入祭唱 "Laetetur cor quaerentium Dominum" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ23)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX pp. 268–269 あるいは pp. 357–358 (どちらでも同じ); GRADUALE NOVUM I p. 234.
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更新履歴
些細な修正は記録しないこともある。
2023年10月4日
現在の本シリーズの方針に合わせ,対訳の部と逐語訳の部とを統合した。ついでにいろいろと細かい改善を行なった。
2023年1月20日 (日本時間21日)
「教会の典礼における使用機会」の部に加筆・修正を行なった。特に,2002年版ミサ典書においてこの入祭唱がどの使用機会に割り当てられているかについて新たに書き加えた。
訳をところどころ改めた。"Laetetur":「喜ぶように」→「喜べ」。"Confitemini":「讃えよ」→「(信仰/讃美/感謝を) 告白せよ」。"gentes":「諸民族」→「諸国の民」。
"invocate (呼べ,呼び求めよ)" の別訳を削除した。Sleumerの教会ラテン語辞典にほかの意味が載っているというだけで,七十人訳ギリシャ語聖書を見てもヘブライ語聖書を見てもここはさすがに「呼べ/呼び求めよ」だと考えられるため。
2019年1月27日 (日本時間28日)
投稿
【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版ORDO CANTUS MISSAE (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXおよびGRADUALE NOVUMはだいたいこれに従っている) では,四旬節第4週の木曜日,年間第4週,年間第30週に割り当てられている。ほかに,修道者の聖人や福者を記念するミサで共通に用いられる歌 (commune) の一つであり,また「おとめの奉献」のときや修道者が誓願を立てるときにも用いられる。(「四旬節」「年間」とは何であるかについてはこちら。)
2002年版ミサ典書では,四旬節第4週の木曜日と年間第30主日 (※) とに用いられること,修道者の聖人や福者を記念するミサで共通に用いられる歌 (commune) の一つであることは上の規定と同様である。
※ 年間第30週のうち主日 (日曜日) だけという意味では必ずしもない。2002年版ミサ典書では一般に「第○○週」ではなく「第○○主日」と記されており,ほかの季節はともかく「年間」の週日 (≒平日) については入祭唱の定めがないので基本的には主日のそれをそのまま用いればよく,つまりこの相違はあまり気にしなくてよい。
1972年版ORDO CANTUS MISSAEとの相違点は次の通り。
年間第4主日 (「~週」でなく「~主日」である件については同上) の入祭唱としてはほかのテキストが記されている (Salvos nos fac)。"Salvos nos fac" というグレゴリオ聖歌入祭唱は,gregorien.infoで検索をかけた限りでは存在しないようである (全く同じテキストを持つおそらく聖務日課用のレスポンソリウムなら一つあったが)。
「おとめの奉献」にあたってのミサの入祭唱のテキストも異なっている (Quaerite Dominum et confirmamini)。gregorien.infoで検索をかけた限りでは,そのテキストそのままのグレゴリオ聖歌入祭唱は存在しないようである。といっても,このテキストは今回扱う入祭唱と共通する言葉を多く含み,このミサでグレゴリオ聖歌を用いるのであれば,結局今回の入祭唱を歌えばよいと思われる。
入信者の「名前 (キリスト者としての名前すなわち霊名/洗礼名のことだろう) の選択あるいは刻印にあたって」のミサで用いられる。ORDO CANTUS MISSAEにはこの項目そのものがない。
「複数の,あるいはすべての死者を記念するにあたって」のミサで用いうる入祭唱の一つである。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ミサ典書では,四旬節第4週の木曜日と,9月の「四季の斎日」の金曜日にこの入祭唱が割り当てられている。いずれも節制や悔い改めの日であることが注目される。ほかには,「司祭が召命に留まるため」の随意ミサでも用いられる。
8~9世紀の時点でどうたったかを知るべくAMSを見ると,四旬節第4主日後の木曜日のところにこの入祭唱を記しているのは,入祭唱に関係ある5つの聖歌書中4つである (あと1つは空白)。9月の「四季の斎日」の金曜日のところには3つの聖歌書がこの入祭唱を記している (あと2つのうち1つは空白,1つは当該部分が残っていない)。
【四旬節第4週に用いられるということについて】
以上のさまざまな使用機会のうち,私が特に注目したいのは,新旧典礼に唯一共通する「四旬節第4週の木曜日 (四旬節第4主日後の木曜日)」である。
四旬節第4主日といえば,その入祭唱の冒頭の "Laetare (喜べ)" という語によって性格づけられている特別な主日 (復活の喜びを少し先取りする主日) である。そして,今回の入祭唱は "Laetetur (喜ぶべし)" という語で始まるのである。今回の入祭唱がこのタイミングで用いられるのは,四旬節第4主日を意識してのことなのだろうか。
もう一つ,今回の入祭唱にはquaero, quaerere (探し求める) という動詞が3度も出ており,この点,洗礼志願者 (つまり神を探し求める人々) の準備期間の最終段階でもある四旬節によく合っているといえる。洗礼志願者でなくとも,四旬節は悔い改めの期間,つまり改めて神 (の道) を探し求める期間であるから,この歌はやはりふさわしいといえるだろう。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Laetetur cor quaerentium Dominum: quaerite Dominum, et confirmamini: quaerite faciem eius semper.
Ps. Confitemini Domino, et invocate nomen eius: annuntiate inter gentes opera eius.
【アンティフォナ】喜べ,主を探し求める者たちの心は。主を探し求めよ,そして強められよ。彼の御顔を常に探し求めよ。
【詩篇唱】主に (讃美を/感謝を/信仰を) 告白せよ,彼の御名を呼べ。諸国の民の間に彼の御業を告げ知らせよ。
アンティフォナの出典は詩篇第104篇 (ヘブライ語聖書では第105篇) 第3節後半~第4節であり,詩篇唱にも同じ詩篇が用いられている (ここに掲げられているのは第1節,ただし冒頭の "Alleluia" は除かれている)。
アンティフォナも詩篇唱も,テキストはローマ詩篇書にもVulgata=ガリア詩篇書にほぼ一致している。「ほぼ」といっても,一致していないのは "annuntiate" が両詩篇書では "adnuntiate" となっているということだけで,これは音便の問題にすぎないので,完全に一致していると言ってもよいくらいである。(「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら。)
【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】
Laetetur cor quaerentium Dominum:
喜べ,主を探し求める者たちの心は。
laetetur 喜ぶべし (動詞laetor, laetariの接続法・受動態の顔をした能動態・現在時制・3人称・単数の形)
cor 心が
quaerentium Dominum 主を探し求めている者たちの (quaerentium:探し求めている者たちの [動詞quaero, quaerereをもとにした現在能動分詞,男性・複数・属格],Dominum:主を)
「喜べ」といってもこの動詞 "Laetetur" は命令法ではなく,逐語訳に示したように3人称の接続法である (この語単体をいっそう文字通りに訳せば「喜ぶべし」「喜ぶように」となろうか)。それゆえ,続く部分は「~心よ」という呼びかけでなく,「~心が (は)」という主語の表示になっている。
「教会の典礼における使用機会」の部で少し触れたが,"Laetetur (喜ぶべし)" という語でこの入祭唱が,ひいてはミサ全体が始まるというのは,アドヴェント第3主日の "Gaudete" や四旬節第4主日の "Laetare" を想起させるものである。これら2つの主日においては,単に入祭唱が「喜べ」という語で始まっているというだけでなく,それぞれの主日全体が (アドヴェントや四旬節といった斎戒期にあってはいわば異色の) 喜びの性格を帯びることになっている。
このような意味で,少なくとも「喜び」が絡む限り,入祭唱の冒頭の語は重要なのではないかと思う。そこで,今回の "Laetetur" についても,訳文でも「喜べ」を最初に持ってくることにした。"quaerentium" は上記の通り現在能動分詞 (英語でいう-ing形) であり,本来は,一般に分詞がそうであるように,形容詞の働き,つまり名詞にかかってそれを修飾する働きを持っている語である (「[解決を] 探し求めている研究者たち」「[行方不明者を] 探し求めている捜索隊員たち」というふうに)。
しかしここではそれが名詞化 (形容詞の名詞化!) して,「探し求めている者たち」という意味になっている。そして属格なので「探し求めている者たちの」となり,直前の "cor" にかかっている。
名詞化しているとはいっても,あくまで動詞の一形態には違いないので,「探し求める」の目的語「主を (Dominum)」はごく普通に対格で現れている。
quaerite Dominum,
主を探し求めよ,
quaerite 探し求めよ (動詞quaero, quaerereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
Dominum 主を
第1文は3人称の接続法だったが,ここから先は2人称の命令法。
et confirmamini:
そして強められよ。
et (英:and)
confirmamini 強められよ,確かなものとされよ (動詞confirmo, confirmareの命令法・受動態・現在時制・2人称・複数の形)
動詞confirmo, confirmareは「堅信の秘跡を授ける」という意味でも使われる語である。堅信は洗礼より後の段階だが,やはり入信の秘跡に属するものである。主を探し求めて強められる (確かなものとされる) ということで,ここにも洗礼準備の最終段階である四旬節の性格が感じられる,といえるかもしれない。
quaerite faciem eius semper.
彼の御顔を常に探し求めよ。
quaerite 探し求めよ (動詞quaero, quaerereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
faciem eius 彼の顔を (faciem:顔を,eius:彼の) ……ただし,"facies" (>faciem) を手元の辞書で引くと,まず載っている意味は「顔」ではなく「姿」「外見」である。
semper 常に
【対訳・逐語訳 (詩篇唱)】
Confitemini Domino,
主に (讃美を/感謝を/信仰を) 告白せよ,
confitemini 告白せよ,讃えよ,感謝せよ (動詞confiteor, confiteriの命令法・受動態の顔をした能動態・現在時制・2人称・複数の形)
Domino 主に (与格) …… "confitemini" を「讃えよ」と訳す場合はここは「主を」と訳さざるを得ない。
et invocate nomen eius:
そして彼の御名を呼べ。
et (英:and)
invocate 呼び求めよ,(助けを求めて) 呼べ (動詞invoco, invocareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
nomen eius 彼の名を (nomen:名を,eius:彼の)
annuntiate inter gentes opera eius.
諸国の民の間に彼の御業を告げ知らせよ。
annuntiate 告げ知らせよ (動詞annuntio, annuntiareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
inter gentes 諸国の民の間に (inter:英 "among",gentes:諸国の民,[神の民イスラエルの対概念としての] 異邦人 [複数・対格])
opera eius 彼の御業 (複数) を (opera:業を,作品を,eius:彼の) …… "opera" の単数・主格形は "opus"。