昇階唱 "Timebunt gentes nomen tuum" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ102)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX pp. 265–266; GRADUALE NOVUM I pp. 229–230.
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【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版ORDO CANTUS MISSAE (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では,年間第3週と年間第22週 (偶数年の水曜日と土曜日を除く) に割り当てられている。また,国の指導者であった聖人を記念するミサで共通に用いることができる昇階唱の一つ,「種々の機会のミサ」のうち「諸々の民の福音化のため」のミサで用いることができる昇階唱の一つともなっている。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
AMSにまとめられている8~9世紀の聖歌書 (6つある) では,今回の昇階唱は次のところに現れる。6聖歌書のうちいくつに載っているかも記す。
主の降誕前第5主日 (後ろから数えて第5。つまり,アドヴェント第1主日の1週間前) …… この項目があるのがそもそも1聖歌書のみ (Rheinau)。AMS第0欄。
公現後第3主日 …… 全6聖歌書のうち5聖歌書 (Monza, Mont-Blandin, Compiègne, Corbie, Senlis)。AMS第26欄。
聖霊降臨後第15主日 …… この部分が残っている4聖歌書のうち1聖歌書のみ (Mont-Blandin),しかも2つ与えられている選択肢のうちの一つで,もう一つのほうはほかの3聖歌書と共通。AMS第187欄。
聖霊降臨後第16主日 …… この部分が残っている4聖歌書のうち2聖歌書 (Corbie, Senlis)。AMS第188欄。
聖霊降臨後第17主日 …… この部分が残っている5聖歌書のうち1聖歌書 (Mont-Blandin) のみ,しかも2つ与えられている選択肢のうちの一つ。AMS第189a欄。
聖霊降臨後第23主日 …… この部分が残っている4聖歌書のうち1聖歌書 (Mont-Blandin) のみ。AMS第198欄。
全体として,Mont-Blandinの聖歌書で妙によく用いられているのが目につく。これを除いて考えるとすると,残るのは公現後第3主日と聖霊降臨後第16主日,あと一応「主の降誕前第5主日」であるが,特に公現後第3主日については圧倒的に多くの聖歌書に記されているのが目立つ。
なお公現後主日は多いときで第6まであるが,第4以降については個別にミサ固有唱 (昇階唱はミサ固有唱の一部である) が用意されておらず,公現後第3主日のものを繰り返し用いることになっている。つまり,「公現後第3主日」という使用機会は実際には「公現後第3~6主日」を意味するということになる。
聖霊降臨後の主日は少ないときで23,多いときで28あるが,第24以降については個別にミサ固有唱が用意されておらず,第23主日のものをずっと用い続けることになっている。つまり,上の一覧の終わりにある「聖霊降臨後第23主日」のミサ固有唱は,最後の聖霊降臨後主日 (これは教会暦上最後の主日ということでもある) に (も) 歌われるものだということになる。
一覧のはじめにある「主の降誕前第5主日」はRheinau聖歌書のみにある項目で,上にも記した通りこれは現在のアドヴェントに入る1つ前にあたるので,今でいえば教会暦上の最後の主日にあたる (教会暦上の一年はアドヴェントをもって始まるので)。というわけで,実は「主の降誕前第5主日」と「聖霊降臨後第23主日」とはある程度一つのものとして扱ってよいことになる。
1962年版ミサ典書では,やはりというべきか,今回の昇階唱は公現後第3主日と聖霊降臨後第16主日のところにだけ載っている。
公現後第3主日は改革後典礼の年間第3主日と同じタイミングであり,聖霊降臨後第16主日は改革後典礼の年間第22主日とミサ固有唱の割り当てにおいて対応関係にある。後者はどういうことかというと,改革後典礼における年間第7~28主日 (週) のミサ固有唱は,改革前典礼の聖霊降臨後第1~22主日のものをほぼ順番通りにだいたい引き継いでいるので,この意味では年間第22主日=聖霊降臨後第16主日だ,というわけである (日取りは年によって一致したりしなかったりする。しないことのほうが多い)。
この意味では,新旧典礼を通じて使用機会は変わっていないともいえる。
この昇階唱の内容に特によく合っていると私が思う使用機会は公現後第3主日なのだが,それについてはテキストをまず読んでから語るのがよいので後述する。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Timebunt gentes nomen tuum, Domine, et omnes reges terrae gloriam tuam.
℣. Quoniam aedificavit Dominus Sion, et videbitur in maiestate sua.
【レスポンスム】諸国の民は御名を恐れることでしょう,主よ,地上のすべての王たちはあなたの栄光を恐れることでしょう。
【独唱句 (※)】主がシオンをお建てになったからには,そしてその御稜威のうちにお姿を現されることになるからには。
詩篇第101篇 (ヘブライ語聖書では第102篇) 第16–17節が用いられ,第16節がレスポンスムに,独唱句に第17節が割り振られている。
テキストはローマ詩篇書に一致している (ローマ詩篇書とは何であるかについてはこちら)。
「諸国の民」(神の民イスラエルの対概念としての「異邦人」) や「地上のすべての王たち」が「主」を畏れるようになる,というのは,いかにも「主の公現 (エピファニー)」的な要素である。公現祭は,救い主が諸国の民/異邦人 (東方の博士たちによって代表される) にも現れたこと,つまり神の救いが全世界に及ぶようになったことを祝うものだからである。
この共通性を特にはっきり表しているのが,この昇階唱が公現祭の奉納唱 (Reges Tharsis et insulae) の一部とよく似ていることである。
20世紀後半の大改革以来のローマ典礼では「主の洗礼」の祝日 (1月7日~13日のどこかにくる日曜日) をもって降誕節が終わって翌日から「年間」というニュートラルな季節に入ることになっているし,改革前の1962年版ミサ典書でも厳密な意味での降誕節/公現節は1月13日までである。しかしそこで降誕/公現の要素がすっかり消えるわけではなく,(公現後第3主日の入祭唱の記事でも述べたように) その後もしばらくの間,公現の神秘を祝うことが継続されるようになっている。伝統的には,それは七旬節 (四旬節の前段階的な時期) に入る直前まで続く。
この昇階唱はそれをよく表すものの一つだということができ,その意味で,複数ある使用機会の中でも公現後第3主日 (なお前述のように,これは実際には「公現後第3~6主日」である) は特にふさわしいものだと私は思う。そして,改革後典礼の年間第3主日にもこれが残されていることで,公現の神秘をなおしばらく祝い続ける伝統は今も絶えてはいないということができるだろう (これは年間第1~3週のほかのいくつかの固有唱についてもいえるし,年間第2主日に関しては朗読される福音書箇所からもいえることである)。
【対訳・逐語訳 (レスポンスム)】
Timebunt gentes nomen tuum, Domine,
諸国の民が御名を恐れることでしょう,主よ,
別訳:異邦人が (……)
et omnes reges terrae gloriam tuam.
地上のすべての王たちがあなたの栄光を (恐れることでしょう)。
【対訳・逐語訳 (独唱句)】
Quoniam aedificavit Dominus Sion,
主がシオンをお建てになったからには,
et videbitur in maiestate sua.
そしてその御稜威のうちにお姿を現されることになるからには。
直訳:そして自らの威光のうちに現れる (/見られる) ことになる (からには)。