自分の影に飲み込まれた男 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
■あらすじ
ジョーカーことアーサー・フレックは生放送中にテレビ司会者マレーを射殺するなど5件の殺人事件で逮捕されながら、精神鑑定のため裁判を受けることなくアーカム州立病院に入院していた。向精神薬で発作を抑え、人間らしい感情の起伏を失ったままボンヤリとしているアーサーは、看守や職員にも従順で、他の収容者ともトラブルを起こさない模範囚だ。
だが裁判が近づく中、アーサーはリー・クインゼルという女性収容者に出会う。ジョーカーを信奉するリーはアーサーを挑発し、施設内の映画上映会場を放火してアーサーと逃げ出す素振りを見せる。アーサーはすぐ職員に取り押さえられて独房に監禁されるが、リーはそこを訪ねて彼と結ばれた。アーサーにとって、リーはかけがえのない特別な女姓になった。
リーはアーサーに悪影響を受けていると判断され、施設から釈放される。裁判が始まり、アーサーは傍聴席前列にいるリーの姿にソワソワしているのだが……。
■感想・レビュー
2019年に製作公開された異色のDC映画『ジョーカー』の続編。主演のホアキン・フェニックス、監督のトッド・フィリップス、脚本のスコット・シルヴァーなどは前作と同じ顔ぶれ。しかし本作はそこに、DCコミックでジョーカーの恋人として知られているハーレイ・クインを登場させ、二人の出会いと馴れ初めと恋の行方を描く。
映画全編がミュージカル仕立てになっているのも、本作の特徴だろう。歌うシーンは独白や幻想シーンの中であることが多く、日常空間が突然音楽に取って代わる不自然さを回避している。使用されているのは古今の既成曲。本作はいわゆるジュークボックス型のミュージカルになっているのだ。既成曲だからアーサーやリーが歌っても不自然さはない。とはいえ、今回のこの演出に面食らう人も多いだろう。
映画のテーマは、映画導入部に挿入されているカートゥンアニメーションで言いつくされていると思う。ジョーカーと呼ばれた男が、自分の影であるジョーカーに振り回され、最後はその虚像に滅ぼされる物語だ。
現実の世界でも、前作の映画『ジョーカー』は社会的な共感を呼んで、「自分もまたジョーカーだ!」という多くの模倣者を生み出した。2021年には東京の京王線車内でジョーカーに扮した男がたまたま乗り合わせた他の乗客を刺し、車両に火を付けようとして逮捕されている。(ただしその扮装はホアキン版のジョーカーではなく、ヒース・レジャー版を模したようだ。)ジョーカーは虐げられ鬱屈した名もなき人々の代弁者になったのだ。
しかし今回の映画は、そうした社会のジョーカー評価をひっくり返す。「あなた方が支持して高く評価しているジョーカーは、ただの幻影ですよ」と言っているのだ。アーサーは周囲の期待するジョーカー、誰よりもリーが期待しているジョーカーになりきろうと奮闘するが、ジョーカーの幻影は肥大化して、とてもアーサーの手には負えなくなってしまう。
(原題:Joker: Folie à Deux)
ユナイテッド・シネマ豊洲(2スクリーン)にて
配給:ワーナー・ブラザース映画
2024年|2時間18分|米国|カラー
公式HP:https://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt11315808/