未だペンは走らないまま
書きたいのに書けない。
作りたいのに作れない。
要はそれだけのよくある話。
誰にだってそんな時期あるでしょう。
思春期、創作をすることで息をしているような人間になった。
生きる意味は創作にしか見つけられていない。
モノカルチャーなアイデンティティを形成し、今に至る。
しかし人生に災いはつきもので、好きなこともそのまま楽しめなくなるような病に罹った。
そうして昔のようにはペンが走らなくなって、もう随分経つ。
心が蝕まれていくのを自覚してからも、「好き」は譲れなかった。
地位や評価や未来を仮に失っても、好きなものを失うことだけはどうしても許せなかったらしい。
だから私は、頑なに好きを好きだといい続け、取り繕い続けた。
取り繕ったとはいえど、その欲は未だ火を灯している。
ただそれを形にする身体と頭が追い付いていないだけ。
ここ最近で一番創作欲の炎が燃え上がるのは、眠りにつく前だ。
鈍らな頭に電気を刺し込むように音楽を注いだりなんかすると、健康な自分の灯りを感じる。
そしてその灯りを病に塗られた頭が咀嚼するだけの間が経つと、その灯りに反して好きすらも負えないでいる充電切れの操縦席が見えてくる。
立派な他所の創作物にちょっと触れたくらいで、自分ごときが私もやってみようなんて思うものなんかじゃないのかもしれない。
と、自分の内側から聞こえてくる。
こんなにも私は変わっていないのに。
こんなにも私は変わっていないから。
「好き」への美学に苦しむのだろうな。
大丈夫、この悪夢もただの蛹だ。
こちとらずっと生きていて、考えて、考えて、考えているんだ。
すべてを乗り越えていつか羽ばたく。
そう言い聞かせてきょうも眠ろう。