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コロナ禍でお世話になった文学館
高校まで通ったことのある人なら誰しもが一度は聞いたことのある名前、太宰治。彼は1948年の心中自殺によって40歳という若さで亡くなったことは有名です。
そんな太宰の師匠が誰だったかをみなさんはご存知でしょうか。
太宰治の有名な小説「走れメロス」や「富嶽百景」と同じように、国語の教科書に載っている小説「山椒魚」の作者である、井伏鱒二です。あまり聞きなじみがない人もいるかもしれません。弟子の方が有名すぎる小説家 井伏鱒二の研究を、私は大学と大学院の6年間で行ってきました。
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この記事を書くに至った経緯のために、自分語りすることを許してください。
今から5年前。私が大学院修士課程の1年次の冬、1月後半のことでした。今となっては過剰なほどに騒がれていた新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威が日本のみならず、世界を襲い始めました。
次年度に修士論文の提出が迫っていたのですが、私の研究の進捗は芳しいものではありませんでした。しかし、図書館や研究会、地方の文学館は開かれておらず、機能不全同然だったのです。私の焦りも虚しく、自分の手元にある資料や書籍を眺めることしかできない日々が続いていたある日のことです。私は、井伏鱒二の生家がある広島県福山市に「ふくやま文学館」があることを思い出したのです。しかし、それまで一度も訪れたことはなく、あくまでも情報として知っているだけでした。
ただ、現地を訪れることが叶わない状況でもありました。そこで、とにかくホームページを見て、一つでも情報を拾わなければと思い、調べることにしました。
すると、「出版物」というページがあり、そこにアクセスすると「ふくやま文学館所蔵資料シリーズ」という、この文学館が所蔵している資料に、専門の研究者の解説がついている本が売っていました。しかも、郵送での注文も受け付けているとのこと。
私がこれを見つけた瞬間に、井伏鱒二に関する資料が9件すでに刊行されていることを確認しました。ただ、当時の私は本当に失礼な奴で、お問い合わせフォームで「井伏鱒二に関する資料を全て送ってください」と、具体的に書いたいものを指定せずに注文をかけたのです。
そんな不躾で粗暴な注文にも、文学館の担当者の方は丁寧に対応してくださいました。しかも、これから刊行予定の資料があることを教えてくださいました。もちろん、そちらも購入しました。
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私は手元に届いた資料を読み漁りました。大学院まで進学して専門的に研究していた作家についてほとんど何も知らなかったと恥ずかしくなるほど、資料には情報が簡潔に網羅されていました。
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当時、私は国語の教科書に載っている太宰治の「富嶽百景」の教育論文を執筆して査読に送ったばかりでした。井伏と太宰の交流に関する資料の写真や原文の引用を見て、もっと早く見たかったと後悔しました。
高校で国語を担当する人は一冊持っていた方が授業で話せる話題や、生徒たちに見せられる資料が増えると思います。
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私は手元に全集を持っていました。最後の索引から他の小説家や文学者たちの情報を調べ、修士論文で研究する対象を決定、主題も設定して何とか提出に至りました。
5年もこの記事を書かなかったのには、私が研究から離れたり、心身ともに病んでしまったりした期間があったからです。それでも、2023年の1年間を心の回復に努め、2024年から再び趣味の範囲内で研究に復帰することができました。そして、自宅の資料を整理し、お金が貯まったらお世話になった文学館を回ろうと考えていたところに、この資料が出てきたのです。当時対応してくださった方がまだ文学館で勤務されているかは分かりません。しかし、今年中には一度顔を出し、直接お礼に伺おうと考えています。
コロナ禍という、突如として世界の行末に暗い闇を降りた時期にもかかわらず、大変温かくご対応くださった方がいらっしゃいました。その方への感謝と、「ふくやま文学館ってすごいんだよ」という気持ちも込めた記事でした。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。