『13歳からのアート思考』なぜ、今”アート思考”が求められるのか。
私は捜し求めない。
見出すのだ。
- パブロ・ピカソ -
アート思考。
最近、巷のニュースや記事でそんな言葉をよく見かける。
今こそ、アート思考だ。
教育にもっとアート(美術)の学習を取り入れるべきだ。
という声は大きい。
とはいうものの、断片的なニュースや記事を見ているだけでは、
アート思考とは何か。
なぜ、アート思考が必要なのか。
を理解するのは難しい。
そこで今日は、末永幸歩氏の『13才からのアート思考』の力を借りながら、
“アート思考とは何か、なぜ今アート思考が必要なのか”
そんなことを読者のみなさんと一緒に考えていきたい。
■アートのセンス、ゼロ世代。
僕の、中学以降の美術の評価は最低だった。
というより、
美術の科目自体はあったはずなのだが、正直何をやったのか、記憶にない。
音楽と美術の選択だったような気もする。
というわけで、
僕のアートにおける教育は、小学校の図工の記憶でストップしている。
それも決して褒められたモノではなかった。
版画や絵画、工作などいろいろやったものの好きだと思える科目ではなかった。
お世辞にも、僕のアートのセンスはあるとは言えなかった。
そして、20代になり、社会人になり、周りでチラホラ休みの日に、
美術館に行く。
と言う高尚な趣味を嗜む、友人が現れ始めた。
「えっ、趣味が芸術鑑賞とか。超カッコいい。」
と、短絡的な憧れをいただいた僕は、
東京国立近代美術館や、
2012年に渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催された、フェルメールからのラブレター展
に足を運んだ。
今でも、印象に残っているのは、
残念ながら、何一つない。
美術館に行ったこと自体の記憶にはあるが、何の絵があり、そして観たのか。全く記憶にない。
約10年前の僕は、美術館に行ったという意味の無い満足感を得ただけで、
アート思考も得ることも、アートを趣味にすることもなく、この10年が過ぎていった。
アート思考に関するニュースや、記事を見ながら表面的にアート思考が大事であることを、理解していながら、自分には一切ない。
アート思考を学びたい、身に付けたい。
そんな思いを持つ人は僕だけではないはずだ。
そんな悩みを持つ皆さんに伝えたい。
アート思考とは、僕でも読者のあなたでも身に付けることができる。なぜなら、
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す。
この思考プロセスこそが、アート思考だらかだ。
🤔
■ピカソの《アビニヨンの娘たち》から、アート思考を考える。
では、早速だが実験的に巨匠ピカソの《アヴィニョンの娘たち》から
アートというものを考えてみよう。
(抜粋)西洋絵画美術館HP:作品解説「アヴィニョンの娘たち」
http://www.artmuseum.jpn.org/mu_avinyon.html
さて、解説などは一切抜きにしてこの絵を観て欲しい。
次に、何を感じ、なぜそう感じたかを書きだしてみよう。
書き出せただろうか。
そして、この質問を考えて欲しい。
「この絵画をリアルだと感じるか?」
そして、その理由を考えてみよう。ちなみに、僕がこの絵を観ながら書き出したことは、
骨格がおかしい。
人の体なのに角々しい。
体と顔の向きがいびつ。
体の色が不自然、カーテンと重なっている。
女性なのに、男らしい。
みたいなことだ、こんなチープな内容でもOK。(笑
正解はないので、まずは書き出してみる。おそらく、多くの読者が、
「リアルとは、程遠い。」
そして、
「なぜ、これがアートなのかわからない。」
と、感じられたのではないだろうか。
そう実は、それがピカソの狙い。本作品は、
「遠近法こそが、リアルな絵を描くための唯一無二の方法だ」と信じ切っている。
私たちの常識的なリアル(現実)の見方に対する、アンチテーゼなのです。
😏
■視覚だけが、本当のリアルなのか??
人間の視覚がどれだけ頼りないものなのか。
下記、写真を見てみてください。
(抜粋)ツェルナー錯視
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/zollner.html
どう見ても斜めに見えますよね。
しかし、ご想像の通り全て直線です。
実は、それくらい人間の視覚とはだまされやすく、頼りないものなのです。
“私たちの視覚には、こうした「歪み」が相当含まれているのです。”
そんな歪みを含む視覚という一点の感覚に基づいた描写を僕たちは“遠近法“という手法によって描きます。
遠近法とは、“2次元平面であるキャンパスの上に、3次元空間を描き出す技法です。
もちろん、映像や写真にも遠近法が使われています。ピカソの《アヴィニョンの娘たち》は、
「『一つの視点から人間の視覚だけを使ってみた世界』こそがリアルだ」という遠近法の前提に対する挑戦です。
そういう視点でもう一度、こちらの作品を見てみましょう。
例えば、右下で腰をついている女性は、
背中は、後ろからの視点で捉えられている?
鼻は、角ばっているから横向きの視点で見ている?
背中の半分の色が違うのは、後ろと横からの視点で色合いを変えている??
というように、考えることができるかもしれません。
一つの視点ではなく、多視点でリアル(現実)を再構成し直した。
というのが、この作品の訴えになります。
ピカソは次のような言葉を残しているそうです。
「リアリティ―は、君がどのように物を見るかの中にある。」
では、もう一度聞きます。
遠近法で描かれた絵
と、
ピカソの《アビニヨンの娘たち》、
どちらがリアルですか??
もし、先ほどまで本作品を“リアルには、程遠い”と答えたあなたが、
答えに窮するのであれば、
本作品が、既にあなたの常識を揺さぶった。
そこに、この作品の本質的な価値があるわけです。
🤭
■アート思考とは、何か。
では、ピカソの具体例から、アート思考とは何か考えてみましょう。
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す。
が、本書で述べられているアート思考です。
であるならば、ピカソが実践したのは、
①ピカソだけの見方で、“リアル(現実)”を見つめ、
②遠近法だけが、リアルではないという答えを生み出し、
③多様な視点を再構成することの方が、リアルになり得るのではないか。
というのが、ピカソなりのアート思考と言えます。
本書で、筆者の末永幸歩氏はアート思考を3つ要素に例えています。
①表現の花(作品)
②興味のタネ(興味、好奇心、疑問)
③探求の根(探求の過程)
タンポポをイメージした時の、花が作品、興味のタネが茎、根が探求の過程です。
植物において生きるために根が一番大事なように、アート思考において最も大事なのが、探求の過程です。
“アートの活動を突き動かすのは、あくまでも「自分自身」なのです。”
“「アートという植物」は、地上の流行・批評・環境変化などを全く気にかけません。それらとは無関係のところで、「地下世界の冒険」に夢中になっています”
中でも、一番端的にアート思考を表現している文章がこちら、
“「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探求をし続けること」”
だからこそ、ピカソはアーティストでありえたし、
ぼくらも、アーティストでありえるわけです。
■まとめ、「なぜアート思考が、今求められるのか。」
さて、本日は末永幸歩氏の『13才からのアート思考』より、
“アート思考とは何か“
について考えてきました。
ピカソの例からもわかるように、アート思考とは、
「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分のなりの探求をし続けること」
です。
ピカソは、自分の見方で世界の“リアル(現実)”を捉えなおし、
遠近法、1点の視覚に依存して描かれたモノだけが“リアル(現実)”ではない、
という新しい問いを、作品を通じて表現しました。
なぜ、このアート思考が今の時代に求められているのかというと、
テクノロジーの発展により、今まで以上に不確実で不安定な世界に突入したからです。
僕たち人類は、正解のない時代に突入しています。正解なんてコロコロ変わる。だからこそ、
自分で考え、自分なりに、答えと新しい問いを導ける。
そんなアート思考が、今の時代に求められています。
それは、ビジネスにおいても、研究においても、人生においても大切です。
例えば、みなさんが尊敬する人って、
同じ現実や事象を見ているのに、他の人(常識)とは違った視点でモノゴトを捉え、
問いを立て、自分なりの答えを導き、仮説と検証を高速で回す人。
だったりしませんか??
それこそが、アート思考です。
誰かが期待するレールに沿って、誰かの人生を歩んでいくのか。
自分なりの見方で世界、そして人生を見据え、自分の人生を歩むのか。
あなたが、もし真のアーティストなら、
答えは、既に出ているはずです。
最後に、ピカソの名言を贈ります。
子供は誰でも芸術家だ。
問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
- パブロ・ピカソ -
ではでは、本日はここまでです。
また、明日のnoteでお逢いしましょう。
P.S 明日は、アート思考をいかに獲得していくのか。アート思考の実践編です!
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