入祭唱 "Omnes gentes plaudite manibus" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ60)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 297; GRADUALE NOVUM I pp. 276–277.
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【教会の典礼における使用機会】
第2バチカン公会議後の典礼改革当初の規定 (1970年。GRADUALE ROMANUM [1974] / GRADUALE TRIPLEXおよびGRADUALE NOVUMはこれに従っている) では,年間第13週に割り当てられている。典礼暦関係なしに,「諸々の民の福音化のためのミサ」で用いることができる入祭唱の一つとしても指定されている。
最新版 (2002年版) のミサ典書では,復活節第7週 (昇天祭と聖霊降臨祭との間に位置する) の水曜日と年間第13主日とに割り当てられている。「諸々の民の福音化のためのミサ」用の入祭唱としては載っていない。
旧典礼 (=現行「特別形式」のローマ典礼。1962年版ミサ典書に基づく) では,「聖霊降臨後第7主日」(およびそれに続く週) に歌われる。
古くはさらに「公現後第4主日」や「主の昇天のvigilia (前晩/前日)」(特に後者) にこの入祭唱を用いる地域もあったことが,9世紀や10世紀の聖歌書を見ると分かる (なお,探すのに少し手間取ったのでメモしておく:Laon 239では,この入祭唱が完全な形で記されているのは「主の昇天のvigilia」のところである)。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Omnes gentes plaudite manibus : iubilate Deo in voce exsultationis.
Ps. [9世紀の聖歌書の一部,現代の聖歌書] Quoniam Dominus excelsus, terribilis : Rex magnus super omnem terram.
Ps. [9世紀の聖歌書の一部,Laon 239,Einsiedeln 121] Subiecit populos [nobis : et gentes sub pedibus nostris.]
【アンティフォナ】すべての (異邦の) 民よ,手を打ち鳴らせ。神に向かって歓呼せよ,跳び上がらんばかりの喜びの声で。
【詩篇唱 (9世紀の聖歌書の一部,現代の聖歌書)】主は至高にして恐るべき方,全地に君臨なさる大いなる王でいらっしゃるのだから。
【詩篇唱 (9世紀の聖歌書の一部,Laon 239,Einsiedeln 121)】彼は諸々の民を〔私たちの下にお置きになり,諸々の (異邦の) 民を私たちの足下に[お置きになった]。〕
アンティフォナの出典は詩篇第46 (一般的な聖書では47) 篇第2節であり,テキストはローマ詩篇書 (Psalterium Romanum) ともVulgata=ガリア詩篇書 (Psalterium Gallicanum) とも完全に一致する (これらの詩篇書についての解説はこちら)。
GRADUALE ROMANUM/TRIPLEXやGRADUALE NOVUMに載っている詩篇唱はアンティフォナの続き,すなわち詩篇第46 (47) 編第3節であり,テキストはVulgata=ガリア詩篇書に一致する。しかし9~10世紀の聖歌書を見ると,詩篇唱のところに "Subiecit populos" と記されていることが多く (Laon 239,Einsiedeln 121はいずれもそう),これは第3節ではなく第4節が歌われるべきことを示している。これらの写本には冒頭の1,2語しか記されておらず,上に記したそれ以降の部分はVulgata=ガリア詩篇書によって補ったものである。
【対訳】
【アンティフォナ】
Omnes gentes plaudite manibus :
すべての (異邦の) 民よ,手を打ち鳴らせ。
iubilate Deo in voce exsultationis.
歓呼せよ,神に向かって,跳び上がらんばかりの喜びの声で。
【詩篇唱 (9世紀の聖歌書の一部,現代の聖歌書)】
Quoniam Dominus excelsus, terribilis :
なぜなら,(あなたがたも知っているように) 主は至高であり恐るべき方であり,
別訳:(……) 至高の主は恐るべき方であり,
別訳:(……) 至高者である主は恐るべき方であり,
別訳:(……) 至高にして恐るべき主は,
● 動詞がなく,このような場合は英語でいうbe動詞を補って考える。それは確かなのだが,どこまでが主語でどこからが述語なのかがはっきりしない。私の感覚では,「主」に修飾語がつくことはめったにない (「わが」と「万軍の」とを除けば) と思うので,別訳として掲げた3つはどれも違和感がある。私の思い込みにすぎないかもしれないが。
●「(あなたがたも知っているように)」は "quoniam" のもつニュアンスゆえに記した。
●「恐るべき」という形容については,逐語訳のところにつけた解説もお読みいただきたい。
Rex magnus super omnem terram.
全地に君臨する大いなる王なのだ。
● 主語は前の部分にある「主」。
【詩篇唱 (9世紀の聖歌書の一部,Laon 239,Einsiedeln 121)】
Subiecit populos [nobis : et gentes sub pedibus nostris.]
彼は諸々の民を〔私たちの下にお置きになり,諸々の (異邦の) 民を私たちの足下に[お置きになった]。〕
●「彼」は本来直前の節 (第3節) の「主 (Dominus)」を指すが,第3節を歌わず,アンティフォナに続けて直ちにこの節 (第4節) を歌う場合「神 (Deo)」を指すことになる。もちろん結局同じことではあるが。
【逐語訳】
【アンティフォナ】
omnes すべての
● 本稿投稿日現在,gregorien.infoには「主格」とあるが,呼格である。
gentes (異邦の) 民よ (複数),諸民族よ
● 聖書では,この "gentes (<gens)" は神の民イスラエル (ユダヤ人) 以外の人々 (異邦人) という含みをもつ語。
● 本稿投稿日現在,gregorien.infoには「対格」とあるが,呼格である。
plaudite 拍手せよ,打ち鳴らせ (動詞plaudo, plaudereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
manibus 手でもって (複数・奪格)
iubilate 歓呼せよ (動詞iubilo, iubilareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
Deo 神に
● 本稿投稿日現在,gregorien.infoには「奪格」とあるが,与格である。
in ~で (道具・手段)
voce 声 (奪格)
exsultationis 跳び上がらんばかりの喜びの,歓呼の
● 直前の "voce" にかかる。
● 本稿投稿日現在,gregorien.infoには「奪格」とあるが,属格である。
【詩篇唱 (9世紀の聖歌書の一部,現代の聖歌書)】
quoniam なぜなら (あなた[がた]も知っているように,一般に知られているように) ~だから
Dominus 主が
excelsus 至高である (形容詞)
terribilis 恐ろしい,恐るべきものである (形容詞)
● Septuaginta Deutsch (七十人訳ギリシャ語聖書のドイツ語訳) の註によると,「この形容詞は詩篇において,常に,支配者あるいは王としての神を形容するのに用いられ,[……] しばしば『強い権力を持つ (mächtig)』と同義である」(p. 798)。
Rex 王
magnus 大きな,偉大な
● 直前の "Rex" にかかる。
super ~の上の
omnem 全部の (形容詞)
terram 地 (対格)
【詩篇唱 (9世紀の聖歌書の一部,Laon 239,Einsiedeln 121)】
subiecit 彼が~の下に投げた/置いた (動詞subicio, subicereの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
● 今回,"~" のところに入るのは2つ後の "nobis"。
populos 民を (複数)
nobis 私たち (与格)
et (英:and)
gentes (異邦の) 民を (複数),諸民族を
sub ~の下に
pedibus 足 (複数・奪格)
● 本来は対格がくるべきところだが,奪格が用いられている。
nostris 私たちの
● 直前の "pedibus" にかかる。