人生で初めて絵を買いました。福岡在住の美術家、吉井宏平さんの絵です。小ぶりのものですが、木々と空と煙突のコントラストが綺麗で気に入っています。我が家の玄関の狭すぎるニッチに飾ったらカオスになってしまって吉井さんに申し訳ない…https://note.com/kohei8914
先生「荀子は人間の本性を悪と捉えたから、それを正す『礼』を重視したんだね。例えば気をつけ、礼でピシッとなる。」 生徒「なるほど」 先生「それでは『礼』をもっと推し進めたものは何ですか?(『法』と答えて欲しかった)」 生徒「土下座」 …質問の仕方が悪かったですね。ごめんよ。
カンテレ競馬のyoutubeで、ディープインパクトの宝塚記念がアップされていたので、思わずつぶやきました。あの場所に、僕も、そしてツルマルツヨシもいたのです。以前書いた記事→ https://note.com/elcondorpasazz/n/n4e1a3251a2da
近所の居酒屋でファミリー飲み🍺 僕が「三連星二黒土星」を頼むと、妻が「作(ざく)」をたまたま注文。 偶然にしては出来過ぎ。
月を見つめるνガンダム。(サテライトキャノンは撃たない)
秋分に母父偲ぶ仁川駅(馬の) テイオーに負けられぬ血よメジロの仔(孫ですね) セントライト記念の勝ち馬レーベンスティールの母父はトウカイテイオー。ならば、神戸新聞杯は母父メジロマックイーンのナイトインロンドンに期待するしかないじゃない、と思っているアラフィフの一人であります。
前回の続きです。 前回の記事はこちら。 恋人を失った作者が 「人をも、花はげにさこそ思ひけめ」 とつぶやきます。 ここは、 「朝顔を何はかなしと思ひけむ 人をも花はさこそ見るらめ」の引き歌で、 「朝顔をはかないものと思った人間のことを、 朝顔の花はそのようにはかないものと 見ていたのだろうよ」 という、 恋人を失い、世のはかなさを嘆く 作者のつらい心情が描かれる場面です。 擬人法の中でも、 作者と朝顔との関係を客観的、メタ的に見る視点。 それによって、 より「
マンションのベランダで植物を育ててみよう!と もらった枝豆の苗。 ところが僕の住む福岡では 今年は大雨・突然の雷・そして酷暑… なんだか植物もかわいそう。 というイイワケで、 室内から出ることがなかった枝豆は 未だに実をつけることなく…。 サボテン、食虫植物のネペンテスに続き、 3年連続3回目の失敗。 いやー、植物を育てるのに向いていない…。 朝顔の引き歌 ベランダで育てる植物として 真っ先に思い浮かぶのは、「朝顔」。 去年の京都大学理系の古文では、 「建礼門院右
福岡在住の美術家、吉井宏平さんに直接話を聞く機会があった。大学院時代に人生に迷い、別の職を選び、それでも創作活動を続ける姿に触発された。その足で、芸術家マックスビルがデザインしたユンハンスの腕時計を買った。これを身につけることで自分を表現するのだ。家に帰ると、妻に渋い顔をされた。
前回の記事 の続きです。 お読みくださり本当にありがとうございます。 「ただのイシ」から見える近代同じく今年、京都大学でも芸術家の文章が出題。 岡本太郎の『日本の伝統』という 昭和31年の文章だそうで。 視覚的な芸術のセンスも鑑賞の習慣も まるでない僕にとっては 本当に岡本太郎は 「太陽の塔」ぐらいしか知らない。 この文章は平易ですが、問題としては 「『自分が法隆寺になればよいのです』 とはどういうことか、説明せよ」など、 いかにも京大らしい問題が出題されていました
個人的美しい文章ナンバーワン 今年の東大現代文の第4問のエッセーは、 20世紀の日本を代表する作曲家、 武満徹の文章でした。 大学時代、武満徹のエッセー集 「音、沈黙と測りあえるほどに」を 古本屋で発見し、 「こんな美しい文章は読んだことがない!」 と感動。 1日1エッセー読む!と 気合を入れて読み進めようと思ったのですが、 1週間ぐらいで挫折してしまいました。 そもそも武満徹の音楽も、 一番有名な「ノーヴェンバーステップス」の 小澤征爾のCDを持っていたくらいで、 し
前回の記事 の続きです。 お読みくださり本当にありがとうございます。 電子的言語環境は、日本文化と相性がいい? 前回、 文字を後から変えられない「書物」は 「変更不能な聖遺物」である、 「電子的言語環境」は 「さらなる変更に開かれている」 とあったのですが、 「不変」「変化」の対比を、 西洋と日本の文化差として述べたのが、 2007年センター本試評論 山本健吉の「日本の庭について」。 西洋の芸術は 自然に人間の手を加えてやったぜ!という 造形意志が極めて強く、 そ
記事の修正遍歴その1 以前の記事 この記事の最初の小見出しを 「さつき十日なるに、月のかすみて光りたり」 としていました。 更級日記の、 「神無月つごもりなるに、紅葉散らで盛りなり」 という文章のインスパイアのつもりだったのです。 「つごもりなるに」の「に」は逆接の接続助詞。 神無月が冬であることも確認できるので、 「に」の識別の定番として、 塾の授業ではよく出てくる文章なのです。 ところが、僕のタイトルの方には、 何か違和感がある… 何だろう?としばらく考えてい
「5月は暑くても体育で長袖ジャージを着ないといけない」という学校の謎ルールを変えた方がいいと力説する、6月にネクタイ締めて長袖スーツをビシッときた大人。
イクイノックスって、秋分とか春分の「分点」という意味らしいですね。イコールが入ってる。天球の天の赤道と黄道が交わる=イコールだし、昼と夜の長さもイコール。一年のうち、ここからは昼が/夜が長いという境界。noteで月とか太陽とかの小説について考えたばかりだから、なんとなく思い入れ。
誰だ、「有機体」とか書いたの! 僕にとっては、ただの有機体を超えた精神世界にも影響を与える存在なんだ…って、そんな問題ではない。https://note.com/elcondorpasazz/n/n4e1a3251a2da