讃歌 "Veni, creator Spiritus" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ58)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 848; GRADUALE NOVUM II pp. 436–437; LIBER HYMNARIUS (2019) pp. 90–91; LIBER USUALIS pp. 885–886; ANTIPHONALE MONASTICUM (1934) pp. 518–519.
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更新履歴
2023年6月20日 (日本時間21日)
「教会の典礼における使用機会」の部を少し整理した。
1行 (1行だけでは意味を成さない場合は2行) 訳すごとに逐語訳を入れるという構成に変更した。
2022年6月14日
第3節に2通りの解釈があるように記していたが,片方が誤っていることに気づいたので削除した。"digitus" が原則として主格でしかありえない形 (これは第2変化名詞であるから) なのに呼格の可能性も考えてしまった,という単純ミスからきたものである。さらに,ほかの点でもこの節の後半2行の解釈を改めた。
2022年6月5日 (日本時間6日)
投稿
【概説】
9世紀以来西方教会じゅうに広まった讃歌 (hymnus) で,聖霊に直接呼びかけており,そうしている西方教会の讃歌としては最古の例だそうである。聖霊降臨祭のころの聖務日課で用いられるほか,司教や司祭の叙階・修道誓願・教会献堂といった重要な機会に歌われる歌でもあり,西方教会の讃歌の中でこれほど大きな役割を果たしてきたものはほかにないという。(参考:Ammer, Jessica, "Die Reimpaarübersetzungen des Hymnus Veni creator spiritus" in: Kraß, Andreas und Ostermann, Christina (ed.), Hymnus, Sequenz, Antiphon. Fallstudien zur volkssprachlichen Aneignung liturgischer Lieder im deutschen Mittelalter, Berlin/Boston 2019, p. 15)。
早くから各ヨーロッパ言語に多く訳されてきた歌でもあり,J. S. バッハのオルガン曲BWV 631およびBWV 667のもとになっている "Komm, Gott Schöpfer, Heiliger Geist" はルターによるこの讃歌のドイツ語訳である。
作者は聖ラバーヌス・マウルスHrabanus (Rabanus) Maurus (780ごろ–856) であるという説が有力だが,確実ではない。いずれにせよカロリング・ルネサンス期に,それも809年にアーヘンで行われた教会会議との関連で生まれたのではないかと言われている。この教会会議の議題に関連するともみられる要素が讃歌の第6節に含まれているためである (参考:同論文,p. 19)。
【教会の典礼における使用機会】
聖務日課については修道院ごとの違いもあると思うが,とりあえず手元の聖歌書に記されていることを述べる。
概説の部で述べた通り,以下に述べるような典礼暦上の使用機会以外でも,この讃歌はさまざまな重要な機会に歌われてきた。
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
ANTIPHONALE MONASTICUM I (2005) によると,主の昇天の祭日 (復活祭の40日後の木曜日,すなわち復活節第6週の木曜日) の翌日から聖霊降臨の主日当日まで毎日,聖人の祝日 (festum) や記念日 (memoria) が当たった場合も含め,晩課 (およそ18時ごろに行われる聖務日課) でこの讃歌を「歌ってよい (cantare licet)」。ただし祭日 (sollemnitas) が当たった場合はそちら固有の讃歌が優先される。
LIBER HYMNARIUS (2019) にも,当該時期 (の「主日・週日」。これを文字通りに読めば聖人に関する日は除かれることになるが,祭日ではなく祝日や記念日の場合,運用は上記の通りでよいのだろう) に歌うべきものとしてこの讃歌の楽譜が載っている。
主の昇天の祭日と聖霊降臨の主日とにはさまれた9日間は,イエス・キリストは地上から去ってしまったが聖霊もまだ来ていないという特別な時期,ある意味で寂しい時期である。この9日間の典礼は,聖霊の降臨を祈り求める特別な性格を持つものとなる (聖霊降臨のノヴェナ)。
gregorien.infoを見ると,復活節全体にわたって「第2年」の晩課で用いることになっていると書いてある。もしかすると,教区司祭 (修道会に属さない司祭) 用の定めではそうなっているということなのかもしれない。これについては後日確認する。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
こちらでは聖霊降臨のノヴェナは典礼上正式には行われず (単なる「敬虔な慣習」という扱い),したがってこの期間に "Veni creator Spiritus" を歌う定めもない。その代わり,旧典礼には「聖霊降臨の八日間」(聖霊降臨の主日に始まる。実際には7日間) があり,こちらでこの讃歌が用いられる (晩課のほか,三時課 [午前9時ごろに行われる聖務日課] でも歌われる)。
【第1節対訳・逐語訳】
LIBER USUALISには,「第1節はひざまずいて歌われる」との指示書きがある。
Veni, creator Spiritus,
来てください,創造主である[聖]霊よ,
mentes tuorum visita,
あなたの者たち (=あなたを信ずる者たち) の精神を訪れてください,
imple superna gratia
上なる恩寵で満たしてください,
quae tu creasti, pectora.
あなたがお創りになった心を。
● 関係詞節が先行詞より前にあるという変則的な語順。
【第2節対訳・逐語訳】
Qui diceris Paraclitus,
助け主 (弁護者,慰め主) と呼ばれる方よ,
donum Dei altissimi,
いと高き神の賜物と (呼ばれる方よ),
● この節のこれ以降はすべて,上の "Paraclitus" と並列された要素である。
● LIBER USUALISでは語順が異なり "Altissimi donum Dei" となっているが,意味は同じ。
fons vivus, ignis, caritas
生ける泉と,火と,神愛と (呼ばれる方よ),
et spiritalis unctio.
霊的な塗油と (呼ばれる方よ)。
【第3節対訳・逐語訳】
Tu septiformis munere,
あなたは賜物において7つの形をおとりになる方です,
● 英語でいうbe動詞が省略されている。以下同様。
dextrae Dei tu digitus,
あなたは神の右の指であられる方です,
● LIBER USUALISでは,この行は "Digitus paternae dexterae ([あなたは]御父の右手の指[であられる方です])" となっている。
tu rite promissum Patris,
sermone ditans guttura.
あなたは御父の約束として,正しい仕方で
喉を言葉で豊かになさる方です。
別訳:
あなたは正しく御父の約束であられ,
喉を言葉で豊かになさる方です。
● 別訳は "rite" の解釈が強引であるように思い,苦しい気がする。しかし実は問題ないかもしれないので載せておく。
【第4節対訳・逐語訳】
Accende lumen sensibus,
感覚に光を灯してください,
infunde amorem cordibus,
心に愛を注ぎ入れてください,
infirma nostri corporis
私たちの体の弱いところを
virtute firmans perpeti.
永続する力でお強めになりつつ。
【第5節対訳・逐語訳】
Hostem repellas longius
敵をより遠くへ退けてください,
pacemque dones protinus:
また,平和を絶えずお与えください。
別訳:また,平和を直ちにお与えください。
ductore sic te praevio
そのようにあなたが先に立ってお導きくださることで,
vitemus omne noxium.
私たちがあらゆる有害なものを避けることができますように (祈願)。
別訳:(……) できるように (目的)。
別訳:私たちがあらゆる邪悪なものを (……)
【第6節対訳・逐語訳】
冒頭で挙げた聖歌書のうち,GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX,GRADUALE NOVUM,LIBER HYMNARIUS (2019) ではこの節が最終節になっており,最後に "Amen" がつけられている。
Per te sciamus da Patrem
あなたを通して私たちが御父を知ることを得させてください,
● 「~を得させてください」と訳したのは "da" で,直訳すれば「お与えください」。
noscamus atque Filium,
また,御子を認識する (ことを得させてください),
別訳:また,御子と知り合いになる (ことを得させてください),
別訳:また,御子を体験する (ことを得させてください),
● 前の行の "da" が引き続き生きていると考え,このように解釈した。次の2行についても同じ。
te utriusque Spiritum
credamus omni tempore.
両者ともの霊であるあなたを
私たちがいつも信じている (ことを得させてください)。
● LIBER USUALISではここの最初の語は "teque (また/そして,あなたを)"。
● 本稿の導入部で言及したアーヘンの教会会議の議題というのは,ニケア・コンスタンティノポリス信条 (Credoのこと。使徒信条ではなく,長いほう) 中,もともとは聖霊が「御父から出る」とあったものを「御父と御子から出る」に変える (ラテン語で "Filioque [~と御子から]" の一語を付加する) という西方教会の傾向に正当性を持たせることであった。それで,ここの「(御父と御子) 両者ともの霊であるあなた」という言葉ゆえに,"Veni, creator Spiritus" はこの教会会議との関連で生まれたのではないかと言われているのである。
【第7節対訳・逐語訳】
冒頭で挙げた聖歌書の中では,ANTIPHONALE MONASTICUM (1934) とLIBER USUALISのみにこの節が載っている。昔から,省略されたりほかのテキストで置き換えられたりということが行われることがあった節らしい (参考:Ammer上掲論文,p. 20)。以下に掲げるテキストはANTIPHONALE MONASTICUM (1934) のそれだが,第6節までとの統一を図るため,行頭であるというだけで大文字になっていると考えられるものは小文字に直す。
Gloria Patri Domino,
主なる御父に栄光[あれ],
● LIBER USUALISでは "Deo Patri sit gloria (父なる神に栄光あれ)"。
Natoque, qui a mortuis
surrexit, ac Paraclito,
死者たちの中から復活なさった「生まれた方」にも,助け主 (弁護者,慰め主) にも[栄光あれ],
●「生まれた方」とは子なる神,つまりイエス・キリストのこと。
● LIBER USUALISでは "Natoque" が "Et Filio (御子にも)" となっている。
in saeculorum saecula. Amen.
永遠に。アーメン。
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