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子どもの「暇な時間」を埋めずからっぽのままにする努力。〜書籍「不登校の9割は親で解決できる」からの気付き〜
タイトルだけ読むと、実際に不登校3年目に突入している子どもを持つ親としてはかなりザワつくタイトルの書籍を読んで、そこから得た学びについて。
私がなるほどと思ったのは、子どもに対するデジタルデバイスの徹底した制限について提案されていた点です。
3週間で再登校できるかどうかは、ケースバイケースだとは思ったのですが、デジタルデバイスの制限をすることの考えについてはとても納得できました。
こちらの書籍では、子どもが学校に行かない期間は徹底したデジタルデトックスを行なうことを提言しています。子どもだけじゃなく、親も家では使わない、テレビさえもしまうという徹底ぶりで、家族もかなりの覚悟が要ります。
なぜそこまでして制限するかの背景にある考えは、子どもの「退屈な時間」「何もすることがない時間」「暇でぼーっとする時間」を奪わべきではないという考え方から。
育ち盛りで本来活動するパワーに満ちた子どもが不登校になり家以外行くべき場所を失った時に、子どもが何か楽しめること、気を紛らわすことを親が与えないといけないというプレッシャーをずっと感じていました。規則ただしく朝起きて食事をとらせ、家の手伝いをさせ、日光にあたったり体を動かすために散歩に付き合ったり子どもが興味を持ちそうな外出先を探したり。学校に行かない時間を全部家庭でカバーしなくちゃいけなくなることの大変さと、改めて学校が巻き取ってくれていた部分のありがたさを感じます。
そんな生活の中で、つい子どもにはスマホやタブレット、ゲームで時間を潰すことを多めに見てしまいます。 いっとき現実から離れて楽しめる時間が必要だと思うから。
でも、ただの息抜きで終わらないのが現代のデジタルコンテンツの怖さだなと思います。世界の天才的クリエイターやマーケッターが作り出したものの中に、いつの間にか時間をどんどん奪われてしまいます。起きている間の時間全部を費やしても足りないくらい、何なら睡眠時間を削ってしまうくらい。
大人でも自分自身のコントロールに手を焼くので、成長過程にある子どもたちにとって自分自身でスマホやゲームを制限することは至難の業です。
最初は子どもにとっても大人にとってもつらい現実から少し離れて気分転換するためのものだったのに、いつの間にか心も頭も乗っとらるような現象が起きてしまうんですよね。
我が家の子どもたち3人も、それぞれ依存度は違いましたがスマホやゲーム、動画を見る時間がかなり多くなっていました。改めてスクリーンタイムを確認すると、高校生の娘は10時間以上にもなっていました。
「何もすることがない時間」は良くないものだ、親の監督不行き届きだ、というような思い込みがあって、何か有用なことに傾くかもしれない可能性にもかける気持ちもあり、スマホやタブレットを使うルールをゆるゆるにしてしまっていました。子どもに対して毅然と家のルールを伝えるならば、親として自分自身もちゃんと律さなくてはならず、その緊張感やしんど左からも逃げている側面も否めません。
この書籍を読んでいて、「何もすることがない、退屈な時間」を過ごす経験が、子どもが自分について考えたり、何もないところから何かを生み出す創造力んだりする大事な時間だった気づくことができました。 昭和生まれの私がこどもだった頃は、暇な時間をすぐに埋める何かはなく、たいてい大人から見たら全く生産的ではないことに時間を使っていたと思います。私は意味もなく家にあるもので物を作っていた記憶があります。それ、何に使うの、的な創作物。
今って、簡単にそしてエキサイティングに暇な時間を埋めることができてしまいます。子どもが本来暇な時間にぼんやり考えたり、自分の根源的に好きなものに熱中せざるを得ない状況を、スマホやゲームが簡単に奪えてしまうんですね。
不登校になって周りの多くの同級生と同じように学校に行くことができない、なぜか自分は学校に行くことがとてもしんどいと思ってしまう、そういう苦しい時に、苦しいことから気をそらすこと、気を紛らわすことに比重を置いてしまっていたなと思います。 学校に行かないことでせっかく空白の時間を手にいれることができたはずなのに、自分の内側から何かが発生するのをじっと待つことにその時間を使えず、動画やゲームなどの自分の人生の外側にあるもので隙間だけじゃなく、本体も埋めてしまうような現象が起きてしまいがちでした。
我が家も厳格にスマホやゲームの時間制限を改めて設けてみました。
そうしたからと言って学校に行けるかというとそういう状況ではないのですが、私自身も家にいる間についスマホを見たりイヤホンで音声コンテンツを聴いていて子どもの話に四六時中うわの空になるようなことがないようにしたことで、前よりも子どもの様子を感じることができるようになってきたと思います。
暇な時間は大事。特に子ども時代に経験できる「からっぽの時間」は、今の時代は下手に埋めずに死守するくらいの強い意志を持なくちゃだめなんですね。「退屈」と言われても「そうなんだ」と空とぼけておける忍耐力を持たねばと思っています。我が家は結構子どもの年齢も大きくなってるんですけどね。改めての気づきでした。