第1章【4600g ~ 160cm】とよ先生の半生記

東京都練馬区に生を受けます。

4670グラム 帝王切開で産んで頂く。


小学生のころのお話


「世界ビックリ人間!」みたいなテレビ番組を観ながら、

「すごいよ、おかあさん!ジャンボベイビー。

うまれたとき、5キロだって。」と私。

台所で洗い物しながら、母。

「あんたと 400グラムしか変わらないじゃない」

私「・・・あ、そなの」

保育園。

当時の記念撮影などみても、

小学生2年生くらいが


春日町第二保育園運動会

1人出遅れちゃったみたいな感じで写っています。


ケンカするといつも私だけ怒られるのが、納得いかなかったです。

身体が大きくて勝っちゃうから

大人からは悪者に見えたんだと思います。

このような社会(大人たち)からの扱いも

将来のe-kids「とよ先生」を創っていくのに影響していきます。

小学校に入る前、初めての習い事が、

水泳でした。

小学生になる頃に柔道を開始。

水泳はずっと平行してやっていたから、

今でも水の中では自由に泳げます。

おかげで大学では水中人命救助のクラスも単位とれたし、

現在、水泳の先生もやっています。

柔道は父が柔道の先生だったので気がついたら

柔道着を着ていました。

小学生の柔道、町の大会なんて体がデカけりゃ勝てるから、

区民大会レベルでは出場したら上位入賞できました。

そこで、調子乗るなよって小学6年生で東京都でも強豪で有名な

中学校の合宿に強制参加させられました。

その中学校のOBの高校生の先輩に絞め技で気絶させらたのが

死ぬほどと言うか、気絶だから半分死んでいたんですけど、

怖かったのを覚えています。

柔道で絞め技は中学生から許可される技だから、

小学6年生の私は防ぎ方も習っていないです。

そんなの関係無い理不尽さ。

こういう経験も「e-kids とよ先生」を創っていきます。

小学生が高校生に首絞められて気絶って!

今ならニュースでしょう。

そんな中学生の柔道合宿に行っている最中に誓いました。

「オレ、ぜったいに柔道辞めてやる!この合宿おわったら柔道着絶対にきねーぞ!二度と柔道やら無い!」と誓い、家に帰って次の日に、意思を伝える場もなく柔道の練習させられていました。(笑)

その頃は9割の、いや私には私以外全員に感じました、

子ども達がサッカーか野球をやっていました。

そんなみんなは練習や試合の日が一緒です。

普通の小学生であれば「みんなと一緒にいたいなー」と、

思うのこの年頃。

仲間に入れなかったのが結構さみしかった記憶もあります。

ここでも「e-kids とよ先生」が創られていきます。

私が柔道も水泳も練習が無い日、みんなはサッカー。

一緒に遊ぶ子がいないんです。

優しいサッカーの先生が、

一緒にサッカーの練習に参加させてくれた事もありました。

そういう日々が少しずつ「e-kids とよ先生」を創っていきました。

「人と違ったことをやれ」「少数派になることを恐れるな」

今、子ども達に発信しているメッセージです。

 小学6年生 身長160センチ 体重50キロ


早宮小学校運動会白組応援団長

「e-kids とよ先生」まで


後18年。

とよ先生の半生記 第1章  【4600g ~ 160cm】

最後までの読んで下さり、ありがとうございました。

次週は 第2章【183cm 中学生時代】です。

どうぞお楽しみに。



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