拝領唱 "Vidimus stellam eius in Oriente" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ52)
GRADUALE ROMANUM (1974) / TRIPLEX p. 59; GRADUALE NOVUM I p. 46.
gregorien.infoの該当ページ ←本稿投稿日現在,テキストの最後の語が "eum" となっているが,正しくは "Dominum" である。
更新履歴
2022年6月2日
● これまで「グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ」に入れていなかった聖務日課用聖歌を新たにこのシリーズに入れたことに伴い,本稿の番号を変更した (51→52)。内容には変更ない。
2021年12月29日 (日本時間30日)
● 投稿
【教会の典礼における使用機会】
主の公現の祭日 (1月6日。ただし日本などこの日に信徒が教会に集まるのが難しい国では,1月2日~8日の間にくる日曜日に移して祝われる) に歌われる。この祭日は,もともとは東方の三博士の来訪・イエスの受洗・カナの婚礼という3つのできごとを記念するものだったそうだが (現在でも用いられている聖務日課用アンティフォナ "Hodie caelesti sponso iuncta est Ecclesia" や "Tribus miraculis" にその名残が見られる),現在のローマ典礼では専ら東方の三博士の来訪を記念する日となっており,イエスの受洗とカナの婚礼は続く2つの主日 (日曜日) に分けて記念される (ただしイエスの受洗は,公現を1月7日または8日に祝った場合は,翌日の月曜日に祝われる)。
主の公現の祭日の後も,次の日曜日 (主の洗礼の祝日) の前日までこの拝領唱を用いることができる。
旧典礼での使用機会も同じである。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Vidimus stellam eius in Oriente, et venimus cum muneribus adorare Dominum.
私たちは東方で彼の星を見て,捧げ物を携えて来たのです,主を礼拝するために。
ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短も示しておく。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Vīdimus stēllam ēius in Oriente, et vēnimus cum mūneribus adōrāre Dominum.
出典はマタイによる福音書第2章第2節で,ヘロデ大王治下のエルサレムにやってきた博士たちが言った「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は,どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので,拝みに来たのです」(聖書協会共同訳) という言葉の後半部分である。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」は幼子イエスのことである。この聖書協会共同訳と比べてみても既に分かる通り,この拝領唱アンティフォナのテキストには独自の付加要素がある。
ごらんの通り,拝領唱にはVulgataにない "cum muneribus (捧げ物を携えて)" という要素の付加があり,さらにVulgataでは単に "eum (彼を)" となっているところが "Dominum (主を)" となっている。「捧げ物」というのは黄金・乳香・没薬のことで,これについてもとの福音書で語られるのはもう少し後である (第11節)。なお,同じ内容をもつ典礼文があと2つ存在するのだが (同じく主の公現の祭日のミサのアレルヤ唱と,その3日後の讃課〔Laudes。聖務日課の一つ〕のザカリアの讃歌用アンティフォナ),いずれにおいてもやはり "cum muneribus" の付加と "eum" → "Dominum" の置換とが行なわれており,これらの変更は何となく起きたのではなく意図的な・重要なものであることをうかがわせる。
これらの変更はいずれも,「彼」つまり生まれて間もない幼子イエスが何者なのかをはっきり示す働きをしているといえるだろうと思う。なぜそういいうるか,"Dominum (主を)" については説明不要であろうが,"cum muneribus (捧げ物を携えて)" について,中世の修道院でよく読まれていた教皇グレゴリウス1世 (在位590–604) の説教から関連する箇所を引用する。
このように,博士たちの捧げ物が,イエスが何者であるかをこの上なくよく表すものであったことが語られている。"cum muneribus (捧げ物を携えて)" という語句が付け加えられた背景にこのような考え方があったのだとしたら (直接このグレゴリウス1世の説教に基づいてであれもっと前の時点においてであれ。この拝領唱のテキストが確定したのがいつなのか私は知らない),そういうわけで,その意図はやはりイエスがどのような者なのかを強調することにあったのではないかと考えられるわけである。しかし,ここでは「捧げ物を携えて」と言っているだけで,その捧げ物が黄金・乳香・没薬であったという肝心のことは言っていないので,この推測はいまひとつ説得力に欠けるかもしれない。
"cum muneribus" が付加された理由としてもう一つ考えられるのは (そしてもう少し説得力が強いと思われるのは),これが拝領唱,つまり聖体拝領中に歌われる聖歌だということである (なお前述の通り,同じテキストがアレルヤ唱や聖務日課用アンティフォナにも現れるが,これは拝領唱が先にあってそれを流用したのだという仮説を立ててとりあえず問題ないことにする)。聖体拝領 (聖変化したパンとぶどう酒の形でイエス・キリストをいただくこと) には,あらかじめ罪を告白したり悔い改めたりして,ふさわしい状態で臨むことが求められているのだが,グレゴリウス1世の説教の上記引用箇所に続く部分には,黄金・乳香・没薬と関連づけて善い生き方を勧める言葉があるのである。
このような意味での黄金・乳香・没薬という捧げ物を携えて御聖体の前に進み出よう,というメッセージをこめて "cum muneribus" が付加された,というのは,大いに考えられることではないだろうか。"muneribus" (<munus) という語には「義務,職務,奉仕,働き」といった意味もあり (辞書を引くとむしろこれらの意味のほうが先に載っている),このことを考えればなおさらである。
【対訳】
Vidimus stellam eius in Oriente,
私たちは彼の星を東方で見ました,
解説:
「彼」は幼子イエスを指す。もとの聖書テキストにある言葉でいえば,「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」。
et venimus cum muneribus
そして私たちは捧げ物を携えて来ました,
adorare Dominum.
主を礼拝するために。
解説:
「主」は「彼」つまり幼子イエスのこと。
【逐語訳】
vīdimus 私たちが見た (動詞videō, vidēreの直説法・能動態・完了時制・1人称・複数の形)
stēllam 星を (単数)
ēius 彼の
● 直前の "stellam" にかかる。
in Oriente 東で,東方で,東の国で
et (英:and)
vēnimus 私たちが来た (動詞veniō, venīreの直説法・能動態・完了時制・1人称・複数の形)
cum (英:with)
mūneribus 捧げ物,貢ぎ物,贈り物,義務,職務,働き,奉仕 (複数・奪格)
adōrāre 礼拝する,伏し拝む (動詞adōrō, adōrāreの不定法・能動態・現在時制)
● ここでは英語のto不定詞のように目的を示し,「拝むために」。
Dominum 主を