良い映画だが視線が優しすぎる 『正体』
■あらすじ
死刑囚の鏑木慶一が、収容されている拘置所から脱走した。鏑木は高校生だった18歳の時、近所に住む一家三人を惨殺して死刑判決を受けている。裁判終了後はおとなしく拘置所に入所していたが、ある日突然、大胆な手口で脱走することに成功したのだ。
犯行時に鏑木逮捕にも関わった刑事の又貫は、脱走した鏑木を追う捜査の陣頭指揮を任される。鏑木の事件は広く報道されて日本中に顔もよく知られているし、今回の脱走に外部の協力者はいないようだ。脱走を許したこと自体は大きな失態だが、鏑木が再び逮捕拘束されるのは近い。その時は、誰もがそう思っていた……。
だが鏑木は捕まらない。変装し、身分を偽り、顔を変えて、各地で生活資金を稼ぎながら逃走し続ける。警察の手が迫っても、いつも間一髪で逃げおおせる鏑木。奇妙なことのようだが、逃走中の鏑木と接触した人の多くは彼に好印象を持っていた。
鏑木はどこに向かっているのか? その目的は?
■感想・レビュー
染井為人の同名小説を、横浜流星主演で映画化したサスペンス・ミステリー映画。原作は未読だが、同じ原作は2022年にWOWOWが⻲梨和也で連続ドラマ化している。人気のある作品なのだ。
すべての娯楽映画で、観客を物語に引き付ける要素は2つある。ひとつは「過去に何が起きたのか?」「なぜそうなったのか?」というミステリー要素。これは物語の過去に関わる部分だ。もうひとつは「これからどうなるのか?」「どう決着するのか?」とういサスペンス要素。これは物語の未来に関わる部分になる。
良くできた映画というのは、ミステリーとサスペンス、物語の過去と未来に引っ張られながら力強く前進していく。中にはどちらかに強く特化した作品もあるが、多くの映画は両者がうまく配合されているものだ。本作『正体』も、ミステリーとサスペンスが巧みに配分されている良作だと思う。多くの人は、この映画を観て「良い映画だった」と満足するのではないだろうか。
とはいえ、僕はこの映画に物足りなさを感じている。決定的にどこかが悪いというわけではない。強いて言うなら、物語自体がありきたりで新鮮味が感じられないからだろうか。
凶悪事件の犯人として警察に追われる男が、逃亡しながらさまざまな人たちと接触して、それぞれの人生を変えていくという物語にはいつくかの前例がある。例えばハリソン・フォードとトミー・リー・ジョーンズ主演で映画化された『逃亡者』(1993)がそうだ。この『正体』という映画は、横浜流星と山田孝之主演でたメイクされた、日本版『逃亡者』と言えるのかもしれない。
『正体』は良い映画だが、甘っちょろい映画だとも思う。作り手の視線が優しすぎるのだ。それを端的に表しているのが、養護施設出身者である鏑木への社会的偏見や差別が当然あってしかるべきなのに、劇中でそれを完全に排除していることだ。それならいっそ、施設出身の設定を排除すればいいのに。
109シネマズ木場(シアター3)にて
配給:松竹
2024年|2時間|日本|カラー
公式HP:https://movies.shochiku.co.jp/shotai-movie/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt33483700/