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■ 其の121 ■ コンプラに釈然としない件

🔣言いたいコトはわかります。
一応正しいことだと思います。
ではあなた方は、牛や豚などを食べないのですか?と思ってしまうのです。 

 首都メキシコ市にある世界最大の闘牛場で28日、約2年ぶりに闘牛が開催された。会場は愛好家らで埋め尽くされたが、動物愛護団体は虐待と反発。伝統文化にも位置付けられる闘牛を巡りメキシコ国内は揺れている。 スペインで国技とされる闘牛は、かつてスペインの植民地だったメキシコでも広く行われてきた。地元メディアによると、裁判所は2022年6月、愛護団体の提訴を受けてメキシコ市での闘牛を禁止する仮処分を決定。しかし、最高裁が昨年12月、この決定を無効にしたことで、再開が可能となった。
 収容人数が4万1000人を超える闘牛場には28日、再開を心待ちにした多数の観客が訪れた。スペイン語で自由を意味する「リベルタ」の文字が闘牛場の中央に大きく書かれた。
 最終的な判決を待つ愛護団体などは「虐待は芸術でもなければ文化でもない」と主張。28日には闘牛の廃止を求めてデモ行進した。

サンパウロ時事 2024.1.30

 急な坂を馬と騎手が駆け上がる様子に「動物虐待」との批判が上がっている多度大社(三重県桑名市)の「上げ馬神事」を巡り、主催者側は29日、行事の見直し案を県に報告した。傾斜を緩めたり、馬が乗り越える壁を低くしたりするのが柱。コロナ禍を経て4年ぶりに行われた5月の神事では1頭が脚を骨折して殺処分され、県教育委員会などが改善勧告を出していた。
 上げ馬神事は、急斜面の上にある高さ約2メートルの土壁を駆け上がった馬の数で農作物の作柄を占う。県によると、今年は計18頭が挑み、骨折した1頭が殺処分された。これを含め、記録が確認できた2008年以降、回復が見込めずに4頭が殺処分されたという。
 神事を巡っては、過去にも馬を鼓舞するためにたたくなどの行為が問題視され、県教委が11年に虐待行為の根絶などを求める勧告を出していた。
 事態を重く見た県は6月、主催する氏子組織や多度大社を指導。8月には県教委も改めて徹底した安全管理など、改善を求める勧告を出していた。
 県には7月までに、メールや電話などで県内外から3500件を超える意見が寄せられた。多くは「壁が高くて危ない」などと現在のやり方を疑問視する声だという。
 これらを踏まえ、神社側は壁の高さを1メートル程度に低くし、盛り土をして坂を緩やかにする案を県に提出した。馬への暴力や威嚇行為の禁止を改めて徹底することも盛り込んだ。今後、獣医師など専門家の意見を踏まえ、最終決定する。担当者は取材に対し、「人にも馬にも安全で、今の時代に合った神事にしていきたい」と話している。
 多度大社近くに住み、親族が騎手を経験したという80代の女性は「何百年も親しまれてきた地元にとって愛着ある行事。やり方を見直してでも、続けてほしい」と話した。

JIJI.COМ 2023.8.23

🔣ところで、危険や命をおびやかされるのは、動物だけではありません。
 岸和田のだんじり祭り、諏訪の御柱祭はもちろん、岡山の裸祭りだって、西宮の福男選びだって、いつ死者が出てもおかしくない異常な行為です。
ボクシングやプロレスはスポーツと名乗らなければ犯罪で、数年に1人は命を落としています。数百キロの塊となって頭からぶち当たるラグビーはどうなんでしょう。レスリングも柔道も学生でも犠牲や寝た切りになる人はいます。体操は首から落ちればタダでは済みません。登山や海水浴では年間何十人もの人が亡くなっています。13歳、真夏の大冒険!なんて賞賛するのはいいけれど、いまも日本中の空地でヘルメットを被らずにスケードボードをやっている若者がいます。
 では禁じればどうなるか? 命は失われずに済んだとしても、人間としての活力や魂は奪われます。肉体的な命は保護できても、精神的な命は根絶やしにされます。
 わたしは、「正義」を持ち出されて時点で、どうもその人に共感できなくなります。 プーチンやネタニヤフの大きな正義も、コンプライアンスを唱えている人々の正義も、なんだか胡散臭く思えるのです。
あなた達は、自分の手で扉をこじ開けて生きているのかと、言いたくなるのです。

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