【現代思想】デリダの「差延」をできるだけ具体的に



 現代思想に興味がある人は「デリダ」という人物を知っていると思います。


   しかし実際にデリダの文章を読んだことはあるでしょうか?


 デリダの本は高価な上に、一文が長くて読みづらい文章、古代から現代の哲学者まで引用するスタイルは、正直言って読む気を無くします。

 そこでこのブログでは、哲学史の広い範囲を議論するデリダの形式はやめにして、できるだけ具体例を用いながら「差延」という概念について話していきたいと思います。



目次
1.「差延」を学ぶメリット
2.「差延」とはなにか?3つのニュアンス
3.まとめ


 こんにちは。砂浜ランチです。2022年8月27日に行われたデリダ合宿から今帰ってきたところです。この夏合宿ではデリダの「差延」(『哲学の余白』所収)をテクストにし森脇透青先生が解説をする形で5時間程度進められました。このブログはこの講義を元に作られています。



 1.「差延」を学ぶメリット


   誰かを中心に置くことを極端に遠ざける「差延」の考え方は他者との違いを受け入れることに役立ちます。
   自分中心でも他人中心でもなく、システムの動きとして見るフラットな目線が身につきます。



 2.では「差延」とはなにか?

 「差延」とは、差異(ものごとの違い)に近い概念だと考えてほしいです。

    その次に、「差延」には、「延期する」「力動関係」「システムの動き」といった3つのニュアンスが加わると考えればそこまで困ることはありません。
   *他にも重要な事項がありますが、大体この3つを頭に入れればなんとかなります。




  

  では1つめの「延期する」から考えてみましょう。

延期する」とは概念が無限に続いていく様子を表しています。


 たとえば「雑誌」という言葉を、辞書的に定義しようとする場面を考えてみます。そこで辞書で調べてみると「雑多な事柄を記載した書物」と出てきました。しかし、これでは「雑多」「事柄」「記載」「書物」が定義不足です。では、また辞書で調べてみると… 


 この連続する動きそのものが「延期する」ということです。 少し難しい言い方をすれば、「差延」とは諸々の意味が他の言葉の意味へと送り返されるその関係性そのものを指しているということです。

右にずっと続く



 これを応用すると次のようなことがいえます。根源的な概念は、その概念の前にまたもう一つ別の概念が必要であるから、存在しないということです。

   つまり、西洋哲学で重要視されてきた「神」「主観/客観」などは意味を持たなくなるということです。
   これらの言葉はただ「差異」として意味の流れの関係があるだけ、とデリダは今までの哲学をぶち壊していきます。





 次に、2つめの「力動関係」です。「堂々巡り」とも言えるかもしれません。
   ここでデリダは二項対立がただの力の関係(どちらが上位概念とかはない)ということを言っています。

   たとえば、主人⇔奴隷という二項対立を考えてみます。多くの人はこの場合、主人の方が上位で、奴隷は主人がいるから存在すると思われています。しかしこう考えることもできます。奴隷がいなければ主人は存在しない。その意味で主人はその存在自体が奴隷に依存している。このように「主人がいなければ奴隷はいない、奴隷がいなければ主人はいない」という堂々巡りの関係が成立します。

奴隷がいるから主人がいる
主人がいるから奴隷がいる


 当然これは哲学の問題にも大きな影響を与えます。「我(心)思う、故に我(身)あり」というデカルトの心身二元論も、主観から考えをスタートさせるフッサール現象学も批判されます。


 デカルト、フッサールは今目の前にある身体や物さえも本当に存在するのか疑った結果、疑っている自分自身だけは確固たる自分でいられると考えました。

   それに対して、デリダは身体はそもそも様々なものを食べて作られているし、社会的に生まれるものでもある。意識も同様に様々な要因が絡まって生まれている。ただ、諸力の関係として存在するだけで、身体/意識は確固とした実態や概念がないという点では、この二項対立はただの差異だと言えます。

A、Kは多数の力によって成立している。







 最後に3つめの「システムの動き」です。これまで「差延」という言葉を当たり前のように使ってきましたが、上2つで考えられる性質から、この言葉が何を表すのかをより厳密に考えてみます。以下に2つの問いを立てます。

Q1.「差延」とは基体(基準となる物や事)を持つでしょうか?

 「差延」が基体を持つことはありません。1つ目の「延期する」、2つ目の「力動関係」ともに、差延は静的な概念ではないということがわかります。
   1つ目の方は意味が送り返されるという「流れ」、2つ目は「一方に中心を持つことのない二項対立」という点で、動きを表した概念だといえます。
    差延というのは名詞的な言葉ではなく、動詞的な言葉だと言えるでしょう。こういった理由から、差延のことを「システム」ではなく「システムの動き」という言葉を使いました。


システムとシステムの動きの違い


Q2.「差延」はすべてを包括する概念と言えるでしょうか?

 「差延」はすべてに共通する概念ではありますが、すべてを包括する上位概念ではありません。Q1で答えたように「差延」は実体でも、ものでもありません。
   また、何にでも共通するためあらゆるカテゴリーを超えた概念であるということもありません。それどころか、「差延」の動的で形を持たない性質が、「差延」のテーマ自体が他のものと交代したり、他の言説の中に組み込まれたりする可能性があります。

 上2つで見みたように、「差延」というのは状況に応じて意味が大きく変わる概念です。「すべてを包括する」といったような形ある概念ではなく、ただ全てに共通している概念といったほうが適切だと思います。

 Q1,Q2のまとめとして言えるのは、「差延」という概念は「動きのあるシステム」を表しているということです。「差異(ものごとの違い)」と何が違うのかと言ったらここです。差異はただ概念の違いを受け止める言葉ですが、一方、差延は概念の違いを動きとして、システムとして考える点です。



 「差延」とは「延期する」「力動関係」「システムの動き」ということがなんとなく理解できたでしょうか?内容が広範になってしまうのでこのブログでは取り上げませんが、他にも重要概念があります。間隔化、時間稼ぎ、痕跡、ハイデガーとの関わりなどなど...

 このブログの内容や、上記の単語が気になった人は

 入門講義や...

 デリダの日本語訳(上巻に『差延』が収録されています!)...

を読んでみてはいかがでしょうか?実際に読んでみるのが一番理解が深まると思います。




3.まとめ

 ここで取り上げた3つのニュアンスがなんとなくわかってくれれば、私は嬉しいです。
   とにかくこのnoteで一番伝えたかったのは「差延」という概念を共通項として物事を考えてみることの重要さ。そして動きのある概念を考えることの大切さです。

 再度になりますが、このブログが気になった人は実際に本を手にとって読んでほしいと思います。

 ありがとうございました。もしよかったら他の記事も読んでみてください!



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