入祭唱 "Ecce advenit dominator Dominus" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ19)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX pp. 56–57; GRADUALE NOVUM I pp. 43-44.
gregorien.info内の該当ページ
更新履歴
2023年1月10日 (日本時間11日)
「教会の典礼における使用機会」の部において,公現祭の歴史に関する記述をより正確なものに改めた。
2022年1月6日 (日本時間7日)
"advenit" の時制の解釈を変更し,それに伴い訳を修正した。理由も詳しく述べておいた。
タイトルと導入部を現在の方針に合わせて変更した。
2019年1月4日 (日本時間5日)
投稿
【教会の典礼における使用機会】
現行「通常形式」のローマ典礼 (現在のカトリック教会で最も普通に見られる典礼) では,主の公現の祭日 (公現祭,顕現祭,エピファニー) に用いられる。これは本来は1月6日だが,この日に皆が教会に来るのが難しいことが多い地域 (日本も該当する) では,1月2日~8日の間にくる主日 (日曜日) に移して祝われることになっている。それだけ重要な祭日だからである。
この祭日に続く日々 (次の主日の前日まで) にもこの入祭唱を用いることができる。ほかに,主の奉献の祝日 (2月2日) にも用いることができる。これら主の公現の祭日以外の日々についてはいずれもほかの選択肢が用意されており,特に主の奉献の祝日については,伝統的にはこれではない入祭唱が用いられる。
旧典礼のミサ (1962年版ミサ典書によって行われるもので,「特別形式」典礼として現在も有効) でも主の公現の祝日とそれに続く日々に用いられるが,こちらではさらに主の洗礼の祝日 (1962年版ミサ典書では1月13日固定) にも用いられる。旧典礼では後者に独自の式文がなく,前者の式文をそのまま用いるようになっているためである。
現在の西方教会における公現祭は,東方の博士たちが来訪して幼子イエスを拝んだことを記念し,これを,神の救いが異邦人 (「選民」ユダヤ人の対概念) を含む全世界に示されたできごとととらえて祝うものだが,古代には必ずしもそうでなかった。
もともとは東方教会で始まった祭りであり,1月6日に降誕を祝う地域が多かったのだが,12月25日に降誕を祝うこと (これは西方教会起源) が東方教会でも取り入れられると,1月6日に祝われる内容は主の洗礼 (イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたこと) になっていった。
西方において公現祭を特に早く取り入れたガリアでは,最初は1月6日に降誕を祝っていたが,やはり12月25日の降誕祭の成立に伴い,東方の博士たちの礼拝・主の洗礼・カナの婚礼という3つのできごとを記念するようになっていった。面白いことに,3つのできごとを記念していたころの名残を今に伝えるアンティフォナが2つ,現在も主の公現の祭日の聖務日課で用いられている。なお,現在の大部分のカトリック教会で行われている通常形式ローマ典礼では,主の洗礼は主の公現の祭日の次にくる主日 (日曜日) に (日本などでは場合により主の公現の翌日の月曜日),カナの婚礼はそのまた次の主日に割り当てられている (ただし後者は3年に1回)。
ローマでの公現祭については,現存する最も古い記録が教皇レオ1世の説教 (5世紀半ば) なのだが,それによると祝われる内容は (現在の西方教会同様に) 東方の博士たちの礼拝のみとなっている。(以上,Auf der Maur 1983, pp. 155–159を参考にした。)
降誕を祝うにせよ主の洗礼を祝うにせよその他のことを記念するにせよ,祭りの名称は一貫して「公現 (出現)」あるいは「神の顕現」であり,とにかく神がこの世界に目に見える姿で現れたことを祝っていることに変わりはない。
【テキストと全体訳】
Ecce advenit dominator Dominus : et regnum in manu eius, et potestas, et imperium.
Ps. Deus, iudicium tuum regi da : et iustitiam tuam filio regis. (→アンティフォナ "Ecce advenit ..."を繰り返す)
Ps. Reges Tharsis et insulae munera offerent : reges Arabum et Saba dona adducent. (→アンティフォナ "Ecce advenit ..."を繰り返す)
Ps. Et adorabunt eum omnes reges terrae : omnes gentes servient ei. (→アンティフォナ "Ecce advenit ..."を繰り返す)
【アンティフォナ】見よ,主が支配者として到来なさった。王国も権力も支配権も,彼の手中にある。
【詩篇唱1】神よ,あなたの公正さを王にお与えください。あなたの正義を王の息子に (お与えください)。
【詩篇唱2】タルシシュと島々との諸王は貢物を差し出すであろう。アラビア人とサバとの諸王は贈り物を持参するであろう。
【詩篇唱3】そして彼を地上のすべての王が拝むであろう。すべての民族が彼に従うであろう。
【対訳,元テキストとの比較】
【アンティフォナ】
Ecce advenit dominator Dominus :
見よ,主が支配者として到来なさった。
元テキスト:マラキ書第3章第1節??
● (2022年1月6日追記) ここの動詞 "advenit" はもともと現在時制にとって「到来なさっている」と訳していたのだが,後述の理由 (逐語訳を参照) により完了時制であると判断し,上のような訳に修正した。
● GRADUALE TRIPLEXはこのマラキ書の一節を参考箇所として挙げているが,あまりにも断片的に一致する要素があるばかりなので,本当にここが元になっているのかどうか分からない。Vulgataでの同節は次のとおり。
("Dominus" は「来る/到来する」者としては登場していないので,敢えて太字にしていない。)
元テキストと考えるのによりふさわしい箇所がないかとコンコーダンスで少し探してみたが,見当たらなかった。
入祭唱に引用されていないものの,「あなたたちが探している支配者」という箇所は,イエスがどこで生まれたのか尋ねまわって行った博士たちを思わせるものがある。また,やはり入祭唱に引用されていないが,「あなたたちが望んでいる契約」という箇所は,この祭日が「異邦人にも開かれるようになった救い」つまり新約 (新しい契約) の序章を祝うものであることを思うと面白い。
et regnum in manu eius, et potestas, et imperium.
王国も権力も支配権も,彼の手中にある。
元テキスト:歴代誌上第29章第12節,ただしこれも自由な利用。Vulgataでの同節は次のようになっている。エルサレム神殿 (第一神殿) の建設のため,ダビデ王をはじめ地位の高い人々が宝石や金属を寄贈し,そこで喜びをもってダビデ王が唱えた神を讃美する祈りの一部である。
【詩篇唱1】
Deus, iudicium tuum regi da :
神よ,あなたの公正を王にお与えください。
元テキスト:詩篇第71編第2節。
et iustitiam tuam filio regis.
またあなたの正義を王の息子に(お与えください)。
元テキスト:同上。
● ここまでの部分は,「王であるキリスト」の祭日の入祭唱にも用いられている箇所。
【詩篇唱2】
Reges Tharsis et insulae munera offerent :
タルシシュと島々との諸王は貢物を差し出すであろう。
元テキスト:同詩篇第10節。
reges Arabum et Saba dona adducent.
アラビア人とサバとの諸王は贈り物を持参するであろう。
元テキスト:同上。
【詩篇唱3】
Et adorabunt eum omnes reges terrae :
そして彼を地上のすべての王が拝むであろう。
元テキスト:同詩篇第11節。
omnes gentes servient ei.
すべての民族が彼に従うであろう。
元テキスト:同上。
【逐語訳】
ecce 見よ,ほら
●「見よ」といっても動詞の命令法ではなく,基本的に副詞(たまに間投詞)に分類される語である。
advenit 到来した(動詞advenio, advenireの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
● (2022年1月6日追記) 対訳のところで述べた通り,この動詞はもともと現在時制であると解釈していたのだが,このたび考え直して完了時制ととることにした。今回はどちらであっても綴りが同じなのでこのようなことが起きた。きっかけは,手元のドイツ語版ミサ典書2種がいずれもここを完了形にしていることに気づいたことだった。言われてみれば,既に降誕から何日も経っている,つまり神の子の到来は既に済んでいるのだから,完了時制のほうがふさわしいと思えてきた。
決定的だったのは,ラテン語ミサ典書 (1962年版) でもGRADUALE TRIPLEXでも,アクセント記号が第2音節 "ve" についていることだった。どういうことかというと,いずれの時制でも綴りは同じだと述べたが,古典ラテン語での母音の長短は実は異なり,現在時制ならばこの "ve" は短く,完了時制ならば長いのである。そしてこれは最後から2番めの音節である。ラテン語の単語のアクセントは,最後から2番めの音節が長い音節であればそこに,短い音節であればその前の音節に置かれる。つまり今回の場合,現在時制であればアクセントは第1音節 "ad" に,完了時制であれば "ve" にあることになる。ミサ典書 (1962) とGRADUALE TRIPLEXに一致しているのは後者なので,完了時制だと最終的に判断したというわけである。
なお,この動詞は "ad" と "venit" が組み合わさったものとみることができ (このようなものをcompositum〔複数形はcomposita〕という),中世ラテン語ではこのような場合2語であるかのようにアクセントが置かれるということも起こる。そうすると母音の長短にかかわらず "ve" にはアクセントがくることになるではないか,という反論が考えられる。しかしこれは次のように反証される。Compositumゆえのアクセントの移動の例として,入祭唱 "Rorate caeli desuper" の "desuper" ("de" + "super") があり,古典ラテン語では "de" にアクセントがあるのだが中世ラテン語では "su" にアクセントがあり,GRADUALE NOVUMはそれを反映して実際に "su" にアクセント記号を置いている。しかしこの "desuper" において,ミサ典書 (1962) とGRADUALE TRIPLEXはともに "de" にアクセント記号を置いていることから,この両者のアクセントの置き方は古典ラテン語に準拠しているものと考えられ,したがって,もし今回の "advenit" が現在時制であったならば (つまり "ve" が短母音であったならば) アクセント記号は "ad" につけたはずであると考えられる。というわけで,"advenit" がcompositumであるにもかかわらず,この両者において "ve" にアクセント記号が置かれていることは,"advenit" が完了時制であることを一意的に示すものである。
dominator 支配者として
● これと次の "Dominus" と,同格(主格)の名詞が2つ並んでいる。こういうときは片方(前後どちらの名詞でもよく,文脈判断する)が「~として」の意味であることがあり,今回はそれにあたると考えた。
Dominus 主が
et ... et ... et ... ~も~も~も
● "et regnum in manu eius, et potestas, et imperium" の部分にある3つの "et" をこの意味にとる。
regnum 王国(主格)
in manu eius 彼の手の中に(manu:手〔奪格〕,eius:彼の)
potestas 力,権力,支配(主格)
imperium 命令,権力,支配権,帝国(主格)
【詩篇唱1】
Deus 神よ
iudicium tuum あなたの公正を,あなたの裁きを(iudicium:公正を/裁きを,tuum:あなたの)
regi (<rex) 王に
da 与えてください(動詞do, dareの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
et(英:and)
iustitiam tuam あなたの正義を(iustitiam:正義を,tuam:あなたの)
filio regis 王の息子に(filio:息子に,regis:王の)
【詩篇唱2】
Reges 王たちが
Tharsis タルシシュの(上の "Reges" にかかる)
et(英:and)
insulae 島々の(上の "Reges" にかかる)
munera (<munus, muneris) 税を,貢物を,朝貢を,奉仕を,贈り物を,奉納物を(複数形)
offerent 示すだろう,差し出すだろう,供するだろう,捧げるだろう(動詞offero, offerreの直説法・能動態・未来時制・3人称・複数の形)
reges 王たちが
Arabum アラビア人たちの(上の "reges" にかかる)
et(英:and)
Saba サバの(上の "reges" にかかる)
● 手元の辞書によればこれは格変化する名詞(第1変化名詞)であり,そうであれば属格(「~の」)は "Sabae" という形になるはずだが,なっていない。しかしここは明らかに「サバの」という意味だと考えられ,(ラテン語にとっての)外来固有名詞がしばしば無変化である例の一つだということになる。試みに,Vulgataに "Sabae" という形が一度でも出るかどうか検索してみたが,1つもなかった。
dona (<donum) 贈り物を,奉納物を(複数形)
adducent 持ってくるだろう(動詞adduco, adducereの直説法・能動態・未来時制・3人称・複数の形)
【詩篇唱3】
et(英:and)
adorabunt 礼拝するだろう,崇拝するだろう,伏拝するだろう(動詞adoro, adorareの直説法・能動態・未来時制・3人称・複数の形)
eum 彼を
omnes reges すべての王たちが(omnes:すべての,reges:王たちが)
terrae 地の,地上の(上の "reges" にかかる)
omnes すべての
gentes 民族が(複数形)
servient しもべ/はしためとなるだろう,従うだろう,仕えるだろう(動詞servio, servireの直説法・能動態・未来時制・3人称・複数の形)
ei 彼に,彼に対して(与格)
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