ナポレオンも目指したアレクサンドリア
ちょっとまだお正月気分で、新カードの出品の準備も進んでいませんが(汗)(テストプリンター版訳ありプリント不良品が1つやっとカットが終わって撮影しようかと言う所です。印刷版はまだ印刷やのマイページで確認すると準備中になっています(TT)正月早々印刷屋さん立て込んでいるのね??)
そんな中、エジプトの認知度の低い時代(紀元前305年~西暦641年の946年間)に関係する、考古学者河江肖剰さんのYouTube動画が又アップされましたので紹介パート2です。
プトレマイオス朝時代からローマ帝国時代のエジプトに存在していたとされている伝説のアレクサンドリア図書館の姉妹店がアレクサンドリアの海側セラペウムのポンペイの柱の付近にあったそうです。(ローマのポンペイかと思ったらエジプトのアレクサンドリアでした)
過去の記事で話題にしておりましたが、ドイツの娯楽コーヒーカードの編集者の方がドイツ(過去の記事にも載せましたがコチラ→★現在のドイツとは限らないようです。もしかしてウィーンかローマ?)旅行先の修道院で見たエジプトの書物や写本などは(修道院の図書館で見たのは1冊とは限らないなぁと思い始めています)、もしかしてアレクサンドリアがローマに制圧された時やその後の紛争で、多く破壊されたそうですが、中には沢山持ち帰られたような内容の記事も見かけた事があり、さらにイエズス会もエジプトから持ち帰った多くの書物も、大元を辿ればアレクサンドリア図書館にあったもが人手に渡って・・・など含まれていたのではないかと思います。
この動画ではプトレマイオス朝当時の事しかふれていませんが、アレクサンドリア図書館の姉妹店がオープンした当時の時代の雰囲気や習慣が見れる動画になっています!
こちら↓
話によるとプトレマイオス1世2世は収集癖があったそうで、エジプトのアレクサンドリア図書館本店より沢山の本を借りては写本を作成していたそうです。
伝説のアレクサンドリア図書館ですが、姉妹店がセラペウムにあるポンぺイの柱の付近に図書館のあったということで、本店も存在していたのは考古学の中でもかなり確実になっているのかもしれません?(考古学者のザヒ博士がアレクサンドリア図書館の跡地らしい場所を発見し発掘しているそうです)
そして、この姉妹店はコンスタンティヌス1世がいた東ローマ(現在のトルコのイスタンブール)から陸続きで海を隔てれば南側にあたるエジプトの北側。地図で見比べると大阪から北海道ぐらい・・・?遠いですね(汗)でもコンスタンティヌスの時代のアレクサンドリアは良く見てるとどうもローマだぞ!?となりました。コンスタンティヌスがわざわざ訪れなくてもエジプトの本は家来にこの姉妹店から容易に持ってきてもらえる状態です。
話しによると、あったのはエジプトの本だけでは無く、色々な国から集めた情報が集結していたようで、所蔵されていた事がわかっている本の中で、ギリシャの文学史もありましたと記載されているページを読んだ事があります。
そして、ドイツの娯楽コーヒーカードの説明書にあったシャーベット酒の滓占いは、エジプトから持って来た本あるいはエジプトの文字だったとしても、もし元々アレクサンドリア図書館にあった本ならエジプト人が読むために作られた本という事で、情報は当時もっか融合中のギリシャやあるいは他の国の文化や占いについてかかれたものだったかもしれません。特にギリシャの時代にエジプトと融合した時に、どちらにも存在する神様はエジプト人にもわかるようにエジプトのヒエログリフのシンボルで描かれ、筆記体の説明の文章(当時書かれたのならコプト文字だと思います)があった可能性も考えられます。アレクサンドリア図書館が破壊されて無い以上これは考察でしかありませんが(><;)
ローマのネロがとても好んで飲んだ飲み物で、雪とお酒とある食材を混ぜた飲み物が後にローマではシャーベットにとって代わったという内容を海外のサイトで見かけました。又そのうち記事に出来たらなぁと思います。
カードの出品準備そろそろ急ぎますね。
次の記事は、ドイツに関係するオラクルをご紹介!
それでは又~