見出し画像

世界から私が消えたなら


私は、昔からニュースを見るのが苦手だ。

だから、ニュースが始まると
ついついチャンネルを変えてしまう。

毎日色んな事故や事件が起きている。
コロナで亡くなった人もいる。

画像1


自分と同じように
毎日を生きていた人が、

当たり前のように明日が来ると思っていた人が、
何の前触れもなく、急に人生を強制終了させられるなんて。

これってどんな気持ちなんだろう、、
本当に想像ができない。


そして何よりも腑に落ちないのは、

淡々と原稿が読まれたあとの、
「次のニュースです」というフレーズ。

そんな言葉で片付けられるような人生なんて
どこにも存在しないのに。


もし私が、急に人生を強制終了させられるようなことがあったとして、
それが、めざましテレビとかおはよう朝日ですとかでニュースに取り上げられたとして。

アナウンサーに原稿を淡々と読まれたあと、
「次のニュースです」とか
「続いては〇〇のコーナーです」とか言われて
終わる。

例えばその「次のコーナー」が芸能ニュースだったとして
誰々の熱愛報道とか、そんなことでスタジオが
盛り上がってたりしたらもう、、、

「いやいやいや、私の人生終わってんで?
そんな、熱愛報道とか言うてる場合ちゃうやろ、、井上公造さんよ、、」

と、空の上から叫びたくなると思う。

だけどこれが現実なんだと思う。
誰かの人生が終わってしまっても、世界は変わらずに回り続ける。


命って、何てあっけないんだろう。

ニュースを見てると、そんな現実を突き付けられるようで、いたたまれなくなる。

あの志村けんさんが亡くなったことでさえ、
みんなどこか忘れて毎日を生きている。

日本を代表する芸能人でさえ、数ヶ月経っただけで記憶から薄れてしまう。

じゃあ私がいなくなったらどうなるのだろうか。考えるのも嫌になっちゃうね。

画像8


私がこの世界からいなくなってしまっても、
こんな風に世界は何も変わらずに回り続けるってことか。

身近な人は悲しんでくれると思うけど、
きっと時間が経てば、忘れられてしまう。

なんだか、、叫びたくなるね。


この映画の登場人物も、私と同じような気持ちを抱えて、叫んでいた。

画像3


この映画を初めて観たとき
自分でも信じられないほど号泣してしまった。


なぜなら、私が普段から抱えていたこんな気持ちを、包み込んで癒してくれるような内容だったから。


一人で映画館で観て、エンドロールが終わった後も涙が止まらなくて
しばらく席を立つことができなかった。

画像4

「世界から猫が消えたなら」


明日が来るのが当たり前だと思っていた主人公の青年が、ある日突然倒れ、脳腫瘍でもう長く生きられないことを医師から告げられる。

絶望して家に帰ると、そこには自分と同じ姿形をした人間(自称:悪魔)が座っていた。
そして、

・明日、君は死ぬことになっている
・ただし、世界からひとつ何かを消す代わりに
    寿命を一日延ばすことができる

と言われるのです。まだ死にたくない主人公は、その提案を受け入れる。


そこから「電話」「映画」「時計」
寿命を一日延ばす代わりに、世界からひとつずつ、あらゆるものが消えていく。

そして何かを消すということは、それを通じて
出会った人との思い出も関係も全部消えてしまうのです。


間違い電話がキッカケで出会った元カノや
映画好き同士で知り合った親友との思い出も消えてしまう。

つまり出会っていないことになってしまう。


そこで主人公は気付くのです。

世界は、些細なことに見えて
とても大切なもので溢れてたんだということを。


私も思い返してみれば、大切な人達との出会いって結構些細なことがきっかけだったりする。


学生時代の友達も、出席番号が近い後ろの席の
女の子に、私が勇気出して声を掛けなければ友達になることはなかった。

SNSで知り合ったカメラ友達も、誰かの投稿に
コメントしたことがきっかけで仲良くなったり、
誘ってもらった撮影会に参加したことで親友だと思える人とも出会えた。

どれも全部些細なこと。それが人生を大きく変えたりする。
些細なことこそが、本当に大切なものなのかもしれない。

画像5

確かに、命って終わるときは本当にあっけないんだと思う。

自分がこの世界から消えたとしても、
変わらず朝は来て世界は回っていくんだろうけど、

自分がいたからこそ生まれた交流とか、
人間関係とか、ストーリーは誰にも必ずある訳で

それがどんなに小さなことだったとしても、
その差こそが、自分が生きた証。


有名人にならなくても、偉業を成し遂げなくても
ただ、存在してることだけで誰かに影響を与えているし、逆に影響も受けてるし、


もう、それだけで充分なんだよなぁ。
充分、尊くて愛おしくて、素敵なことなんだよなぁ。

画像6

たぶん生きるってそういうことなのかもしれない。


普通、誰かが亡くなる映画は悲しい終わり方が
多いけれど
この映画は、主人公が亡くなる話なのに
最後は、希望が湧き上がってくるから不思議だ。


それはきっと、「死」を見つめることで「生」が輝くからだと思う。

例えば、自分があと3日で死ぬとして
最後に会いたいと思う人は誰なのか。そこで思い浮かんだ人達が本当に大切にしたい人なんだと思う。

日々に流されて、自分が本当に大切にしたいことを見失いたくないなぁ。
映画を観て、そんなことも感じた。

画像7

画像9

画像10


この世界から私が消えたなら、きっと身近な人は悲しんでくれると思う。
だけど時間が経てば忘れられてしまうと思う。

でも、自分がいた世界といなくなった世界では
何かが変わると信じたい。


ふとした瞬間に、私とした会話を思い出して、
ふふっと電車の中で思い出し笑いしてくれたり
私がオススメした映画を観て、頑張ろうって思ってくれたり

画像11

誰かと居酒屋で飲んで、終電で帰っている途中で窓の外を眺めながら

そういえば、かしえりともトリキで飲んだなぁ…
って思い出して、温かい気持ちになってもらえたり


それだけで充分なのかもしれない。それこそが、私が生きた証なのだから。

画像8





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集