庶民を生け贄とする執政者たち 『十一人の賊軍』
■あらすじ
戊辰戦争で日本が二分されている慶応四年(1868年)七月。越後新発田藩の城代家老・溝口内匠は頭を悩ませていた。新発田は新政府軍への参加を決めているが、近隣諸藩は佐幕派の奥羽越列藩同盟を結成し、小藩の新発田もその圧力に飲まれて、同盟に参加せざるをえなかったのだ。
東進する新政府軍は長岡藩を降伏させ、そのまま新発田に向かっている。列藩同盟側は新発田城に兵を入れて、同盟軍に兵を出せと圧力をかける。このまま新政府軍が到着したら、城下が戦場になってしまう。
溝口は決死隊を編制して国境の砦に入れ、そこで新政府軍を足止めすることを思いつく。少しでも時間を稼ぎ、その間に列藩同盟の兵を城下から引き払わせるのだ。だが砦に正規兵を入れれば、新政府軍との間で後々問題が残る。そこで決死隊は民間人主体、しかも死んでも誰も文句を言わない死刑囚を当てることにした。こうして選抜された決死隊は、何も知らぬまま砦へと向かう。
■感想・レビュー
『仁義なき戦い』シリーズ(1973〜74)で知られる脚本家・笠原和夫の残した集団抗争時代劇の梗概をもとに、『孤狼の血』シリーズの脚本家・池上純哉と白石和彌監督コンビが製作した集団抗争時代劇だ。
集団抗争時代劇はそれまでの「主人公と敵の1対1の対決」を軸とする古典的な時代劇に対して、集団同士の戦いを描いた時代劇だ。刀を振るった小規模な戦争映画と言ってもいいかもしれない。これは1960年代に東映が何本か作っているのだが、最大の特徴は戦闘に参加する兵の命を次々使い捨てにして行くところにある。代表作は工藤栄一監督の『十三人の刺客』(1963)だろう。
侍たちは目的のため、自分の命が使い捨てにされることを覚悟した。使い捨てにされることを承知で戦いに身を投じ、その時が来たら潔く自らの命を捨ててみせるのが集団抗争時代劇の侍や忍者だった。
だが笠原和夫の『十一人の賊軍』は、それとは多少異なっている。戦闘に参加する「賊軍」たちは、自分の命を大義のために使い捨てるつもりなど毛頭ない。彼らは「与えられた任務をやり遂げたら命を助けてやる」と言われた死刑囚たちなのだ。彼らは戦いの実態も、本当の目的も知らぬまま、望むと望まざるとに関わらず戦いの中に放り込まれてしまう。
このあたりは同じ笠原和夫作品なら、後の『二百三高地』(1980)や『大日本帝国』(1982)に通じる世界かもしれない。戦いの大義は政治家や軍上層部が独占し、徴兵で無理矢理戦場に引っ張られる庶民は、ただ生き残るためだけに血なまぐさい戦場を右往左往するのだ。
上映時間2時間半の大作で、物語はアクションに次ぐアクションで見せ場の連続。しかし僕はちょっと物足りなかった。家老の娘のエピソードは殺伐とした物語を和らげると同時に、政治の非情さを際立たせるものなのだが、このお姫さまには可憐さがほしかった。許嫁の若侍にも若さと青臭さがほしかった。残念。
丸の内TOEI2にて
配給:東映
2024年|2時間35分|日本|カラー
公式HP:https://11zokugun.com/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt33367745/