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【小説】 Take コーヒー牛乳,to 一歩


はあ。


気付いたらため息をついていた。
19:37、大井町駅着予定の電車に乗り込みながら今日の出来事を振り返る。
小さな出来事が積み重なって、なんだか疲れた1日だった。


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大森〜大森です。ご乗車ありがとうございます。

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駅の喧騒を切り裂く駅員さんのアナウンスとともに、
ドア横のポール隣に滑り込む。
この一年でつり革を握るのがなんだか億劫になった。
ドア横の隙間に逃げるように挟まるのが最近のルーティンだ。


今年で29歳。
SNSを開けば、結婚の報告に我が子の成長投稿ばかり。
逃げるようにYouTubeを開くと、たまにモーニングルーティンやらナイトルーティン動画にあたる。
朝ごはんは専ら菓子パン、夜ご飯は牛丼が4割を超えているアラサーには肩身が狭い。



世間でいう"女らしさ"の欠片すら失いかけの私が"篠原先生"と呼ばれ始めて4年が経つ。
区立中学校の教師というレッテルに見合う自分になりたくて、キャラクターを作り込んできた。
生徒に舐められたくない、そんな目標を胸に日々進んできた結果がこの有り様だ。
すぐに結婚したいわけではないけれど、このままでいいのかと心配になる。


生徒にはいつのまにか「しのぴー先生」と呼ばれるようになった。
あだ名がついてるだけ生徒から親しみを持たれていると捉えることはできるものの、そもそも"しのぴー先生"というネーミングがなんだか性に合わない。
生徒が飽きるだろうと思い放っておいたらいつのまにか公知の名前になりつつあるのも困ったものだ。
しっかりしている女教師のような評判になりつつあるので職場での関係は良好だが、ポーカーフェイスで誤魔化しているだけで小さな事件を人知れず起こしがちなので、誤魔化している分、どっと疲れる。



今日はいつも以上にトピックが多い一日だった。



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今朝はシンプルに寝坊した。
6:30には起きないといけなかったのに、iPhoneのディスプレイは7:18をお知らせしていた。

毎朝見ている情報番組は芸能ニュースに入りかけていて、今日の時事ニュースは正直わからない。
今をときめくアイドルの笑顔と、雨が降っているという情報だけは享受して、慌てて傘を握り家を出た。



お気に入りの赤い傘をさしながら、足早に駅へ向かう。
線路沿いの通勤の道。
いつもよりも心なしか人が少ない。
いつもの時間がピーク時間なのかもな、なんて冷静になる自分に少し面白くなる。
「俯瞰はいいから今は急ぎましょう。」
学年主任の柳井先生を心に登場させつつ、歩みを進める。



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電車に揺られながら、ふと思い立って鞄の中を漁る。
”一日の計は朝にあり”とはよく言うもので、気が付けば毎日持ち歩いているお守りのクマのキーホルダーを忘れていた。



教壇に立つ仕事柄、人前に立つ事は慣れていると思われがちだが、あがり症でいまだに緊張するし疲れる。
自分の思い通りに進めばいいが、生徒からの質問やヤジで予想外の方向に触れると、ドキドキする。

「どうやって本筋の話に戻そう」
「どうやって交わしたらいいんだろう...」

そんな時、力を発揮してくれるのがポケットに忍ばせているクマ。
大学生の時に友人がロンドン土産とくれたハロッズのクマ。
きゅるんっとしたくりくりの目が可愛らしい。
貰った時名前を付けたはずだけど、忘れてしまった。
私が先生である上で、いまや欠かせないのがこのお守りだ。

この子がいないと思うだけで、今日の雲行きの悪さを感じた。


その勘は当たっていて。
2限の授業後、樫本さんが質問に来た。


窓際の後ろから3番目の席に座る彼女は、クラスの中でも優等生だ。
膝丈のスカートに綺麗に切り揃えられたボブヘアー。
模範のような生徒だからこそ、少しドキッとする。
"彼女の期待に応えないと"と身構えてしまうのだと思う。


「先生、授業の内容ではないんですけど。聞きたいことがあって。」


柔らかいながらも芯のある物腰。
この動揺がバレないように。
なんでしょうか、と訊けば、強い眼差しで彼女は言った。



「なんで人は自分が経験していないことなのに平気で意見できるのでしょうか。土足で踏み入ってくるのでしょうか。」



「・・・・・・・。」



思わず生唾を飲んだ。
こういう時こそ、クマが必要だ。


「どうしたの?何かありましたか?」



動揺が悟られないように、ポーカーフェイスを保ちながらも慌てて声を絞り出す。



「いえ、別に。でも分からなくなって。もやもやしたので先生に聞いてみたくって。」



せっかくの機会だからゆっくり話そうと
一緒にお昼を食べる約束をして、次の授業に向かわせる。



校舎の窓から外を見れば、黄色く色付いた葉っぱが風と闘っていた。
雨はすでに止んでいるようだった。


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昼休み、空き教室で樫本さんと隣り合いながらお弁当を食べる。
といっても私は、学校の売店で買ったパンだけれど。
温かいご飯が恋しい。



聞けば樫本さんのお姉さんが看護師さんで大学病院で勤務しているらしい。
コロナ禍の病院でのお仕事は想像できないくらいハードだろうな、と思いながら話を聞く。
どうやら、樫本さんのお姉さんが看護師さんと知った友人からの声に疑問を抱いたようだ。



最前線に立っている人への感謝よりも疑念や批判、心ない意見をする人が一定数いることへの衝撃。
医療従事者へ感謝しようというムーブメント自体への違和感。

何より彼女が苦しいと思っているのは、

"彼女自身のことではなく、彼女のお姉さんのことで、自分が経験していないことに対してどのような対応をしたらいいのか"


という点のようだった。




彼女が14歳であることを忘れそうになる。
未成年であっても、1人の大人としての思考がそこにはあると、感じた。


先生と呼ばれる立場にいても、こんな時のアンサーは正直わからない。

ありきたりなポジティブな言葉は、嘘臭く響いてしまう気がして。
話をとことん聞くこと。向き合うこと。

それが樫本さんに対して私ができることの精一杯であるような気がして、
まっすぐ彼女の言葉を受け止めた。見つめた。



ただ一つ、これだけは伝えないと。
お弁当を片付け始める樫本さんに声をかける。



「樫本さん、将来どんな大人になりたい?」



うーんと考えながら、彼女からボール返ってくる。




「世の中の役に立つ人、ですかね?」


最近の学生は、わたしよりよっぽど大人だ。
と同時に、世の中の役に立つ人にならなくてはいけないという固定概念が強くて怖い。


世の中の役に立つという基準の曖昧さ。
缶コーヒーのCMでもあったけれど、どの職業も何かしら社会へ貢献している。
世間体の優劣で判断されてほしくない。
その世間体優越で、みんなの個性が失われる方が怖い。


「素敵。そんな未来像を目指すにあたって、今日の樫本さんの疑問は必ず活きるはず。
答えのない問いだから、絶対的な答えがあるわけではないけれど、
優先したいものがはっきりした時に、取るべき対応と心持ちが明確になる気がするな。」


「それと。
自分がお友達に対して反論や否定的な意見をする行動すら、
当事者ではないという意味で意見してくる人と同じではないかという視点、先生はすごく好き。
冷静に物事を見れていて、見習わなくてはなと感心しました。」


私が言えるのはここまでだ。
繊細な年だからこそ、助言の距離を保ちたい。



照れ臭そうにありがとうございます、と呟く彼女の顔を見て、
可愛いなと思わず笑みが溢れる。
緊張の糸を切ってもらった気がした。



”5限は体育の授業なんです。ダンスが全然覚えられなくて”
と年相応の会話をしながら教室まで送った。


頼ってくれたことへの喜びと、
先生らしい振舞いが出来ていないのではないかという不安がぐるぐると脳内によぎりながら、なんとか午後の授業を乗り越える。


クマのキーホルダーを持っていたら、もっといい応答が出来たのかな。
なんて、自分のせいなのにクマに責任をぶつけてしまう。



ツイてないからということにしてしまおう。
自分の無力感だけ、心に刻んで、明日また頑張ればいいよ。そう思うことにした。



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16時。職員室で生徒のレポートを読んでいると、主任の後藤先生に呼ばれた。


嫌な予感を胸に、後藤先生の席に向かえば、予感は的中。
産休に入る今宮先生の代わりで、剣道部の部活顧問の依頼だった。


「中高大と文化部だったのですが大丈夫でしょうか...?」


攻撃力0の言葉を投げかけるもあえなく撃沈。
友人が寒稽古に行っていたなあと脳裏に過りつつも、お受けする。
いい機会だから生徒と一緒に精神を高めあおう。と自らを鼓舞するも、
話題に尽きない1日だねと心の声が漏れ聞こえる。


18時50分。
レポートの評価をつけ終えて帰ろうと思って立ち上がった瞬間に、マグカップを倒す。
黒いシミが不気味な形でデスクに広がった。
今日はもうだめだ。
早く帰ろう。

20時からの恋愛ドラマでも見て、癒されないと。

中村倫也が私を待ってる。



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とまあ、そんなわけで今に至る。
朝でお役目終了してしまったお気に入りの傘を片手に、いつものコンビニへ向かう。
ツイてない1日の終わりは、コーヒー牛乳を飲むと決めている。


寵愛されているかのような、あまーいあまーいコーヒー牛乳。
なんだか明日はいい日になる気がするから。
そう信じることが、前へ進む一歩だと思っている。


クマもコーヒー牛乳もゲン担ぎといえばそれまでだけど、大切なマイルーティン。
生徒のみんな、しのぴー先生だって可愛いところあるんですよ?


コンビニの眩い光を見つけて、足早に一歩踏み出した。


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Special Thanks
photo by こめたわらほ(https://note.com/laughnaf
情景を想起させる味のある写真をありがとう!!
すっかりファンになりました。




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