真珠貝の一片ー「ツルモク独身寮」と「土佐日記」と「夢十夜」第一夜
1.「みゆき」といえば?
みなさんは「みゆき」といえば、
どなたを思い浮かべるでしょうか?
芸能人であれば、
中島みゆきさん、井森美幸さんでしょうか。
オッサン世代ならば、
「タッチ」で有名なあだち充の
漫画「みゆき」の二人のみゆき。
鹿島みゆきと若松みゆきを思い浮かべる方も
多いかもしれません。
しかし、何といってもタスクマン的No.1みゆきは
「ツルモク独身寮」の姫野みゆきなのです。
パチパチパチ。
「ツルモク独身寮」は、
昭和の終わりから平成の初めにかけて、
ビックコミックスピリッツで
連載されていたラブコメ。
家具メーカー「ツルモク家具」に入社した
宮川正太は、独身寮での初日に、
年上のヒロイン姫野みゆきに出会います。
互いに惹かれあっていく二人。
しかし、正太は故郷にまだ高校生の年下の彼女、
桜井ともみを残して上京してきているのです。
みゆきとともみの間で揺れ動く正太の心。
まさにラブコメの王道です。
高校時代、友人とボーリング場に行ったとき、
たまたまツルモクの読者だった一人と盛り上がり、
クラスメイトのかわいい二人の女の子の
名前を挙げて、
「あのピンを〇〇ちゃんと××さんに例えるんだ!」とツルモクごっこをしたのはいい思い出です。
2.ひとつ残された貝殻
先週末、仕事でクタクタに疲れ果て、
週末は家から出ないぞと決意し、
ひきこもるための漫画を買おうと
立ち寄った古本屋で
「ツルモク独身寮」の文庫本全巻セットを発見、
迷わず購入。
あまりに懐かしすぎて、古本屋の駐車場で
そのまま1巻を読み始めると、
全7巻そのままそこで読んでしまいました。
ひきこもり用にならなかった。
いやー、実に30年ぐらいぶりかな。
意外と覚えていたり、忘れていたり。
青春とは、ラブコメとはかくあるべし。
年甲斐もなくニヤニヤしながら
読書しているオッサン。
車の外から見たら気持ち悪かったでしょうね…
キュンキュンしながら読み進めると、
すっかり忘れていた、あるシーンに遭遇しました。
四国の田舎(おそらく方言から高知県)に
帰省した正太。
故郷に残してきた彼女ともみとの砂浜での会話。
正太の心は東京という海に流されて、
ともみは、正太がもう戻ってこないことを
薄々感じながら、それでも正太を信じたい…
諦めることを覚えてしまったオッサンが
失ったものがここにある。
泣けるぜ!ザ、青春の1ページ。
3.土佐日記の「忘れ貝」
オッサンになると、余計な知恵がついちゃって…
ちょっと知っていることと
リンクさせたくなってきます。
おっ、この場所は四国だよな。
「土佐日記」にも、貝の歌があったよな。
「忘れ貝」とは、
「土佐日記」では、
忘れられない死んでしまった娘を忘れたい、
という文脈で用いられている忘れ貝。
二枚貝の片方も、もちろん貝の中身も
流されてしまって、二度と戻ってこない、
無常を感じさせる忘れ貝。
でもやっぱり、
死んだ娘のことを忘れることはできない。
切ないですね。
4.夢十夜の「真珠貝」
さて、貝が出てくる話で
もう一つ思い出に残っているのは
教職を取るために通信制大学の授業で扱った
夏目漱石の「夢十夜」第一夜。
僕が現役の大学生の時は、
教職の授業が1限に設定されていて、
誰がそんな授業に出席できるか、
と、教職をとっていなかったのですが、
塾で国語を教えるようになって、
まあせっかくだから通信ででも
教員免許をとっておこう、と
働きながら教員免許をとることに。
そこで、小説の指導案の授業で出てきたのが
この「夢十夜」第一夜でした。
有名な小説で、青空文庫で読むことが出来ます。
この小説に真珠貝が登場します。
ここで出てくる真珠貝に関して、
教科書にわざわざ注がついていたのです。
といっても当時の教科書(三省堂だった記憶が)
がみつからず、正確には言えないのですが、
そこには確かに「二枚貝」と
書いてあったのですね。
二枚貝ということは、
恋人の象徴ということが語れる。
当時はちょうど共通テストの
試行試験が発表されて、
複数資料を関連させる問題が出てましたから、
07年センター本試験「うつせ貝」の和歌
これと絡めて、貝合わせの話とかして、
男と女は運命のペアだったのかもね、
みたいなことを話す
授業計画を立てて提出しました。
5.真珠貝は忘れ貝説
夢十夜の大学のレポートの時は、
土佐日記や忘れ貝のことは
頭にありませんでしたが、
ツルモクを読んで、
思い出した土佐日記と夢十夜とを
無理やり絡めた思いつきを羅列してみます。
A.「真珠貝」は「忘れ貝」
土佐日記では、忘れ貝の歌に
「白玉」=真珠の歌を返しています。
夢十夜で、穴を掘った真珠貝は忘れ貝。
つまり二枚貝の一片。
もちろん、残された男の象徴でもあります。
B.真珠貝に差す月の光
月はかぐや姫と同じく、あの世に行った女。
月の光が真珠貝を照らす描写は、
残った一片の忘れ貝である男に
女の思いを映しているよう。
忘れないでというように。
お互いの瞳にお互いの姿が映っている
前半の描写と重なっているようでもあります。
C.ラストシーン
なぜ女は「真珠貝で」穴を掘ってと言ったのか。
それは、真珠が「月(=女)の雫」だから。
神話や昔話はもちろん、
実際に真珠が育つのも
新月と満月の夜だけらしいですね。
真珠貝と月が百年かけて育んだ白玉の露。
ラストシーンの百合に落ちる露は必然に見えます。
そのことに、忘れ貝の要素が加わると、
必然が必然でなくなり、
必然は奇跡にかわるのです。
月を忘れたかのように、
墓を作ったあと、最後まで月の描写はありません。
百年という時間の進行は、
太陽の運行で語られます。
女は死ぬ間際、太陽の話を持ち出して、
男に「待っていられますか」と問います。
太陽が出ている間は、月が見えない。
あなたはそれでも私を忘れずに待ってくれますか。
逆に男は、月が見えない約束の百年を待つ間、
「女にだまされたのでは」と思ってしまいます。
自分は忘れていないのに、
女は約束を忘れてしまっているのではないか。
相手は自分のことを忘れてしまった
ー忘れ貝を拾ったーのかも。
互いにそう思う百年間だったのかもしれません。
忘れ貝は片方しかない。
真珠が出来るはずがない。
それでも最後に、真珠のような白玉の露が
百合に落ちて、百合から滴る奇跡。
つまり、二枚貝はそろっていたのです。
片方だけの忘れ貝ではなかったのです。
お互いに、約束を覚えていた。
月の見えない百年という月日を経て、
ようやく太陽のない、あか「つき」の星の下、
男が月の雫に接吻することで、
「きっと逢いにきますから」という
約束を忘れなかったこの物語は
ドラマティックに結実します。
真珠貝がただ綺麗な貝ではなくて、
二枚貝の一片であり、忘れ貝であることは、
想像を膨らませてくれるような気がしました。
6.青春の「忘れ貝」
昔の人は、片方になった二枚貝を
恋人を忘れられる「忘れ貝」としていました。
けれど、忘れ貝の歌(ついでに忘れ草の歌)は、
忘れたいけど忘れられないときに詠まれるもの。
僕らは青春が永遠でないこと、
いつかは忘れなくてはならないことを知っている。
でも同時に、
青春が美しくよみがえることを
どこかで信じ続けているのかもしれない。
まるで、正太を待っているともみのように。
そして、そんな青春への
ノスタルジックな思いのトリガーとなった
「ツルモク独身寮」は、
僕にとって忘れたくても忘れられない、
青春の忘れ貝なのかも、なんて。
青春青春言っているオッサンは
自分でも気持ち悪いと思いますが、
なつかしの青春漫画を読み返した直後なので
ご容赦ください。