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(24)〝デジ力〟の前に〝読書の筋力〟ー「よく読む子」に育つ5歳頃からの本好き大作戦 ~感謝している本・編~ 

 つづきです。

 感謝している本、2冊目は
 吉本ばなな「ムーンライト・シャドウ」です(※ネタばれ注意)。
 
 
 私が中高生の時に吉本ばななの「キッチン」がベストセラーとなりました。友人間でも「読んだ?」と話題になったことを思い出します。
 「TUGUMI」も翌年くらいに読んで、今も大好きな作品達ですが、いちばん心が揺さぶられ、「救われた」という実感を得たのは、「キッチン」に収録されている「ムーンライト・シャドウ」でした。
 
  

 個人的な体験です。
 私が高校生の時、立て続けに若い親戚が病死しました。
 2年生の時は26歳の従姉妹、3年生の時は35歳の親戚のお兄さん。2人とも子どもの頃に遊んでもらった大好きな人達で、10代の私には受け入れがたい空虚でした。また、2人とも親より早い死でしたから、周囲の悲しみも伝わり、辛かったのを覚えています。
 
 大人達は「悲劇だ」「これも運命」「やるだけのことはやったのだから仕方ない」と話していましたが、大人の胆力と10代のそれは違います。
 
 命の順序に年齢は関係なく、頑張っても死は訪れ、その人がいなくても世界はまわるという…ひたすらな理不尽に耐えかねて、周囲から「どうしてお前がいつまでも落ち込んでいるんだ…前を向いて生きなさい」と励まされても、世界が曇ったままでした。
 
 自分の親を含め、周囲の大人は誰も「欲しい言葉」をくれませんでした。今思えば当然です…みんな悲しいのですから。それに私自身、どんな言葉が欲しいのかもわからなかった。

 そして私は、黒いシャボン玉のような「死」がいつもフワフワと周りに浮かんでいるのを感じ、次に死ぬのは自分かもしれないというくらい、息苦しい毎日をおくっていました
 
 そんな時に読んだのが「ムーンライト・シャドウ」でした

 たぶん前から本棚にあったのですが、なんとなく読み返したのでしょう。  
 「キッチン」も大切な人の死をテーマにしていますから、自然と手が伸びたのかもしれません。
 
 「ムーンライト・シャドウ」は恋人の「等」を事故で亡くした「さつき」が、ある夜明けに川向うで等に再会するという話です。同じように傷ついた女性と共に、愛する人を見送ります。
 目にした等の姿は幻影なのかもしれませんが、さつきは等に心の中で感謝と別れを告げ、次の一歩を進むことを静かに決めます。
 
 もしかしたら似たテーマを扱った作品はほかにもあるかもしれない。
 でも、何よりも心を打ったのは、ラスト近くで書かれたこの一文でした。

  ひとつのキャラバンが終わり、また次がはじまる。

吉本ばなな「キッチン」角川文庫(p200より)

  
 10代の私はこの言葉に泣きました。
  人生はキャラバンなのだと、腑に落ちたのです。
 
 砂漠や険しい山脈を、隊列を組んだ人達がそれぞれの荷物を背負って一歩一歩進んでいく。
 日差しの強い日もあれば、暴風雨に見舞われる日もある。
 歩くルートによって見える景色は違い、同じ隊列でもそれぞれに違うキャラバンがある・・・。
 勝てるはずもない大自然に挑むように歩くキャラバン隊は、まるでちっぽけな私達。

 人生がキャラバンなのだとしたら、そもそも試練なのでしょう。

 ーあぁ、亡くなった2人のキャラバンは終わったんだ。

 どんな景色が見えただろう。晴れた日もあったのだろうか。
 「ムーンライト・シャドウ」の等のように笑って手を振って、あちらに行ったのだろうか。だとしたら、私も手を振らなければ。
 
 ―そう感じた時、私の弔いは終わり、同時に大切な人の死を受け入れたことで私の無邪気な子ども時代、ひとつのキャラバンも終わったと理解したのです。
 
 この宝石のような50ページほどの物語を読み終えた時、2人が死んで初めて、たくさん泣くことができました。
 
 本当に、読書とは、物語とは…なぜこんなにも心を満たすのか、文章から湧くイメージがこんなにも優しく響くのか、不思議で、愛おしく、ありがたいもの。
 
 あれから年月が経ち、私はまた別の大切な人を失いました。
 その死を思う時、何度も「ムーンライト・シャドウ」の一場面、一節を思い出し、あの人もまた次のキャラバンを歩いているのだろうと感じます。
 
  つづきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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