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優しくぎゅっとして、もう一生離さない

今、私の身から離れつつある創作へ。
手放さないと改めて誓おう。
今は上手く出来ずとも、いずれまた花咲くと信じるから。




私はここしばらく、心療内科に通院する生活をしている。
これをnoteで報告するのはたぶん初めてなんだけど、既に何か月間か通っている。

様子がおかしくなり始めたのはそのさらにずっと前の話で、それでもずっと通院の勇気が出ないでいた。
ただ、遂に見兼ねた親にいろいろと訊かれて、漸く医者にかかりたいと言えた。

ただ、通院はしていたのだけれど、あくまでも私は「うつ症状を抱えた患者」というだけで、辛うじて大きな病名はついていなかった。
比較的弱めの薬を処方してもらい、それを服用して生活しながら時折診療所に通う、という程度に留まっていた。



だったのだけれど。
最近になって、遂に「うつ病」と診断された。

以前から私を心配してくれた知人がこれを知ったら、どうなるのだろうか。「そんなに状態悪いの?」と驚かれるか、あるいは「やっぱりね」と思われるか。


少なくとも私は、「うつ病」という病名がつくとは思っていなかった。

通院するようになるまで、うつに関する情報は素人ながらにたくさん摂取していた。
うつ病を抱えて生きる人たちの悩みや症状や生活を知り、この程度の自分はまだ病院にかかっていい人間じゃないって、通院に対するよくわからないブレーキをかましてきた。
それもやはり、極度に大変な部分ばかりをインプットして、誇張された精神疾患の像を脳裏に焼いていただけだったみたいだ。
情報リテラシーの欠如か、心理的な視野狭窄か。

これまでは病名がないのをいいことに、人の心配も「辛うじて病名はついていないので」で切り抜けてきたのだけれど、それもこれからは嘘になっちゃうな。


自分がうつ病だと知らされて、事実をすんなり受け入れるのはやっぱり難しいな、と感じた。
正直言って、多少ショックだった。
うつである自分を受け入れることが大きな課題だとはよく聞くが、本当にそうなんだろうな、と身をもって実感した。

もう、自分がどんなに考え方を柔軟にしようと、自分の状態について都合の良い解釈を試みようと、うつ病患者であることは変わらない。

一生をかけて付き合っていくことの多い病だ。
調子が悪くなるまでは想像もしていなかったあんな苦難やこんな苦難、今もまだ知らないいろんな苦難と、この先数十年かけて出会っていく。

もうずっと、治ることはないのかもしれない。
罹患前の心は、もう二度と胸に抱くことがきっとない。

別に精神疾患に直面しなくてもそうなんだろうけど、うつ病と自分を重ね合わせた今、漠然とした不安は改めて増していく。



ただ、心や暮らしがどんな転がり方をしようとて、生き続けるからには「生きる意味」という存在に憧れる。

これから生きていくこと。
死にたいなんて度々思いながらも、生き続けていくこと。
少し落ち着いて、それを想像した。


生きる意味なんて見つからなくたって、勝手に見つかるときを気長に待っていればいい。
そういう出会いが、この先あるかもしれない。

だけど、もう既に生きる意味を見つけているとしたら?
その答えには困らない。
創作だ。



人生で一番元気だった頃、私は創作をしていた。
小説を書いていた。脚本を作っていた。音楽を作ろうとしていた。
むしろ、創作に出会って、一番元気な時期を迎えたと言ってもいい。

調子が悪くなってからも、創作は好きなままだった。
今でも愛している。
けれど、だんだんと元気だった頃のように励むことはできなくなった。

気づけば、創作と自分との距離は随分と開いてしまった。
今でも趣味は創作だって言い張るけれど、実のところもう随分と創れていない。


それでも、今の自分が生きるためのエネルギーを沸かす原動力が存在しそうなのは、創作以外に思い浮かばない。

いつか、また創るため。
いろんな経験を、自分だけの体験を集めた上で、それだからこそ作れる物語を生み出すため。

そういう日々をいつか、いつの日にか手に入れるために、私は生きる。
そうじゃなきゃ生きていられない、の裏返しだろうか。


だから、私は創作を決して手放さないと改めて誓う。

それが、うつ病と診断されたときの私の話。



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