夢の自