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ゴリゴリの帰国子女がゴリゴリの一般受験に挑む話
こんにちは、アンバサダーの葉子です。
我が家には大学3年生の長女、高校2年生の次女と中学3年生の長男がいますが、今回は次女(と長男)の「一般受験」についてお話しします。
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昔、むか~しの帰国受験
次女と長男の受験話に入る前に、私自身が経験した帰国受験について少しだけ書きたいと思います。
プロフィールにもあるように、私もアメリカからの帰国子女で、1度目は小5春~中3の年末、2度目は高校卒業後~1年間、それぞれニュージャージー州とバージニア州で過ごしました。経験したのは、高校の帰国受験と大学の帰国受験です。
【私の高校帰国受験】
私が高校帰国受験をしたのは90年代半ば、安室ちゃん、ギャル、ルーズソックス、プリクラ、バンドの最盛期でした。
帰国先が横浜市だったことから、当時でも帰国受験ができる学校はそれなりにあったのだと思います。そして私が実際に受験したのは、私立2校と公立は見学のみでした。
1校目の私立は、国数英の試験と面接。2校目の私立は、書類でほぼほぼ決まると言われていて、当日は作文(得意な言語で書いて良い)と面接でした。補習校に通わず、周りに日本人の同級生はおらず、5年間で1度しか一時帰国していない(それも九州にある祖父母宅へ行っただけで、体験入学も同世代の日本人と交わることもなし)とあり、日本の勉強どころか日本語も怪しかった私が国数の試験に耐えられるはずもなく、試験があった1校目の私立は当然、不合格。そのかわり、現地校の成績が良く、英検準1級とTOEFLで高得点を取っていたのが良かったのか、作文(英語で書いた)と面接で良かった2校目の私立は合格することができました。
中3の1月に帰国しての受験だったので、入試対策の勉強も面接の準備もなし、転入先の中学校に制服がなかったため、制服っぽい服装……と頭がまったく日本に切り替わっていない母と私とで選んだグレーのチェックのスカートに薄いピンクのブラウスにスニーカーで面接に挑むという、今思うと「帰国時期から何からなにまで違うだろう!」と突っ込みたくなる受験でした(でも、それが私たち親子の精一杯、一生懸命でした)
【私の大学帰国受験】
ちなみに、大学帰国受験は、一般常識問題(就活生が受けるSPI(適性検査)の問題集と赤本で対策)、英語、小論文(小論文の問題集で対策)と面接(気合い)でした。こちらもアメリカで大学に通いながら、受かれば入学し、受からなければ今の大学に通い続けよう、という感じで完全独学(それも3カ月くらいの短期勝負)で挑んだのですが、運よく合格。
とまあ、前置きなのに長くなってしまいましたが、この経験が仇となり、子供たちには散々迷惑をかけてしまったという話に続きます……。
(自分が何とかなったので、我が子たちも何とかなるだろうという甘っちょろい考え)
子供たちの帰国“じゃない”受験
帰国生受験をした大学生の長女についての記事はこちら。
【次女の帰国”じゃない”受験】
小1の夏~中2の夏の7年間をアメリカで過ごした次女。「帰国先は渡米前に住んでいた横浜市だろうから、帰国受験の選択肢も多いだろう」という勘違いその1と、「駐在年数は5年くらいだろうから、次女は小学生のうちに帰国するはず」という勘違いその2のせいもあり、なかなか大変な状況にしてしまいました……(猛省)
まず、日本の勉強をほとんどさせなかったこと。これは以前書いた記事『【アメリカ駐在】自然に身を任せる: 補習校も塾もナシ! 現地校だけで過ごしてみた話』にもあるように、私の教育方針でもあったのですが……。ただ通信教育だけは日本にいたときの続きで受講していたので、次女は小5か小6近くまではコツコツと1人でやっていた気がします(偉いな)。
次に、滞在年数が想定より長く(7年間)なったこと。あれよあれよという間に中2になった次女。コロナの影響で夫の帰国がなかなか決まらないまま、長女のハイスクール卒業を機に、(帰任地がまだわからなかったため)九州にある私の実家に本帰国しました。「帰国子女って実在するんだ!」と驚かれるような田舎で、初めての日本の中学校生活がスタートです。
【すごいぞ、次女!】
田舎の公立中学校に転入した次女。首都圏の中学校と比べると少しのんびりペースとはいえ、勉強についていくには相当の努力が必要でした。まず、漢字が書けない。日本の歴史なんて全然知らない。英語でさえ、文法ガチガチの日本式英語学習に戸惑う。でも、すごかったんです。すごいんです、うちの次女。まるで日本の勉強に飢えていたかのように、「体を壊すから勉強やめなさい」という嘘のような注意をしても聞かず、とにかく勉強をやって、やりまくっていました。
少し精神的に不安定になったり、悔し涙を流したりもしながら、半年、1年経つ頃には定期テストで学年の下のほう、真ん中のあたり、上の下……と駆け上がり、帰国して1年半後に卒業する頃には上位に入るようになっていました。そんなふうにして、私の取り返しがつかなかったはずのミスを、次女は自力で取り返してくれたのです(ありがとう……)
【次女の帰国”じゃない”受験】
そんな次女が中3になった夏、ようやく夫の帰任時期・場所が決まりました。
ところが、勘違いその1(帰国先は横浜だろう)の通り、夫の帰任地は首都圏ではない地方だったため、学力もついたし、一般受験しよう! となったわけです。今、次女が通っているのはごく一般的な公立の進学校です。帰国生は、学校中で彼女1人だと思います(自分たちが知る限り)。小1から中2まで7年ものあいだ補習校や塾にも通わず、日本語が少し変になったにもかかわらず、帰国子女がいない高校に完全なる一般受験というのは極めて珍しいのではないでしょうか。
【今年は長男!】
最後に、のんびーりマイペースな、心優しき末っ子長男の話で終わろうと思います。長男は、幼稚園年中の夏~小6の夏をアメリカで過ごしました。彼の場合もやはり、一般受験になります(住んでいるあたりは帰国枠がそもそも少ない上に、あっても小6で帰国した子は対象外)。おだやかで自然体な長男は、彼のペースで日々、絶賛成長中! ではあるのですが、何せ時間が足りない! 帰国して丸3年ちょっと経ちますが、まだまだ7年間のブランクから生じたハンデは続いている……でも受験は容赦なく迫ってきている……。反抗期もなく、学校や塾で出される課題を素直に頑張る彼の努力が、どうか報われますように!
母は祈り、お菓子を差し入れ、優しい言葉をかけ続けるのみです。
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