入祭唱 "Caritas Dei diffusa est" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ59)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 248; GRADUALE NOVUM I p. 361.
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【教会の典礼における使用機会】
現行「通常形式」のローマ典礼では,聖霊降臨の主日・前晩のミサ,三位一体の主日 (C年のみ),シエーナの聖カテリーナ (カタリナ) の記念日 (4月29日),聖フィリッポ・ネリの記念日 (5月26日) に歌われる。これらのうち,聖霊降臨の主日・前晩のミサには "Dum sanctificatus fuero" を,シエーナの聖カテリーナの記念日には "Dilexisti iustitiam" を用いることもできる。
ほかに,堅信の秘跡が行われるミサ (復活節中),教皇または司教の選出のためのミサ (四旬節以外),公会議または司教会議のためのミサ (復活節中),聖霊についての随意ミサ (四旬節以外) でも用いられる。いずれにおいても,選択できる入祭唱がほかにも指定されている。堅信,高位聖職者の選出,重要な教会会議,これらはすべて,特に聖霊の働きを願い求める機会である。なお,「復活節中」「四旬節以外」といった条件がついているのは,この入祭唱に "alleluia (ハレルヤ)" が含まれていることによる。四旬節の典礼では「ハレルヤ」の語を一切発しないことになっており,逆に復活節の典礼では何でもかんでも「ハレルヤ」をつけるようになっているのである。
旧典礼 (=現行「特別形式」のローマ典礼) においては,この入祭唱は聖霊降臨の八日間中の土曜日 (「四季の斎日」でもある) と,聖フィリッポ・ネリの祝日 (5月26日) に歌われる。現行「通常形式」典礼では「八日間」をもつ祭りは降誕祭と復活祭のみになっているが,旧典礼では聖霊降臨祭にもあり,それに伴い,現行「通常形式」典礼では聖霊降臨の主日をもって終了する復活節ももう少し続く。いつ終わるのかというとその次の土曜日,つまりこの入祭唱が歌われる日 (の夕方前) にである。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Caritas Dei diffusa est in cordibus nostris/vestris, alleluia: per inhabitantem Spiritum eius in nobis/vobis, alleluia, alleluia.
Ps. [GRADUALE TRIPLEX] Benedic anima mea Domino: et omnia quae intra me sunt, nomini sancto eius.
Ps. [GRADUALE NOVUM] Domine Deus salutis meae: in die clamavi, et nocte coram te.
【アンティフォナ】神の愛が私たちの/あなたたちの心において注ぎ出された,ハレルヤ。私たちの/あなたたちの内にお住まいになっている彼の霊によって,ハレルヤ,ハレルヤ。
【詩篇唱 [GRADUALE TRIPLEX]】私の魂よ,主を讃えよ。私の内にあるすべてのものよ,彼の聖なる御名を[讃えよ]。
【詩篇唱 [GRADUALE NOVUM]】主よ,私の救いの神よ。昼に[御前で]私は叫び,夜に御前で[私は叫びました]。
アンティフォナ中の "nostris/vestris" は,GRADUALE TRIPLEXでは "nostris" が活字になっていて,手書きで "ve-" が併記されている。GRADUALE NOVUMではこの箇所には "vestris" のみが記されているが,これはもとにしている2つの古写本 (Laon 239とEinsiedeln 121) がいずれも "vestris" としていることを示唆し,実際そうである。その先の "nobis/vobis" についてはTRIPLEX,NOVUMとも "nobis" を活字にしているが,NOVUMのみ手書きで "vo-" を併記している。古写本を見ると,Laon 239は "nobis",Einsiedeln 121は "vobis" と記している。
このアンティフォナの出典はローマ人への手紙第5章第5節だが,復活節特有の「ハレルヤ」の付加を別にしても,語句はいくらか変えられている (なお,次に掲げるのはVulgataだが,諸々の古ラテン語訳Vetus Latinaでもここはだいたい同じ)。
このように,もともとは「希望が失望に終わることはない」ことの根拠として書かれている言葉である。"per" 以下は「私たちに与えられた聖霊」とあるのが入祭唱では「私たちの内にお住まいになっている彼 (神) の霊」と変えられている。
詩篇唱はGRADUALE TRIPLEXとNOVUMとで異なるものが載っており,前者は詩篇第102篇 (ヘブライ語聖書では第103篇),後者は詩篇第87篇 (ヘブライ語聖書では第88篇) である。古写本ではLaon 239,Einsiedeln 121とも詩篇第87 (88) 篇を指示しており,GRADUALE TRIPLEXにも手書きでそれが示されている。
【対訳】
【アンティフォナ】
Caritas Dei diffusa est in cordibus nostris/vestris, alleluia:
神の愛が私たちの/あなたたちの心において注ぎ出された,ハレルヤ。
別訳:神の愛が私たちの/あなたたちの心に (心へと) 注ぎ出された,ハレルヤ。
普通に考えると,神の愛が外からやってきて私たちの心に入る,というイメージを抱くので,別訳のように解釈したくなる。実際,私が今見たいくつかの翻訳 (ギリシャ語原文からのであれ,ラテン語からの訳であれ) はたいていそうしている (英語なら "into our hearts")。しかし,このラテン語テキストを文字通りにとればあくまで「心において」(英:"in our hearts") となる。
ポイントは前置詞 "in" に続くものが奪格をとっていることで,これだと単に,何かが起こる/行われる場所を示すことになる。もし何かが起こる/行われる方向を示すのであれば,ここは奪格ではなく対格になる。
というわけで,花壇にじょうろやホースで水を注ぐイメージではなく,心の中に泉ができてそこから水が湧いてくるイメージが合っているといえるだろう (こう考えると,ヨハネによる福音書第4章第14節の「私 (イエス) が与える水はその人の内で泉となり,永遠の命に至る水が湧き出る」という聖句とも符合する)。
なお,上述のように聖書原文で「私たちに与えられた聖霊」となっているものが入祭唱では「私たちの内にお住まいになっている彼 (神) の霊」と変更されていることは,この解釈にさらなる裏付けを与えてくれているように私は思う。
それでもこの別訳を掲げたのは,これも間違いではなさそうだからである。"in" の後に対格がくるか奪格がくるかは,原則的にはあくまで上記のような基準で決まるのだが,例外的に,奪格であっても方向を表している場合があるからである。
なお "in cordibus" にあたる部分をギリシャ語原文で見てみると "ἐν ταῖς καρδίαις" となっており,これは「前置詞ἐν + 与格」という形で,まさにラテン語の「in + 奪格」と同じである (ギリシャ語には奪格がないので与格で代用される)。方向を表すときには原則として「前置詞εἰς + 対格」という形が用いられる。しかしこの前置詞ἐνを辞書で引いてみると,最後のほうに「動きを表す動詞を伴うときには,εἰς[+ 対格]が用いられるはずのところであってもἐν[+ 与格]が用いられることがある」という説明があり,今回の「注ぎ出された」という動詞もこれに該当するとも考えられよう。このことからしても,今回のテキストは別訳のように解釈することも十分に可能だと考える。私自身は今回は原則通りの解釈のほうが魅力的だと思い,そちらを採りたいが。
per inhabitantem Spiritum eius in nobis/vobis, alleluia, alleluia.
私たちの/あなたたちの内にお住まいになっている彼の霊によって,ハレルヤ,ハレルヤ。
別訳:(……) 彼の霊を通して,(……)
「ハレルヤ」で中断されているので分かりづらいが,直前の「神の愛は私たちの/あなたたちの心に注ぎ出された」を修飾している。
「彼 (神) の霊」とは聖霊のこと。
【詩篇唱 [GRADUALE TRIPLEX]】
Benedic anima mea Domino:
讃えよ,私の魂よ,主を。
et omnia quae intra me sunt, nomini sancto eius.
そして私の内にあるすべてのものよ,彼の聖なる御名を[讃えよ]。
旧約聖書の詩文で非常によく見られる「平行法」(連続する2行が同じことを言っていたり,対になる内容を述べていたりなどするもの) がここでも用いられており,今回は直前の「讃えよ,私の魂よ,主を」と同じことがこの行において別の言い方で表現されている。同じことを言いかえる場合,このように一部の要素が省略される場合がある (ここでは「讃えよ」)。
【詩篇唱 [GRADUALE NOVUM]】
Domine Deus salutis meae:
主よ,私の救いの神よ。
「私の」は「救い」にかかる。
in die clamavi,
et nocte coram te.
昼に[御前で]私は叫び,
夜に御前で[私は叫びました]。
上で少し説明した「平行法」のさらに高度な形であり。この2行を一組として読んで初めて理解できる。つまり,言いたいことは「昼も夜も御前で私は叫びました」ということなのだが,前半では「御前で」が省略され,後半では「私は叫びました」が省略されているのである。
【逐語訳】
【アンティフォナ】
caritas 神愛が
Dei 神の
直前の "caritas" にかかる。
diffusa est 注ぎ出された,まき散らされた (動詞diffundo, diffundereの直説法・受動態・完了時制・3人称・女性・単数の形)
in ~の中で
cordibus 心 (複数・奪格)
nostris/vestris 私たちの/あなたたちの
直前の "cordibus" にかかる。
alleluia ハレルヤ
per ~を通って,~を通して,~によって (手段)
inhabitantem 住む (動詞inhabito, inhabitareをもとにした現在能動分詞,男性・単数・対格)
直後の "Spiritum" にかかる。
Spiritum 霊,聖霊
eius 彼の
直前の "Spiritum" にかかる。
「彼」は「神」(このアンティフォナの第2語 "Dei") を指す。
in ~の中に
nobis/vobis 私たち/あなたたち (奪格)
alleluia, alleluia ハレルヤ,ハレルヤ
【詩篇唱 [GRADUALE TRIPLEX]】
benedic 良く言え,祝福せよ,幸いを願え,讃美せよ (動詞benedico, benedicereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
この動詞の目的語は与格をとることも対格を取ることもある。今回は与格。
anima mea 私の魂よ (anima:魂よ,mea:私の)
Domino 主に,主を (与格)
文字通りには「主に」。"benedic" の訳によっては「を」とする必要がある。
et (英:and)
omnia すべてのものよ (名詞化した形容詞,中性・複数・呼格)
quae (関係代名詞,中性・複数・主格)
直前の "omnia" を受ける。
intra ~の内部に
me 私 (対格)
sunt ある (動詞sum, esse [英語でいうbe動詞] の直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)
nomini sancto eius 彼の聖なる名に,彼の聖なる名を (nomini:名に,名を [与格],sancto:聖なる,eius:彼の)
"nomini" は文字通りには「名に」。"benedic" の訳によっては「を」とする必要がある。
「彼」は「主」("Domino") を指す。
【詩篇唱 [GRADUALE NOVUM]】
Domine 主よ
Deus salutis meae 私の救いの神よ (Deus:神よ,salutis:救いの,meae:私の)
"meae" は "salutis" にかかる。
in die 昼に (die:昼 [奪格])
clamavi 私が叫んだ (動詞clamo, clamareの直説法・能動態・完了時制・1人称・単数の形)
et (英:and)
nocte 夜 (に) (奪格)
coram ~のいる前で
te あなた (奪格)
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