拝領唱 "Oportet te fili gaudere" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ125)
Graduale Romanum (1974) / Graduale Triplex, p. 95 (これら2冊の内容は四線譜の上下のネウマの有無を除けば基本的に同じなので,本文中で言及するときは,煩雑を避けるため原則として後者のみ記す).
Graduale Novum I, p. 88.
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2025年2月22日 (日本時間23日)
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【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版Ordo Cantus Missae (Graduale Triplexはだいたいこれに従っている) では,次の機会に今回の拝領唱が用いられることになっている。
四旬節第2週の土曜日。
四旬節第4主日 (放蕩息子のたとえ話が朗読される場合)。
2002年版ローマ・ミサ典礼書 (Missale Romanum) でも同様である (PDFをGoogle Chromeで開き,"Oportet te”, “frater tuus” をそれぞれキーワードとするページ内検索をかけて見つけることができた限りでは)。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ローマ・ミサ典礼書 (Missale Romanum) では,PDF内で上記同様に検索をかけて見つけることができた限りでは,今回の拝領唱は四旬節第2週の土曜日 (表記は「四旬節第2主日後の土曜日」) のみに置かれている。
AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でも同様である (AMS第52欄)。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Oportet te fili gaudere, quia frater tuus mortuus fuerat, et revixit; perierat, et inventus est.
おまえは喜ばないといけないよ,息子よ。おまえの弟が死んでいたのに生き返り,いなくなっていたのに見つかったのだから。
放蕩息子のたとえ話 (ルカによる福音書第15章第11–32節) の終わり,放蕩息子 (次男) が帰ってきたというので父親が祝宴を開いたとき,ずっと真面目にやってきた長男はそれを見て,父親に対して次のように不満を述べる。
このとおり,私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに,私が友達と宴会をするために,子山羊1匹すらくれなかったではありませんか。ところが,あなたのあの息子が,娼婦どもと一緒にあなたの身代を食い潰して帰って来ると,肥えた子牛を屠っておやりになる。
それに対し,父親はこう答える。
子よ,お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。だが,お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。喜び祝うのは当然ではないか。
今回の拝領唱は,この父親の言葉をもとにしている。
Vulgata (ドイツ聖書協会2007年第5版) の対応箇所 (ルカ15:32) は次の通り。
epulari autem et gaudere oportebat
quia frater tuus hic mortuus erat et revixit
perierat et inventus est
しかし,ごちそうを食べ喜ぶのは当然だった,
このおまえの兄弟が死んでいたのに生き返り,
いなくなっていたのに見つかったのだから。
ここでは既に行われていた祝宴を念頭に「喜ぶのは当然だった」と言われているだけなのだが (なお「当然だった oportebat」は未完了過去時制で,これは原文のギリシャ語でも同様である),再び拝領唱のテキストを見てみると少し話が変わっている。「喜ぶ (gaudere)」べき主体が「おまえ (te)」すなわち長男になっているのである (それに伴い,動詞は「当然である oportet」と現在時制に変えられている)。つまり,父親が喜んで祝宴を開いたのは当然だというだけでなく, 「おまえも (怒っていないで) 喜べ」と言われているのである。
【対訳・逐語訳】
Oportet te fili gaudere,
訳1:おまえは喜ばないといけない,息子よ,
訳2:おまえは喜ぶのが当然だ,息子よ,
訳3:おまえは喜ぶのがふさわしい,息子よ,
oportet ~するのが当然である,~するのがふさわしい,~するのが理に適っている,~することが必要だ,~すべきだ,~しなければならない (非人称動詞oportet, oportereの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形) ……「~」のところにくるものは動詞の不定法で示される (今回は3語あとの “gaudere”)。さらに「誰が」そうするのが当然である/ふさわしい/etc. のかが名詞の対格形で示されることがあり,今回もそうである (直後の “te”)。
te おまえが (対格) ……すぐ上の “oportet” の説明をお読みいただきたい。”gaudere (喜ぶ)” の主体を示している。
fili 息子よ
gaudere 喜ぶ (動詞gaudeo, gaudereの不定法・能動態・現在時制の形)
quia frater tuus mortuus fuerat, et revixit;
おまえの兄弟が死んでいたのに生き返ったのだから。
quia なぜなら~から (英:because, for)
frater tuus おまえの兄弟が (frater:兄弟が,tuus:おまえの)
mortuus 死んで (英:dead) (形容詞)
fuerat (英:had been) (動詞sum, esse [英語でいうbe動詞] の直説法・能動態・過去完了時制・3人称・単数の形) ……「生き返った (revixit)」という過去のことよりさらに前のことを述べるため,過去完了時制が用いられている。
et (英:and)
revixit 生き返った (動詞revivo, revivereの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
perierat, et inventus est.
(おまえの兄弟が) いなくなっていたのに見つかった (のだから)。
perierat (彼が) 消えていた (動詞pereo, perireの直説法・能動態・過去完了時制・3人称・単数の形) ……不規則動詞。過去完了時制が用いられているのは前の “fuerat” と同じ理由。
et (英:and)
inventus est 発見された (動詞invenio, invenireの直説法・受動態・完了時制・3人称・単数の形) ……分解すると,”inventus” はこの動詞をもとにした完了受動分詞 (男性・単数・主格の形),”est” は動詞sum, esse (英語でいうbe動詞) の直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形である。ラテン語における受動態・完了時制は,このように「完了受動分詞 + sum, esseの現在時制」で表す。
接続詞 “quia” がまだ効いていると考えるべきところ。