【31歳からのアート思考】大人でも学べる、アート思考の身に付け方。
「アート思考は、誰もが身に付けることができる。」
さて、先日のNoteではアート思考とは何か??
を書かせていだきました。
“美術館によく通うから、アート思考はある方だと思う。”
と、考えるのは早計です。
そこで、本日は、
いかに、アート思考を身に付けるか。
について本日も、末永幸歩氏の『13歳からのアート思考』に基づいて、読者の皆さんと考えていきたいと思います。
■美術館に行く≠アート思考。
さて読者の皆さんは、美術館に行ったことがあるだろうか。
先日のnoteにも書いたように僕は行ったことがある。
東京国立近代美術館
キラーンっ、ふふふ。
別に、どやることではないが。
10年ほど前、僕は東京国立美術館に足を踏みいれた。
「ふむふむ、なるほど。今は眠り展を開催していて、ゴヤやルーベンスの作品が展示されているのか。」
周囲の鑑賞客を見渡しながら、
「ふふ、さすがに。自分ほどの年齢の人はいないな。」
などど、優越感に浸りながら、ゴヤの作品の前で足を止める。
(抜粋)Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典《理性の眠りは怪物を生む》https://www.artpedia.asia/the-sleep-of-reason-produces-monsters/
「おお、これが有名な《理性の眠りは怪物を生む》か。」
何々、解説を見ると、
“ゴヤは宮廷画家と並行して、1790年代から自身の中に眠っている個人的な悪夢を描き始めるようになる。そうして制作されたのが『ロス・カプリチョス』である。ゴヤの悪夢はスペイン社会に対する個人的見解を示しており、本作に描かれているコウモリやフクロウは「無知」や「愚行」を象徴するものである。”(抜粋)同上
なるほど、確かに。まるで愚行を犯し続けた、人間のなれ果て。
のような絵だな。
ここに描かれている絵の人物は、酒でも飲みすぎたのだろう。
1793年にゴヤは、聴覚を失っている。
病気に苦しんでいった彼が描いた作品だから、きっとこの作品も薄暗いのだろう。
これが、スペイン社会の腐敗を描いた作品か。。
と、考え終えたところで、僕は次の作品に向かっていった。
なんていう美術鑑賞だけでは、
アート思考は、身に付かない。
なぜなら、
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す。
というステップを踏んでないからです。
😢
■アート思考=作品との対話。
だいたい、美術館に行き、作品を前にすると、
5秒も作品を見ることなく、即座に解説にを目を移してないだろうか。
“「鑑賞」のためというよりも、作品と実物を照らし合わせる「確認作業」のために、美術館に行っていたようなものです”
残念ながら、それではアート思考は身に付かない。
アート思考、つまり鑑賞とは、
作品との対話の中で、身に付けられていく思考である。
そして対話には、二つのアプローチがある。
①背景とのやり取り。
②作品とのやり取り。
である。
①背景とのやり取りは、その作品の時代背景や作者の意図。
先日紹介した、『アビニヨンの娘たち』の作者の意図は、
遠近法、もしくは一点の覚による描写が、本当にリアルを表現しているのか?
という問いかけでした。
これは、冒頭でゴヤの絵を鑑賞した僕も、50点程度はできていたでしょう。
では、②作品とのやりとり
とは、どんな対話なのでしょうか。
それは、アーティストと完全に独立した作品と鑑賞者の対話です。
例えば、こちらの絵を観てください。
カンディンスキーの『コンボジションⅦ』です。
(抜粋)ネット美術館「アートまとめん」コンポジション7』 ワシリー・カンディンスキー
僕は、本書の中で最もこの作品を、
「好きだわ。」
と、感じました。作品との対話では、
好きや惹かれるという感覚や感情を更に掘り下げていきます。
1⃣どこからそう思う。-主観的に感じた「意見」の根拠となる事実を問う。-
2⃣そこからどう思う。-作品内の「事実」から主観的に感じた「意見」を問う。-
この問答をひたすら繰り返していきます。
以下は、実際の僕の作品との対話です。
好きだと思う→色使いが明るい、色合いが鮮やか。
色合いが鮮やか→何かの祝祭や祭りのよう。
祝祭、祭り→何か爆発しているような、モクモクとした絵が描かれている。
モクモク→何かが、生誕、生まれた落ちた瞬間の祝祭。
生誕→この作品は、何かが生まれた時、それを祝う空気を描いている?
この作品は“空気“や”雰囲気”に色合いを付けたものではないだろうか。
というのが、僕がこの作品と対話をしながら、考えたことでした。
これが、まさにアート思考。
偉そうなことは言えませんが、
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す。
という、アート思考に近い思考プロセスを踏んでいたと思います。
当然、時代背景や作者の意図を解説を見ながら作品と対話するのも大事です。
一方で、アート思考を身に付けるためには、解説(作者の意図や背景)から目を離し、じっくり腰を据えて、作品と対話することが大切です。
美術鑑賞だと、
難しい、、、
ついつい解説を見てしまう。
と、考えがちですが、本来的に、僕たちはその力があるはずです。
🤭
■音楽を聴く時に、人はアーティストから独立している。
音楽も立派なアート(作品)と言えます。
実は、僕たちは音楽を聴く時は、作品から独立して自然と作品とのやりとりをしています。
みなさんが、好きな音楽を何ですか??
好きな音楽をイメージしてください。
なぜ、その音楽が好きなのでしょうか??
すると、その音楽と共に自分の記憶が呼び起こされないでしょうか。
好きな人と過ごした日々。
学生時代に、ガムシャラになった部活動。
一人で、初めて外国の地に足を踏み入れた日。
そんな、あなた独自の想い出が残るのは、音楽とあなたが作品のやりとりをしているからです。
ちなみに僕は、Linkin Park 「Shadow of the day」です。
この曲聞くと、高校時代の部活にひたすら打ち込み、努力し、
それでも敗れた過去を思い出します。
なぜか、僕をせつなく、でも懐かしい気持ちにしてくれます。
そんな僕の気持ちと同様に、あなたがその音楽が好きなのは、
完全にアーティストとは、独立して存在する。
作品とあなた自身のやりとり(対話)の中にあるはです。
そして、その音楽をあなたがどう解釈していようが、良いはずです。
Linkin ParkのShadow of the dayは、非常に暗い気持ちを歌った曲です。
しかし、僕は挫折した日々と同時に、そこからまた日が昇るような気持ちをこの曲から感じます。
そして、その解釈は、誰にも邪魔されないものであり、自由です。
何も恥ずかしさなど感じない。
でも、これが美術品、絵画になると急に崩れてしまう。
時代背景や、作者の意図、●●主義などをわかってないと、
何もわかってないかのように感じてしまう。
そんな恥ずかしさから、自らを解放しましょう。
知識ゼロの状態も良い。
大事なのはあなたと作品の対話であり、あなたの作品に対する解釈です。
😉
■まとめ
さてさて、本日は読者のみなさんと一緒に、
アート思考の身に付け方
について考えてきました。
結論、アート思考を身に付ける方法とは、
作品との対話の中で、自分なりの解釈を見出す。
ことです。
作品を鑑賞するということは、
①背景とのやり取り。
②作品とのやり取り。
という2つのアプローチがありますが、①だけではなく②が大切です。
解説文、事前知識ゼロでも良いので、
その作品の前に立ち尽くし、感じたこと、考えたこの問答を作品と共に繰り返す。
1⃣どこからそう思う。
2⃣そこからどう思う。
この対話を作品と共に続けることで、
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す。
アート思考が身に付きます。
そして、このような作品とのやりとりは本来的に、
音楽を聴く時には、ごく普通に行っています。
しかし、それが美術品となった瞬間に、
僕たちは作者の意図や作品の意義という“正解”を無意識のうちに求めています。
アート思考を身に付けるためには、
音楽を聴くように、絵画との対話を繰り返すことが大切です。
それが、決して正解でないとしても、
あなた自身が、あなたなりの解釈を作品に対して持つことに最も価値があります。
もし、あなたがこれから美術館を訪れる際は、
解説文から目を上げ、作品との対話を始めてみてはいかがでしょうか。
最後に、20世紀最大の衝撃作『泉』のアーティスである、デュシャンの言葉を贈ります。
“作品は、アーティストだけによって作られるものではない、見る人の解釈が、作品を新しい世界に日遂げてくれる”(マルセル・デュシャン)
ではでは、本日はここまでです。
また、明日のNoteでお逢いしましょう。
P.S ちなみに、カンディンスキーの『コンボジションⅦ』で表現したものは、クラシック音楽です。『コンボジションⅦ』は、初めて視覚に映る、想像される以外のモノを描いた革命的作品でした。そして、この作品もカンデンスキーがモネの『積みわら』を鑑賞した時に、自分なりのアート思考で生み出されたものです。
アート思考は、奥が深いですね。
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