天皇一族がなぜ覇権を取れたのかを考察する鹿児島3選
鹿児島には天孫族のお墓があります。天孫族というのは天=アマテラスの孫の一族という意味で、アマテラスの孫であるニニギが天から地へと、高千穂に降り立ったことを天孫降臨と呼びます。その高千穂の場所は現在でもハッキリしていません。
天孫族のニニギ→山幸彦→ウガヤフキアエズまでを日向三代と呼び、ウガヤフキアエズの息子が神武天皇であり、神武天皇から現代の第126代天皇までの万世一系が続いているとされています。鹿児島にはそんな天皇一族の起源である日向三代の舞台が鹿児島に集中しており、天皇一族がなぜ覇権を取れたのかを考える依り代として旅をしに行ってきました。
①黒瀬海岸
天から地へと天孫降臨したニニギが辿り着いたという笠沙(かささ)の海岸です。彼はこの地でコノハナサクヤヒメと出会い、結婚します。その子供が海幸彦(兄)と山幸彦(弟)で、海幸彦は隼人の始祖に、山幸彦は神武天皇の祖父となります。
海岸はゴミだらけで、沖縄で見かけたように中国語表記のゴミが大半でした。日本語のペットボトルも見かけました。
黒瀬海岸からすぐ近くにある宮ノ山遺跡。この写真はお墓だったようですが、この辺に住居があったとされています。ここの遺跡はニニギの皇居跡と伝えられています。
②神代三山陵
神代三山稜とは日向三代のニニギ・山幸彦・ウガヤフキアエズのお墓のことです。鹿児島に三代分が全てありますが、遠目に鳥居しか見ることができません。宮崎と山稜の場所について論争となったのですが、鹿児島が勝利し、現在の場所が正式に認められて宮内庁に管理されています。
可愛(えの)山陵(ニニギのお墓)
ここは黒瀬海岸を北上した川内市にあるニニギの山稜です。
高屋山上陵(ニニギの息子、山幸彦のお墓)
ここはニニギのお墓から東へ霧島市に行くとある山幸彦の山稜です。山幸彦は兄の海幸彦との喧嘩の話で有名で、山幸彦は神武天皇の祖父、海幸彦は南九州の隼人と呼ばれる民の始祖だとされています。山幸彦との戦いに負けた後、海幸彦の子孫は宮廷に仕えますが、扱いが酷く、海幸彦が山幸彦に溺れさせられて負けた時の演技をその子孫が宮廷でさせられる羽目となります。
ただ、大隅半島の内之浦の国見岳が有力候補地であるのを国学者の田中頼庸(よりつね)がこちらに変更したという経緯があるなど、山稜の位置については再考の余地があります(『明治維新と神代三陵』という本を参照)。
吾平(あいら)山上陵(山幸彦の息子、ウガヤフキアエズのお墓)
山幸彦のお墓から東南の大隅半島の鹿屋市に行くとあるウガヤフキアエズのお墓。神武天皇のお父さんでもあります。ここから北上して肝付町へ行くと神武天皇の生誕地の記念碑が川沿いにあります。神武天皇は九州を出て奈良盆地を攻め入り、長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼして天皇の位についたと言われています。これを神武東征と言います。ちなみに神武天皇のお墓は奈良にあります。
③熊襲(クマソ)の穴
熊襲というのは南九州で抵抗していたまつろわぬ民のことで、隼人と同一視されています。第12代天皇である景行天皇の息子、ヤマトタケルが熊襲のカワカミタケルを征伐した場所と言われています。その際、女装して熊襲の宴会に紛れ込み酒を飲ませたのち殺害したという逸話があります。
さて、ここから本題に入りますが、古事記・日本書紀に書かれた天孫族や神武天皇については実在していないという説があります。
古事記(712年)は日本の最古の書物ですが、それ以前には帝紀や旧辞という歴史書があったとされ、古事記や日本書紀(720年)にはそれらを参照して書かれています。古事記と日本書紀の違いは古事記は変体漢文で国内向け、日本書紀は純粋な漢文で外国向けに書かれています。
古事記や日本書紀はともに天武天皇によって発議されましたが、そもそも内容自体がその時の権力者によって取捨選択されていると考えられ、現代で様々な解釈がされています。天孫族のニニギが高千穂に天孫降臨したのは、隼人の祖先を海幸彦ということにして天皇との同化を計ったという説があり、あるいは天孫降臨は宮崎ではなく福岡の日向だという説もあります。
また、天皇の万世一系とされる血筋ですが、第29代天皇の欽明天皇で世襲王権が成立するまでは、系譜においては現実の父子関係を示すのではなく、血統は関係なく実力者が大王の地位についたと最近の研究では見なされています。これを地位継承次第(義江明子)といいます。神武天皇は127歳まで生きたなど、古代の天皇の寿命がやたら長いため非実在説がありますが、これに対して当時は半年を1年と数えていた春秋二倍暦説があり、そちらだと神武天皇の寿命は63.5歳となるなど、どちらを取るかによって神武天皇の活躍期間が異なってきます。
話が複雑になってきましたね。では、私が着目した点を挙げてみましょう。
古事記の記述で、神武天皇が畿内で土蜘蛛と呼ばれる反抗勢力を討つ際、まず宴に招き、一人一人の土蜘蛛に刀を持たせた多数の給仕夫を配備し、頃合いを見計らって神武天皇が合図の歌を歌い、給仕夫に土蜘蛛を殺害させたという話があります。
これを読んで思ったのは、神武天皇は酒に強かったのかな?ということです。なぜなら、その場で神武天皇も当然飲んでいる筈で、飲まないと相手に警戒されるでしょうから。飲んでも酩酊しないという自信がないとできなかった作戦ではないでしょうか。
縄文系の酒豪の血筋、これが天皇の男系のルーツではないかと思います(神武天皇は生まれながらにして賢かったという記述もあります)。日本人の系統は縄文系と弥生系に分かれますが、縄文系は酒に強いNN型遺伝子、弥生系は酒に弱いND型かDD型遺伝子が多いとされています。
縄文系は2万~4万年前から、弥生系は約3千年前から日本に流入してきたと考えられています。日本全体に縄文系の人々がすでに住んでいたところへ弥生系が流入して縄文系との混血が始まりました。現代日本人は遺伝子的に1~2割が縄文人由来、8~9割が渡来人由来とされています。現在、縄文系が濃いのは沖縄、南九州、東北、北海道で、要するに日本列島の中央に弥生系が、端っこの方に縄文系が固まっています。
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神武天皇が即位した時期は日本書紀を参考にすると紀元前660年頃か、春秋二倍暦説だと紀元2世紀頃(斎藤成也『日本列島人の歴史』)で、いずれにせよ縄文系と弥生系の混血も進んでいたでしょう。その状況で、神武天皇の属する縄文系の集団は、酒に強い体(NN型遺伝子)のおかげで騙し討ちには大変有利だったのではないでしょうか。もしかしたら、酒に強いという性質は神に近しい者と見なされたのではないでしょうか。
出雲系の神話でスサノオがヤマタノオロチに八塩折(やしおり)の酒というアルコール度数の高いお酒を飲ませて酔わせて討伐したという話は有名ですね。おそらくはこのようなアルコール度数の高いお酒を使い、天皇一族の統治が進むまでこのリスクの低い騙し討ちの必勝方法を繰り返し行ったのではないかと推測します。
また、第12代天皇の景行天皇の代では、敵の娘を利用して敵に酒を飲ませて討伐しています。景行天皇の息子であるヤマトタケルも、熊襲討伐の際に女に変装して宴会に参加して、敵が酔ったところを襲撃しています。古事記や日本書紀で、酒が武器として使用される場面が何度も出てくることは注目に値すると思います。なぜなら、敵も酒を武器として使ってくるリスクがある訳で、酒の強さは生死を分ける重要な要素だったと考えられます。
思うに、王族の宴で自分の酒の強さを誇示することは実力の一つとして重要なことだったのではないでしょうか。また、天皇家の近親婚が多いのは財産が外部に流出するのを防ぐ他、縄文系の遺伝子を強化する目的でも行われた可能性はないでしょうか。そう言えば神武天皇も、父ウガヤフキアエズと父の叔母である玉依姫との近親婚で生まれていますね。
ところで、ニニギより以前の代のアマテラスやスサノオの神々は一体何なのでしょうか。アマテラスは元は男神だったという説もあり、色々と面白い話があります。婚姻によって天皇一族に神話を継承したのか、どこかで嘘が入り込みよく分からなくなってしまったのか、真相は謎のままです。
ニニギは笠沙に漂着したという話から、弥生系の流入のない沖縄か離島から黒潮に乗ってきたのではと考えています。ただ、それはずっと昔の話で、日向三代自体、九州に住み着いた祖先の伝承を圧縮・取捨選択したものの可能性があります。事実、海幸彦山幸彦の逸話はインドネシア方面に似たような伝承があります。
さて、現代に戻りましょう。
近代の天皇はどうだったでしょうか。江戸時代最後の天皇である孝明天皇は酒好きで、明治天皇は大酒飲みでした。大正天皇は日本酒より洋酒好きでした。昭和天皇は下戸なんですが、それは5歳の時にお屠蘇(とそ)を飲んで寝正月をして以来お酒を飲んでないというもので、これはお酒に弱いというよりは幼年期のトラウマに起因するものと思われます。平成の天皇、上皇陛下は一通りのお酒を飲んでいたそうですが、酒豪かどうかは不明です。今上天皇は酒豪だそうです。
私の主張は以上となります。最後に結論を整理しましょうか。
古代、縄文系の男が何かを求めて海へと出て南九州に漂着して、そこで家族を持った。彼の子孫の勢力は遺伝的な優位性を利用して次第に拡大してゆき、ついには日本を統べる王となった。彼の血統は時の為政者に滅ぼされず奇跡的に共存し、現代まで生き延びた。そして、その末裔は今もお酒が好きなのである。
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【エピローグ】
終わり
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