「ゴドーを待ちながら」 手書く詩で感じる待つことの価値
ゼロからはじめた手書く詩人 #7
ジョージア語とバスク語での手書きの詩人です。これが7作目の詩。両言語の知識がゼロからはじめています。翻訳サイトがあれば、言語に壁はありません。テクノロジーを使ってささっと翻訳。翻訳の出来具合が気にはなるけど、判断できないから気にしてもしょうがない。翻訳サイトを信じます。
書いて、書いて、書く。書いて、書いて、書く。とにかく書く。
ペン先が紙を擦ると、視覚、触覚、聴覚などを経由して同期して、脳の中の孫の手が脳みそを擦る。
文字の手書きは楽しい。
ゴドーを待ちながら
今回はベケットの「ゴドーを待ちながら」から一節をお借りしました。
ゴドーを待ちながらは、二人が道端でゴドーを待っている会話劇です。内容の理解と消化ができないものの、濃く記憶に残っているお話。我が家の本がヤケとカビの標本のような状態になるほど昔に読んだにも関わらず、タイトルも雰囲気もビビッド。お気に入り本を集めた本棚の中心に鎮座しています。
「待つ」とは?
現代はテクノロジーの発展により、私たちが「待つ」時間は少なくなりました。情報はすぐ手に入り、連絡も瞬時にでき、物もすぐ届く時代です。翻訳も一瞬。しかし、そんな世界だからこそ、待つことの意味を忘れてはいないでしょうか?
私たちが何かを「待つ」時に感じる不安や焦り、その後の気づきは、時間の中でしか生まれないものです。ここでは、手書きの詩を通して「待つ」ことの価値をもう一度見つめ直してみます。手書きというアナログな手法で、デジタルでは味わえない時間の感覚を感じ取ってください。
まずは、日本語とフランス語で詩を紹介します。短くシンプルな言葉で、待つことの迷いや気づきを表現しています。
日本語で解説します。
「もう行こう」は、現代社会のスピード感を象徴
「だめだよ」は、そのスピードに抗う内なる声
「なぜさ」という問いかけは、待つことへの苛立ち
「ゴドーを待つんだ」は、待つ理由を受け入れる気づき
「ああ、そうか」は、その瞬間の悟り
では、これを手書いてきます。
ジョージア語
詩の手書きは、自分のペースで文字を描く行為です。デジタルでは瞬時に仕上がるものが、手書きでは時間をかけて完成します。その過程で、時間の流れを感じることができます。それは練習からずっと同じです。
まずはジョージア語から。
初めて出会う文字 ”ჰ”、縦方向のバランスが、他の文字と違うみたい。
文字ではなく絵として認識。
模写する感じで練習しました。
バスク語
次にバスク語。ぐっとシンプル。
日常の中の「待つ」
皆さんは、日常の中で「待つ」ことにどんな意味を見出していますか?
手書きの詩を通じて、デジタル時代に失われがちな「待つ」時間の価値を感じていただけたでしょうか?
ぜひ、待つことについての体験や考えをコメントで教えてください。
また次の詩でお会いしましょう。ゴドーを待ちながら。