急に世代間対立が生まれた
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高齢者にとっては、世代間対立は青天の霹靂である。
構造的要因を背景に徐々に世代間の対立が深まり、緊張が高まっていたとは、実感されないだろう。
本稿では高齢者にとって世代間対立を認識することが難しい理由を解き明かし、対立の存在を認知させ、対立構造の解明に至る方法を提案する。
年を取るほどに体感時間が早くなる
世間が変化している感覚は若い世代ほど高齢者にはわからない。
実際、年金制度や健康保険制度の変化を実感するには20歳代の暮らしぶりを実感してもらわなければならないが、それは難しいだろう。
つまり、気づいたら急に若い世帯が貧しくなっている、少なくとも高齢者にはそのように実感されるだろう。
氷河期世代の犠牲は犠牲として認識されなかった。
氷河期世代は、単にバブルが弾けて就職が大変になった世代、くらいの認識をされているように思う。
バブル期までに生まれた不良債権処理を行いながら、高齢世代の雇用を守るために犠牲になってもらった世代、とは認識されていない。
氷河期世代の犠牲は、一部の経済学者を除けば全く評価されていない。
当の犠牲にした世代が犠牲を認識していないのが深刻な対立を生みかねないが、不思議と起きていない。(この対立の乏しさは「父と子サイクル」で説明できるのだが、わき道に逸れるので省略する)
不平等な世代間負担は、世代間対立の認識を高齢者にとって難しくする
現役世代の生活が、奨学金、年金、社会保障費、消費税、円安の影響で苦しくなっていることは高齢者にとって理解しづらい。
これらの制度負担は少しずつ大きくなっているが、その負担は圧倒的に現役世代が負っているからだ。
家族がいれば子供や孫と会話することでその厳しさを実感することがあるかもしれない。
しかし氷河期世代の出生率の低さと、世代内格差の大きさがその変化を見えづらくする。
つまり、孫の顔が見れる高齢者は比較的豊かな一族なのだ。
また、マスメディアの主要顧客は高齢者である。
ゆえに世代間対立を認識させることは高齢者を不快にさせるので、回避されやすい話題である。
つまり
高齢世代は体感時間が早く、若い世代の感覚の変化を認識しづらい。
家族間のつながりが乏しさと氷河期世代の世代内格差によって、若い世代の窮乏が伝わることも乏しい。
マスメディアは主要顧客の高齢者に広告を見せるために存在している。
だから、世代間対立の深刻さは、高齢者を不快にさせるので、あえて伝える意欲に乏しい。
この3つの要因から、若年世代の窮乏化は高齢世帯に無視される。
知らなければ対立を回避する動機はない。
今のままでいけば、緊張が緩和不可能なほどに高まり、破滅的なイベントが起きた時に世代間対立は高齢者にとって、突然起きた予想不可能なイベント
として認識されるだろう。
あるいは若い世代が徹底的に対立を望まなければ、単に子供を作らず、雇用保険などの社会保障を使いながら、最小限の労働参加で生きることを選択するかもしれない。
いずれにせよ社会の存続にとっては破壊的な影響をもたらすはずだ。
だが、この構造は一般的な対立構造とは少し趣が異なる。
江戸幕府における開国派と尊王攘夷派は、対立していることを両派閥が認識していた。
米国における共和党と民主党、もしくはヨーロッパにおける移民推進派と排斥派は、お互いが対立していることを知っている。
歴史的事例から考える
政治的な対立構造において、片方が対立の認識を軽視していた例としては、幕末における公武合体で明らかになった公家と武家の対立構造がある。
幕末において弱体化した幕府はその権威を保つべく、皇女を娶ろうと考えた。
この背景には、公家は幕府に逆らうことはないだろうという目論見があった。
公家は幕府と対立していた。
それまでは力関係から対立を隠していたにすぎないのだが、幕府側はそれを認識できていなかった。
パワーバランスの変化が自分たちに有利に傾いていると認識した公家は幕府に尊王攘夷を迫り、諸外国に対する日和見的な対応を批判した。
開国はもってのほか、攘夷がなされなければ公武合体は認められない、と。
これを一つのきっかけとして幕府の権威は失われ、大政奉還による国家権力の移譲に至った。
ここから言えることは
対立構造を片方が認識していない場合、単に対立を認識させることで相手方は大きく妥協する可能性がある
ということだ。
対立を抑制する手段として、何があるだろうか。
対立は権力によって抑制される。権力は軍事力、富(お金)、官僚制、イデオロギー(思想)に分類できる。
この4つの力がどのように使われているか、使われうるかを考えてみよう。
軍事的・警察的手段は現実的とは言えない。
少なくとも現時点では世代間対立は、集団的な暴力ではなく、軍事力を用いる条件は満たされていない。
お金をばらまくことで対立を抑えるのが、全世代型社会保障だが、これは膨大な財政支出を要する。
再分配の世代間格差を減少させる方法かつ、世代間対立を引き起こさない案としては、確かに穏当なものかもしれない。
問題は社会保障が持続可能ではないことが明らかになりつつあることだ。
官僚制というか、選挙は一つの抑制方法となってきた。
実際、ここまで対立が深化したのは、選挙に行けば政治は変えられると信じ込ませることに成功したからだろう。
しかし実際には、シルバーファースト現象、一定の共通する価値観を有する高齢者世代は大票田として期待できる一方で、若い世代は多様なニーズを持つため、世代間対立の存在を公言し若い世代への再分配や減税、社会保障削減を主張する候補は落選のリスクが非常に高く、立候補しづらかった。
2024年になってようやく国民民主党や日本維新の会が社会保障の削減を政策として主張したのは、社会保障の拡大による現役世代の負担増を問題とする現役世代が十分増えてきたと想定されたからだろう。
そんなわけで、今回の選挙(第50回衆議院議員総選挙)
は歴史的には極めて重要な役割を持つ。
別にこれらの政党が選挙で与党になる必要はない。
今後与党になりうる可能性が感じられれば、もしくは自民公明党で過半数が獲得できなければ、与党である自民党は、社会保障の削減を求める政治家との妥協を強いられる。
これは1972年、高齢者医療無償化という社会党・共産党が支持した政策を自民党でやりますと主張して選挙に臨んだ、田中角栄内閣が採用した戦略だ。
イデオロギーによる対立の抑制も行われてきた。
これが最も巧妙かつ洗練された対立の抑制手段である。
つまり
お前も老人になるんだぞ
世代間対立を煽るな
医療の恩恵は若い世代も受けている
我々も昔は貧しかった
今の日本を作り出したのは誰だと思っているんだ
若い世代が貧しいのは自己責任だ
などの言説だ。
これらに対抗できる反論が、次世代運動の正拳突き・真顔データベースに簡潔に記載されている。
僕自身は以下のように考えている
世代間対立は存在する。
高齢者は現役世代ほど対立の存在を認識していない。
対立の存在を明らかにすることで、はじめて対立を緩和するための交渉が可能になる。
交渉内容には高齢世代と現役世代、お互いにとって利益のある選択肢が多くある。
何もしなければさらに世代間対立が深まり、出生率の極端な低下や、治安の悪化、国家財政の破綻など、社会の継続を困難にする破滅的なイベントが発生しうる。
緊張の緩和
破滅的なイベントの回避のためにまず、高齢世代に世代間対立の存在を認識してもらう必要がある。
マスメディアが最も効果的だろう。特にテレビと新聞が報道すれば、高齢者に届く可能性が高い。
最もわかりやすいのは選挙だ。
選挙結果で投票政党が現役世代と高齢世代でくっきりと異なったら、その原因を報道しないのは難しいだろう。
テレビCMも一つの方法だ。
政治団体に資金を集めることで実現は可能かもしれない。
世代間対立の存在を周知し、その緩和を目的とする政治団体のCMだ。
デモも大規模であれば、報道される可能性があるだろう。
個人レベルで言えば、自分の給与明細と奨学金の返済額を祖父母や高齢の親族に伝えるのは一つの方法だ。
世代間対立を解決するのに、恐らく暴力は必要ない。
まず対立の深刻さを認識してもらうという、もっともソフトな方法を用いてみるべきだし、実際それで十分な可能性がある。
対立の深刻さが認識されれば、お互いの損失を最小限にするための交渉が可能になる。
そして交渉が可能になった場合
賦課年金と後期高齢者支援金によって
現役世代が高齢世代を実質的には養っているので
交渉を優位に進める余地がかなりあるのだ。
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