ずっと空き家だと思っていた家が空き家じゃなかった
やっぱり、ぱっと見じゃ分からないものなんだなあ。
外出するとき、そしてもちろん帰宅するとき、いつもその家の前を通る。
木造の立派な二階建て。
古風な豪邸とでも言いたくなる印象で、平成風な住宅が密集している中で一際の存在感があるおうち。
だけど長らく、人が出入りするところを見ていなかった。
それどころか、夜に通りかかっても、明かりが点いている様子もない。
他人の家なので凝視はしないけれど、どこか時が止まっているように見えた。
空き家の急増が社会問題と叫ばれ始めて久しい。
自分の家の周りは過疎の香りが全くしないもので、空き家問題を身近に実感するまでは至っていなかったのだけれど、例の家に動きがないことに気づき、「あ、これが噂の空き家か」って思った。
それから、「あの家、空き家説」を勝手に心の中に抱いていた。
飽くまでも、説。
証拠は特にない、「ひょっとしたら」の話。
しかしながらつい先日、その家がぜんぜん空き家なんかじゃなかったことを知った。
家に帰る途中、いつも通りその家の前に差し掛かると、何やらスーツの男性が家を訪問していた。
そして通りがかる瞬間、家の玄関の向こうの方から住人らしきおじいさんの声が聞こえた。
え、普通に住んでたんだ。
驚きがあった。
驚きがあったことに、驚いた。
そう、最初は飽くまで「もしかしたら」程度の考えだった。
ひょっとしたら、空き家なのかもしれない。
証拠とかは別にないけど、あんまり人が住んでるって感じじゃないなあ、という印象を受ける。
それだけの話だったし、本気で「あれは空き家だ」って決めつけていたわけでもなかった。
それでも、人が住んでいるってわかっただけで驚いている自分がいた。
自覚なきままに、その程度にはあの家が空き家だと思い込んでいた節があったらしい。
最初はきっと、思い込みは強くなかった。
しかし私は、生活の中で何度もあの家の前を通り、その度に空き家っぽさのある印象を記憶に刻んでいた。
そうか、「ひょっとしたら」程度の考えでも、反芻すればいつの間にか思い込みに化けてしまうのか。
そんな学びだった。
一人で勝手に思い込んで、勝手に学習した。