毎日30名以上の方が人生の一部をくださっていること
ミュージシャンのヒャダインさんが、以前おは朝(関西の朝の情報番組)で
こんなことをおっしゃっていた。
どんな話の文脈だったのかとか言い回しとかはうろ覚えだけど、その言葉を聞いてこう思った。
そうか、イントロが長いと「で?この曲はどんな曲なん?焦らすなよ。サビ、はよ!」と、「必ず聞かせたいポイント」まで辿り着く前にスキップされてしまうんだ。
スマホで多種多様な情報を大量摂取できる昨今、「即効性」のあるものが人気を集めるんだろう。
便利になったから、なおさら忙しい。SNS、ニュース、音楽、Web記事、なるべくキャッチアップしていかないと何かに置いてけぼりにされるような焦燥感を、感じている。
私はそうだし、他の多くの人もそうかもしれない。
「それを摂取するか?」は長くとも3秒以内に決定したいし、ドラマは倍速で見たいし、本は要約が読めれば十分。
そういう需要を満たすサービスがたくさん出てきているのも必然なんだろう。
そんななか、驚きなのか感謝なのかヤッターなのか恐縮なのか、一言で表すのが難しい感情で少し震えそうになることがある。
1ヶ月ほど前から「毎日20分note」とタグをつけて毎日noteを投稿しているのだけれど、いずれの記事も少なくとも30名以上の方に読んでいただいているのだ。
人によっては「え、すくな!」と思われるかもしれないけれど。
私にとっては「そんなにたくさんの方が!!」という気持ちで。
きっとどの人も、1分1秒が惜しい毎日を生きている。好きなドラマでさえTVer倍速視聴しているかもしれない。そんななかで、私の投稿をPCでクリックか、スマホやタブレットでタップかして開いて読んでくれているなんて。何か課題を解決するでもない、個人的なあれこれを好き放題に書きたくっている私の文章を。
嬉しい、ありがとう、びっくり。インターネット、X、note、遠いどこかにいる人どうしを繋げてくれる技術とそれを駆使して作られたサービス、すごい。パッと思い浮かぶ言葉をあてがうと、感じた気持ちの多くが削ぎ落とされた感じがするけど、そんな気持ち。
見ず知らずの誰かに親しみを覚える。そんなことってある。本や漫画とか、スーパーの「お客様の声」とか、それこそnoteを読んだりとかで。
で、「誰かに親しみを覚える」というそれだけで、自分の芯の部分に少し水を足される心地がする。
あ、そういえば私もこんな気持ちになったことあるな。私もこんな経験したな。こんな悩みとか喜びって覚えがあるな。
私も、読んでくれた人にそうやって親しみを覚えてもらえる文章を書いていけたらな。わーっと書く記事ばかりだけど、それができたら(ちょっとはできているのかもと感じられたら)とても嬉しい。